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花々に囲まれた庭園には白い天幕が張られ、いくつも並んだ丸いテーブルには金縁のティーセットが整然と並ぶ。
辺りには菓子の甘い香りと紅茶の香りが漂っている。舞台はいつもの学園にも関わらず、ちょっとした非日常の雰囲気だ。
ティーカップを傾けた令嬢が感心したように目を細める。
「この紅茶、初めての香りですわ。どちらのものですの?」
「南方から取り寄せた茶葉を少量だけ混ぜているの。珍しい茶葉で流通があまりないそうよ」
「まあ!」
小さな感嘆が上がる。噴水の水音を背景に、ドレスに着飾った令嬢たちはテーブルを囲み、会話を楽しむのだった。
そして――私はその様子を眺めて優雅に微笑みながら、内心ため息をついていた。
帰りたい。まだ平和な今のうちに。
というわけで私は今、茶会に参加している。
郵便受けに入っていた手紙は学園主催の茶会の案内だった。もちろん、これもゲーム内では定番のイベントの一つ。
……なのだが、正直なところ、めちゃくちゃ気が重かったりする。理由は追々。
サボることも考えたが、侯爵令嬢の立場で不参加は体裁が悪い。だから仕方なく腹を括ってここに来ている。
せめて目立たぬようにと、私は賑わっている中央の輪には加わらず、端に近いテーブルに陣取った。そこでぼんやりと佇んでいると、近づいてきた令嬢が紅茶とお菓子を差し出してくる。
「ルージュ様も、いかがですか?」
「あら、美味しそうね。いただきますわ」
早速、カップに口をつける。いつも飲んでいる紅茶よりもさっぱりとして美味しい。
「とても飲みやすいわ。お菓子とも合いそうね」
「ルージュ様にそうおっしゃっていただけて嬉しいですわ。相性を考えて後味の軽い紅茶を選んだのです。焼き菓子も砂糖を控えめにして、果実酒で香り付けをして――」
彼女は楽しげに工夫を語る。他の令嬢たちもそうだ。相手の出すものを褒め、お互いに貴族令嬢として絶妙な距離感を保っていた。
……これだけ見れば、笑顔に満ちた令嬢たちの素敵な茶会だろう。しかし、その裏では様々な思惑が交錯している。
この茶会は夏季休暇中に学園の庭園を貸し切り、同じ学年の令嬢だけが集う恒例行事。形式は自由だが、飲み物も菓子も各自持参――つまり、ここに並ぶもの全てが彼女たちの感性そのもの。
笑顔で交わされる言葉はどれも柔らかいが、その裏で確実に序列が測られているのだ。……考えるだけで胃がキリキリする。
だからこそ、この茶会はプレイヤーからはこう呼ばれていた。
――『地獄の女子会』と。
隣のテーブルの令嬢たちが思い出したように口を開く。
「あら、あの平民の方のお姿が見えませんわね」
「本当ね。もしかしてドレスや茶葉が用意できなかったのかしら」
「でも構いませんわ。無理に安っぽい装いでいらっしゃっても、ねえ?」
「馴染めずに浮くだけでしょうね」
ほら、もう既にこれである。格下かつ、この場にいない人間には気を遣うこともないのだ。容赦ない。
しかし、彼女たちの言うように確かにエレナの姿がどこにも見当たらない。
ゲームではお助けキャラに連れられる形で強制参加だったが、そもそもお助けキャラもいないようだ。逃げたのだろうか。
とはいえ、来ないなら来ないでいいのだ。彼女がいないならばゲームより穏便に終わるはずなのだから。
だけどなんだか引っ掛かりが残る。あのエレナが来ない選択をするだろうか。それとも……何かある?
その答えを考えようとしていると、少し離れたテーブルで一人の令嬢が爆弾を放った。
「――あら、随分と庶民的なお菓子ですのね」
その一言に、周囲の会話が一瞬だけ途切れる。菓子を差し出した令嬢は眉を寄せたが、あくまで穏やかに口を開いた。
「領地の伝統菓子ですわ。ご存じなくて?」
「ええ。我が家ではもっと洗練されたものを頂きますから、知りませんでしたわ」
「……あら、そうですのね」
明らかなマウントを取られた令嬢は相手の装いを頭からつま先まで眺め、口角を上げた。
「あなたこそ、そちらのドレスは去年の型ですわね」
「ですが、定番のデザインでしょう? 流行を追うだけでは品がありませんもの」
「そうね。『物持ちがよろしい』のは素敵ですわ」
「……っ!」
柔らかい口調なのに、言葉に鋭い棘がある。
「あなたとは価値観が違うようですわ」
「育ちの違いではなくて?」
二人とも笑顔のまま言葉を重ねるが、互いに一歩も引かない。……こめかみに青筋が見えるのだが、気のせいではないだろう。
彼女たちはどちらも伯爵令嬢。家柄が上でも下でもないからこそ、相手が優位に立つことが許せない。
ちなみにゲームでは私が似たような騒動を起こしていたのだが、私がやらかさなくても誰かがやるようである。そんな気はしていた。
この場にいる全員が、気づかぬふりをしながら、事の行方を見守っている。しかしこのまま放置するのはよろしくない。彼女たちの戦いはさらに加熱し、今後の余計な火種にもなりかねないだろう。
……仕方ない。
私は小さく息を吐き、手に持ったカップを置いた。一歩踏み出すと、周囲の令嬢たちは無言のまま距離を取る。
「失礼」
そして短く声を掛け、睨み合う二人の間に入ると、場の注目が全て私に向いた。
「ルージュ様、ちょうど良いところにいらっしゃいました」
「どちらがより優れているか、決めていただけませんか」
二人は期待の目を私に向けるが、そんなことをしたら余計に面倒なことになるやつだ。ご遠慮願おう。
「申し訳ありませんが、本日は皆さまの趣向を楽しむ場。優劣を決めるための集まりではございません」
「ですが……」
丁寧に伝えると、令嬢たちはお互いの顔をちらりと見てから、躊躇いがちにこちらに視線を向けた。色々と言いたいことがあるのだろう。それは理解できる。
でも、今はそういう場ではないのだ。私は落ち着いた声で、はっきりと告げる。
「そもそも、価値は簡単に測れるものではありませんわ。育った土地も、受け継いだ文化も違いますもの」
一度言葉を切り、私は彼女たちの目を見る。
「それぞれに素敵なところがございます。優れているかどうかを論じるより、わたくしはその背景に目を向けたいのです」
私の意見を伝えると、二人はしばらく黙り込んだ後、視線を下げた。
「……お言葉、胸に刻みますわ。少し感情的になってしまいました」
「私も軽率でしたわ。反省いたします」
完全に納得したわけではないが、折り合いをつけたのだろう。これ以上続けるべきではないという判断は一致したようだった。
それで十分だ。私は一歩前に出て微笑んだ。
「ですが、どちらのお話も興味深いですわ。ぜひ続きをお聞かせください。もちろん、皆で」
「……良いのですか?」
「もちろん。お二人ともたくさん工夫をなされたのでしょう? せっかくのお茶会ですもの、楽しまなくては損です」
二人は力を抜いたように小さく息をつき、顔を見合わせた。
張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。周囲の令嬢たちも緊張が解けたように表情を緩めた。
よし、ひとまずはこんなところだろうか。
私は再びカップを手に取り、静かに紅茶を口に運んだ。
私はこの令嬢たちの中で最も身分が高い。私個人の方針を示せば、場は自然と収まる。これが侯爵令嬢の権力だ。
こうして場を整えるために使うものとしては便利だが、それ相応の責任を伴う。必要以上に振りかざしてはいけない。
……元の私? 振りかざすどころか元気に振り回していましたよ。むしろ彼女は悪役令嬢らしくマウントを取りに行く側である。お察しください。
楽しげに語られる令嬢たちの話に耳を傾ける。社交界とは違う学生だけの茶会だ。こうして皆が笑顔で過ごせるのなら、それでいいのかもしれない。
小さな軋轢こそあったが、今日はこのまま何事もなく終わるだろう。そう思いつつ、私はテーブルに置かれた見慣れない焼き菓子に手を伸ばした。
そして何気なく口に入れた瞬間、舌の奥に妙な刺激が走った。
「っ……」
咄嗟に口元を抑える。吐き出すことは失礼に当たる。
顔には出さず、そっと紅茶で流し込んだ。だが違和感は消えない。香辛料とも違う、説明のつかない痛みのような刺激だった。
「……こちらは少し、変わった風味ですわね」
思わず控えめにそう呟くと、隣にいた令嬢が一口食べ、不思議そうに首を傾げた。
「そうでしょうか? 私は一般的な焼き菓子の味だと感じました」
「私も。この焼き加減、絶妙ですわね」
「ええ、甘さもちょうど良くて美味しいわ」
その菓子を食べた周囲の令嬢は皆、口を揃えて美味しいと言う。
最初は気を遣っているのかと思ったが、違う。笑みを浮かべ、楽しげに菓子を食べるその様子は、心から『美味しい』と感じているようにしか見えない。
……私だけ変だった?
溶け残った調味料の固まったハズレでも引いたのだろうか。胸の内でそう呟きながら、私は何気なく疑問を投げた。
「ところで、こちらのお菓子はどなたがお持ちくださったのかしら」
すると、令嬢たちはお互いに顔を見合わせる。
「……存じ上げませんわ」
「私も分かりません。いつのまにかこちらにあった気が」
「……」
そんなはずはないだろう。しかし、他の令嬢に聞いてみるも、全員が知らないと答えるだけだ。
「では、どなたのものでもないのかしら?」
「それって……」
つまり、この菓子はここにいる人間が持ってきたものじゃないということ。
その可能性に気がついたのか、皆の間に徐々に不穏な空気が広まっていく。
そして誰もが口を閉ざし、聞こえるのは噴水の音だけになった時、
「すみません、遅れました!」
庭園に場違いなほど明るい声が響いた。




