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Eternal blue

作者: あお

気がつくと、どこまでも続いている、白い螺旋階段を登っていた。





人生で最初の記憶はなんだろうか。

両親との思い出か、友達と遊んだこと、喧嘩したことか、はたまた初恋か。


私の最初の記憶はどれでもない。


気がつくと、刻々と変わり続ける空模様の中心にぽつんと浮かぶ、白い螺旋階段をただただ登り続けていた。

その螺旋階段は無機質な何かで作られていて、シンプルな手摺と段差が連なり、段差の隙間から空が見えている。気がつくと登っていたように始まりも終わりも見えない。存在しているのかどうかも分からない。


あたたかい家庭で食事をしたり、旅行に行ったり、友達と遊んだり、全て私はしたことが無い。見たことも無く、私の世界には無縁のものである。


けれど「したことがない」ことが異常だということを「知っている」。

私は孤独なのだと思う。家庭や友人を持つことが当たり前だとしたら、そのようや分かち合い時間を共有する相手がいない私は、独りであり、ずっと自分の気持ちを1人で抱えている。

それが「寂しいこと」だと感じたことは無いけれど。




階段の先が見えない中、登り続けることは恐怖だ。容量の決して大きくない私の心は、時々その暗闇に悲鳴を上げる。独りは寂しくない。けれど、自分一人で全てを背負い込むのは酷く重い。その重みは私の足取りを鈍くする。軽く、手を自由にぶらぶらさせながら階段を登れたらどんなに良いのだろうか。

ずっと重い訳では無い、思い出したようにふと軽くなることもある。しかしそれは本当に軽くなっているのか?慣れてしまっているだけで、実は容量いっぱいで気づいたら溢れているだけなようにも感じる。


自由は憧れだ。

全てを捨ててしまったら?

軽さは甘い。

自由は爽快。

だが私は思う、自由は本当に自由なのか。

自由だと理想を描くものは、見えないところで枷だらけの不自由なのかもしれない。

または、甘く爽快な気分に慣れてしまったらその後はどうなるのだろうか。

反対に不自由は重いが明確である。明確であることは強い。明確な不自由の中、私は明確さのために何にでもなれる気がする。それはつまり、自由に等しい。

自由と不自由は切り離されたもののようで、実はどちらかがどちらかに内包しているものでもある。

私は不自由さを抱えた中で、酷く自由である。それが私の螺旋階段を登り続けられている理由である。




空は刻々と変化を遂げている。

雲は風に流れ、空の青さも同じ時が無い。

晴れているばかりでもない。

暗雲が立ち込めて、雷雨に晒され、びしょ濡れになることもある。

見ている景色に飽きがこないのは良いが、登りづらくなってしまうので、ちょっと困る。


私が一番好きな景色は、夜明け時の空だ。

菫色から薄浅葱へとグラデーションになっていたり、様々なオレンジに塗られていたりする。それもまた様々だけれど、色とりどりに光が斜めに射し込んで輝いている。月はさよならを告げる中、目覚める光に照らされ、素敵なエンドロールを迎える。月と光の同時に存在する時は足を止め、必ずそれぞれに挨拶をするようにしている。

単体で綺麗な色も、そうでない色も、この時ばかりは一つのものとなり、お互いを引き立たせ、濁らせ、支え合い、複雑な色味となる。

そこがたまらなく綺麗で好き。



「君はいつ頃から登っているのかい。」

ある時、背後からハットを被ったスーツの男性に話しかけられた。

この螺旋階段を登っていると、時々人に会う。

そしていつの間にか消えていて、それっきりのこともあれば、何回も会って共に階段を登ることもある。

ただ全員に共通することは、何かしらの帽子をかぶっていて、顔を見ることができないことだ。表情が分からないことは、寂しい。気持ちを察するのは容易でなく、私たちは分かり合うことが出来ない。

それでもお菓子をお裾分けしてくれる人なんかもいるので、人に会うことはちょっぴり楽しみ。

「気づいたらここに居ました。細かいことは分かりませんが、おそらく15年ほどになると思います。」

男性は笑って、緩く首を振った。

「いやいや、細かいことを分かっている人なんてどこにもいないよ。階段を登っている人は皆、気づいたらここに居て、そして去っていくものさ。聞いといてあれだけど、時間なんて関係ない。大事なのは、君が、その15年をどう過ごしたかだよ。」

「どう過ごしたか、ですか。」

小首を右に傾げてしばし考える。

「分かりません。ただ登って、休んで、また登っているだけのように感じます。あなたはそうでは無いのですか。」

「いいや私も同じだよ。」

男性は私から視線を外して、空の奥を見た。

「私たちにはまだ、分からないだろうね。だけど、いつか必ず、分かる日が来るよ。登っているだけだけど、そうじゃあないんだ。それは、私たちの心臓がきっちり刻み付けてくれているよ。」

丸みを帯びた柔らかな胸の上から手を当てる。

規則正しく、鼓動を刻む音がしている。

どういうことか、と再び男性に問おうと顔を上げると、既に男性の姿は無かった。

跡には透明なパラフィンに包まれた、ミルクコーヒー味のキャンディが落ちていた。

それを拾い上げて口に含む。

とけるような甘みの中、脳に残る苦味を感じた。



ここ最近、ずっと天気が悪い。

積乱雲のせいで辺りが暗く、風と雨が横から殴りつけるように押し寄せる。

何度も転けて、階段を滑り落ちる。

指先は冷たく、お気に入りのさらさらの髪も濡れてぐしゃぐしゃだ。

何度も転けたせいで、膝に大きな切り傷ができて、歩く度にじんじんと痛む。

体は酷く重く、間違いなく私は今不自由である。自由などどこにも存在していない。私の抱える全てが醜く感じる。

頬をつたう水は、雨なのか。

上を見上げても、螺旋階段は途切れる気配がないし、見下ろしても端は遠い彼方で見えない。


重いのは嫌いだ。醜いのはいらない。

始まりも終わりもないことが、初めてこんなにも辛いと思った。


いや、今までがおかしかったのだと思う。

気が遠くなるほど、階段を上ってきた。


私はいつまで上ればいいの?

いつまで頑張ればいいの?

この重さは、どうして抱えていなければならないの?


ふと、周りの景色が目に入る。

どこまでも続く、終わりの無い悪天候。


…そうか、簡単じゃないか。


このまま、螺旋階段から外れて仕舞えば。

この変わりゆく空の一部となり、ただただ醜く成り果てて仕舞えば。

もう一歩踏み出して仕舞えば、私は、救われる?

自由か、はたまた待っているのは変わらず醜い不自由だろうか。

踏み外し世界から外れても、今と同じく終わりは永遠と来ないのかもしれない。

それでも良い。もうこの先はいらない。

全ての重みを手放したい。


螺旋階段の外側に、左足を伸ばす。


私の世界、さよなら。





さよならを、告げようとした。


後ろから腕を強く引かれ、勢いのまま螺旋階段に倒れ込む。

「諦めるな!」

引いた相手を見ると、それはあの男性だった。

「諦めるな、諦めてはいけない!君自身を、君の自身の重みを失くしたくはないんだ!」

その時、風がいっとう強く吹いて、彼の顔を覆い隠していたハットを攫った。


初めて誰かの表情を見た。


彼は、悲しいような、激昂しているような、心配しているような、恐れているような、そんな感情たちが入り混じった表情をしていた。

透き通った目からは、暖かい雫がぼろぼろと零れていて綺麗だった。

「たしかに、この螺旋階段がどこまで続くかなんて、やっぱり誰にも分からない。そして君がどれほどこの世界から消えてしまいたいかなんて、僕には理解することができない。想像することしかできない。

それでも、話を聞くことならできる。一緒に考えることならできる。共に支え合うことだってできる。辛さを分け合って、疲れてどうしようもない時には、休んで談笑して、そんな世界じゃだめかい。

君は、好きになってくれないのかい。」

男性の、さっきは力強かった腕が、声が、ぶるぶると震えていた。

透明な雫に色が混じる。それは私の色をしていた。


「どうしても怖くて仕方がなかったの。上るのは辛いし、私の心は重くいっぱいで、いつも独りぼっち。

たまに出会う人はいたけれど、心からは通じ合えなかった。

私たちは、つながり合うことができない。これからもずっとそうなのだと思うと、真っ暗で、先が見えなくてどうしようもなくなってしまったの」

それでもね、と私は続ける。私たちの雫が指先に溶けた。じんわりと暖かさが広がっていく。

「あなたの顔が見えた。私を見て話をしてくれた。この世界を、『私とあなたの世界』にしてくれるのだったら、この世界の先はまだ綺麗なのかもしれない」


この世界を、慈しむことが出来るのかもしれない。


まるで春風のように暖かく彩られた風が吹いた。


雨も、暗雲も、みるみると世界の端へと流されていき、そしてなくなった。


眩しい太陽が覗く。


世界に色彩が戻っていく。空は、私たちのまだ知らない青をしていて、雲は、一切の曇りのない純白。


この世界は、簡単に汚されてしまうほどに、ただただ無垢で、苦しく濁ってしまう時もあるけれど、私たちがすぐには気づくことの出来ない美しさが、たくさんある。


気づけないことさえ知らずに、消えてしまおうとした私に、「そこに居て」と言う資格は無いかもしれないけれど。



どうか。







気がつくと、どこまでも続く白い螺旋階段を登っていた。

昨日も、今日も、明日も明後日も、これからもずっと登り続けるのだろう。

周りに在るのは、果てしなく続く空と、彼だけ。

彼と何気ない会話を交わしながら、空の中心で登り続ける。

空は刻々と移り変わり、一時たりとも同じ景色はない。

彼はもう、ハットを被らない。


娯楽も何もないし、悪天候に疲労にと悩まされることばかりだけれど、表情のよく見える彼過ごす、この空間は嫌いじゃない。


いつまで彼とこの空間が続くのかは分からないけれど、続く限り、私は私でいようと思う。

この重みは間違いなく私が背負うもので、この不自由さは私が得た自由だ。


白い階段の一つに腰掛けて、抜けるような蒼を見上げる。

「終わりが来ることが怖いの」

「そうだね。今があまりにも奇麗すぎるんだ」

「とても醜いわ」

「それがまたいいんだよ、僕たちはそういうものじゃない?」


上を見上げても終わりはない。

けれど終わりがないなんて、そんな御伽噺は存在しない。


確かに先は見えず、今すぐではないかもしれないけど、いつか必ず終わりが来る。


それはあまりにも遠くて、気を失いそうなほど遠くて、自ら終わりを選びたくなることもあるかもしれない。

醜いものに、潰されそうになることがあるかもしれない。


そしてあなたは気付かないかもしれない。

だけどよく見てみると、自分で終わりを選んでしまうには勿体ないほどの事がたくさん在るはずだ。

醜さの裏に隠された、矛盾した健やかさが在るはずだ。


私にもまだ分からない。

私にもまだ見えていない。


だからこそ、私は昨日や今日に「おやすみ」を囁き、まだ見ぬ未来に向かって「おはよう」を叫ぶ。


この自由で不自由な世界の中、少なくとも私は在り続けよう。


願いが叶うのなら、あなたにも、そうあって欲しいと思う。


今も空は、私たちの視界に収まらないほど雄大に、刻々と移り変わっている。

そして、私も。





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