第五百五話 希望の未来 後編
食事を要求するペスカに、冬也は作らないと言い放つ。むくれるペスカであったが、祭りが有ると聞いて直ぐに機嫌が直る。今にも家を飛び出そうとするペスカを少し宥め、冬也は後片付けを済ませる。
「ロメリアも行くんだな」
小さく体を変えたブルの無垢な笑顔は、人だけじゃなく神の心も癒すのだろう。ロメリアは、ブルの頭を撫でると、祭りに付き合う事を約束した。
スキップをしながらペスカは先を進む。日本に戻ってから、忙しい毎日を送ってきたのだ。たまの休みも必要だろう。
そして、祭りは大いに盛り上がった。
冬也が住民達に囲まれる中、用意された席にアルキエル、スール、ミューモ、ロメリアが座り、酒を酌み交わしながら、料理をつつく。ペスカとブルは、嬉しそうに屋台を回る。そしてブルはアルキエル達に、屋台の事を楽し気に話す。
住民達の盛り上がりが、ペスカとブルを楽しませる。ペスカとブルの楽しいという感情が、皆に伝播していく。アルキエルでさえも楽しそうに笑う。それにつられるように、ロメリアも声を上げて笑っていた。
永遠の時を過ごす神にとって、この時間は刹那のひと時である。しかし、他愛もないひと時が、案外重要で輝いている。この平和を守らなければ。そんな想いが、それぞれの心に刻まれた事だろう。
☆ ☆ ☆
祭りが終わり翌日、冬也がスールとミューモを連れて、片付けの手伝いにパーチェへ赴く。アルキエルは弟子達の所へと向かい、ブルは自宅周辺に色々な野菜を植えていた。
そして残されたペスカは、リビングのソファでロメリアと向かい合い、議論を繰り広げていた。
パーチェから戻る際、ペスカはロメリアへ議員に推薦した事を伝えた。しかし、ロメリアが二つ返事で快諾する訳もない。ただ、それで簡単に引き下がるペスカではない。故にペスカは策を講じた。
最初は他愛もない話題だった。そこから、議論を展開させる。
ロメリアは、文明の発展と共に生じた諸問題を知識として有している。当然、深山が問題として感じていた事柄も、よく理解している。
ロメリアは、ペスカに応じて論じ始める。科学技術の取り入れ方、環境へ及ぼす影響、社会構造の変化等、様々な論点を取り上げ、熱の入った議論が繰り広げられる。寝る事もなく、食事中も絶えずに、議論は三日三晩続いた。
「よく理解した、君の策に乗ってやる。この先は、議会で意見を戦わせようじゃないか?」
「やだよ。私が何のために、あんたを推薦したと思ってるのよ」
「はぁ? 何を言って、いや。いや、いや、いや、そうだ。そうだよ。君が好き勝手にしでかす事を、僕が却下出来るんだ。ははっ、愉快じゃないか。ようやくこれで、君に一泡吹かせられる」
「まぁ、簡単に却下出来ると思わない事だね」
「はははっ! 僕を納得させたいなら、それなりのプレゼンをする事だ。僕は深山の様にはいかないよ。あんな寛容さは僕には無いからね」
恐らく、これが始まりなのだ。
レイピアとソニアが作ったレポートは、広辞苑よりも分厚い。それだけの情報量が、記載されているのだ。全てに目を通したとしても、議員達は理解しないだろう。日本を訪れた経験の有る、フィアーナとシルビアでもだ。
アンドロケイン大陸に存在する、亜人連合と呼ばれる中央統治機関の中心は、エレナとその弟子、レイピアとソニアである。
社会見学を通じて、多くの事をその身で体験した彼女らの知識は、アンドロケイン大陸の様々な変化を起こしていく。ブルも同様、農業に新たな進歩を齎せ、農作物の加工を著しく発展させる。そして、冬也は世界に新たな食文化を持ち込み、それに伴う産業が発展する事になる。
時に過ちを正し、修正を促す。時に、正当性を訴え世に知らしめる。世界に変革を齎せようとする彼らの動きを、議会側ではロメリアが、その外ではペスカが支える。それぞれの立場で皆を導くのなら、社会はより良い形で変化を遂げる。
そう。描かれた夢は、現実となる。そして、世界は希望で満ちている。
☆ ☆ ☆
そして十数年後、ロイスマリアに一人の女性と少年が降り立った。
「先生。ここが、ロイスマリアですか? 凄く近代的ですね。近未来的と言った方が近いでしょうか? お聞きしてた異世界とは、随分と異なりますね」
「私がここに来たのは、二十年近く前だからね。色んな事が変わって当然でしょ?」
「確かに、先生の仰る通りですね」
「先生は、もう止めて。私は病院を辞めて、ここに来てるんだし」
「済みません先、空さん。ところで、ご案内を務めて頂ける、ご友人は何処に?」
「ここで待っているはずなんだけど。どこ行ったんだろ?」
二人はキョロキョロと周囲を見渡す。少年が生まれてから間もなく、地球に変化が起きた事は歴史の授業で習った。現在の東京は、自分が生まれた頃の東京とは様変わりしている。
周囲を見渡す限り、少年が思い描いていた異世界とは全く異なり、現在の東京と然程変わらない。変わっているとすれば、通り過ぎる者達であろう。人間とは明らかに異なる者達が、往来を闊歩しているのだ。
だが少年は、それに驚く事は無かった。元主治医であった空と、武術の師である遼太郎から、ロイスマリアについて、様々な事を聞かされていたからだ。
暫く見渡していると、自分達を呼ぶ声が聞こえる。二人が振り向くと、遠くに三つの影が見える。
一つは、少年と同じ位の年頃だろうか、ぴょんぴょんと元気に跳ねる少女。もう一つは、少女より少し年上だろうか。穏やかそうに見えるが、達人の風格を備えているのは遠くからでもわかる。最後の一つは、欧米人に近い見た目をし凄まじい威圧感を放っている。
目の前まで近づいて来ると、少女は笑顔を浮かべて、嬉しそうに空へ抱き着いた。
「久しぶり、空ちゃん。なんか大人になって、ちょっとエロくなった?」
「ちょっと! 久しぶりの挨拶がそれ?」
「だってさぁ。そろそろ四十歳でしょ?」
「何言ってんの! まだ三十過ぎたばっかだよ!」
「確かに大人になったな。久しぶり、空ちゃん」
友人との久しぶりの再会だ。少年が隣に居るにも関わらず、ボロボロと空は涙を流している。空との軽い挨拶を終えると、少女と少し年上の男、そして威圧感を垂れ流している男が、少年に近づく。
「お帰り、勇者さん」
「あぁ。良く帰って来たな、シグルド。いや、勇大だったな」
「まだまだ、修業がたりねぇなぁ。シグルドよぉ」
この瞬間、少年の瞳から涙が零れていた。少年にも理由はわからない。だが、流れ出した涙は止まらない。目の前に居る少女達とは、初対面のはずだ。以前に会っていても、その記憶はない。しかし、不思議と懐かしさを感じる。
知らないはずだ。だが、自然と名前が出てくる。空と師匠から聞かされていた名前。それが、目の前の少女達と一致する。
「ただいま帰りました、ペスカ様。待たせたね、冬也。君に挑戦する為、修業は怠っていないよ、アルキエル」
そして、少年の冒険は始まる。この懐かしくも新たな世界ロイスマリアで。いつだって望む限り、未来は輝いている。それが希望の未来。