第五百四話 希望の未来 前編
「君ね。いつまで待たせるんだい?」
その言葉は、冬也とアルキエルを唖然とさせた。暫くの間、混乱をしていたのだろう。ようやく正気に戻った冬也が話しかける。
「お前、こんな所で何やってんだよ」
「馬鹿なのかい? 君は本当に馬鹿なのだね。僕の神格に君の神気が混じっているのが、ほとほと嫌になる」
「あぁ? そういえばてめぇ、勝ち逃げなんて真似しねぇだろうな!」
「君もだアルキエル。今の僕が君に勝てるとでも? 傷一つ付ける事は出来ないよ」
「なら強くなれや! あれで勝負がついたなんて、思っちゃいねぇだろうな!」
「はぁ、全く話にならないよ。冬也、君の眷属なんだ、躾けが必要じゃないのか?」
声を荒げて詰め寄ろうとするアルキエルを、冬也は片手で制する。奴は、決まって減らず口を叩く。古から悪意を集めて存在してきたのだ。性格はそう簡単に変わりはしないだろう。
そして、冬也は暴言を吐かれようとも気に留める事はない。何故なら、常に荒っぽい言葉で、遼太郎とコミュニケーションを図っていたのだ。
また嫌味を言われても、言葉に含まれた意味を余り理解していない。冬也に対しては、迂遠な言い回しより、直接的な物言いの方が伝わるのだ。女神セリュシオネが冬也を苦手としているのは、言葉の意味を理解しようとしないからであろう。
そして冬也は、アルキエルを制しながら、呆れた様な表情を浮かべて言い放つ。
「ったく、めんどくせぇ野郎だな。来るのは別に構わねぇけどよ。何しに来たんだよ?」
「君の、いや。き、君は料理が、た、たっ、達者だと聞いた。ふ、ふる、振舞って貰えないだろうか?」
「腹減ってんのか? 今日は町で祭りが有るぞ」
「あぁ、何故わからない! 君の料理を食べさせろと言ったんだ!」
「はぁ? なんでだよ?」
「理由は聞くな!」
「仕方ねぇな、待ってろ。ロメリア」
余程、冬也に頭を下げるのが嫌なのだろう。たどたどしく、ロメリアは言葉を口にし、険しい表情を浮かべて頭を下げた。
だが、それでは冬也に意図は伝わらないのだ。嫌々でもはっきり、「てめぇの作った飯を食わせろ」と言わない限り。
戦う事が目的じゃないとわかり、アルキエルは興味を無くしたのだろう。料理が出来上がったら呼べと言い残して、リビングを出て行った。
冬也がキッチンへと向かい、リビングから姿を消す。そして、座っているロメリアに、メイドの一人が近づき、お茶を勧めた。
「事情が有る。申し訳ないが遠慮させて頂く。気を悪くさせたら申し訳ない。ここの使用人は、みな素晴らしい対応をしてくれる。心遣いに感謝している」
深山の記憶から得たのだろうか。ロメリアは、一般の者には非常に丁寧な応対をする。紳士的な応対をする者が来れば、執事長が来客だと判断し招き入れるのも、仕方がないと言えよう。
ロメリアは騒ぎ立てる事もなく、静かに料理を待っていた。アルキエルの方が、よほど無頼漢に見えよう。
使用人達がまめに買い揃えていたのだろう、材料には事欠かない。冬也の料理は、然程待たずに完成した。そして、冬也は大声でアルキエルを呼ぶと、料理をリビングに運んでいく。
「大したもんじゃねぇけど、食ってくれ」
リビングに入って来たアルキエルが、テーブルを挟んでロメリアの対面に座る。そして、ロメリアより先に食べ始める。ロメリアは料理を暫く見つめた後、徐にフォークを手に取り、料理を口に運んだ。
手早く作ったのだ、手の込んだ料理ではない。それでも、がっつくアルキエルに対し、ゆっくりと噛みしめる様にロメリアは食べる。そして、ロメリアは二口、三口と料理を口に運んでいく。そして、徐にフォークを置くと、冬也に視線を向けて話し始めた。
「旨い。旨かったんだ。何故だ?」
「はぁ? そりゃあ、てめぇの中に冬也の神気が混じってるからだろ」
「いや、それだけじゃない気がする。ついこの間まで、僕には味覚が無かったんだ」
「意味がわかんねぇよ、ロメリア。わかりやすく説明してくれ」
冬也でも理解出来る様に、ロメリアはわかりやすく説明をした。
サムウェルに連れられ、各地の料理を食べ歩いた。最初こそ、何を食べても味を感じなかった。しかし、徐々に旨いと感じる様になった。
試しに、サムウェルと行った料理店へ独りで食事をしに行った。だが、全く味を感じなかった。理由がわからないロメリアは、サムウェルに問い質そうとした。
しかし、サムウェルは料理なら専門家に聞けと、冬也の名前を出すだけ。それ故、冬也が戻ると聞いたこの日、朝から自宅を訪れて待っていたのだ。
ロメリアが説明している最中にも関わらず、冬也とアルキエルの顔には笑みが浮かび、最終的には声を上げて笑っていた。
「何を笑ってる!」
「いや、わりぃ。でもよ、お前。簡単な事だよ」
「何が? どう簡単だと?」
「誰かと一緒に食うと楽しい。お前は、サムウェルさんと食事に行って、楽しかったんだ。自分では、気が付いてねぇみたいだけどな」
「では、君の料理が旨いと感じるのは何故だ?」
「それは、さっきアルキエルが言っただろ? 俺の神気が混じってるんだから、俺の料理はお前に合ってるんだよ」
ロメリアは、理解出来ないといった感じで、首を傾げている。
「わからねぇんなら、もう一度食ってみな?」
ロメリアは、訝し気な表情でフォークを握り、再び料理を口へ運ぶ。その瞬間、目を見開いた。
「だろ? ワイワイとみんなで食べると、料理ってのは旨いんだ。つまらなそうに、独りで侘しく食ってりゃ、味もへったくれもねぇよ」
「そうか。そうか。そうだったか。僕にも、こんな感情が有ったんだな」
「あたりめぇだろ。悪感情を操ってきたんだろ? その逆がわからねぇはずねぇよ。嬉しいとか楽しいとか、そんなのは自然と湧いてくるんだ」
「そういうものか?」
「あぁ。お前は、深山から知識や感情を読み取って、理解したつもりでいたんだろ? でも、頭で考えようとしねぇで、心で感じてみな。お前は、感情の無い機械じゃねぇ、正常なんだ」
「そうだな。あぁ、本当にその通りだ」
ロメリアの顔に笑みが生まれる。そして、残った料理を次々と口へ運んでいく。そして、アルキエルがおかわりを要求すると、ロメリアもそれに合わせて、おかわりを要求した。再び、キッチンへ冬也が向かう頃、玄関の方から賑やかな声が聞こえる。
「うん? 冬也様の神気は有るが、ペスカ様はまだお帰りになられてないようだ」
「ミューモ。ペスカ様は恐らく議事堂だ」
「しまった! お迎えに行かねば」
「必要ねぇよ、ミューモ。元気そうだな、お前ら」
「おぉ、主。お元気そうで良かった」
「留守番、助かったぜスール」
「ご無事のご帰還、お喜び申し上げます、冬也様。これで、ロメリアと一戦交えずに済みます」
「ミューモ。お前も、冗談を言う様になったんだな」
「冬也。帰ってるんだな? スパイスの苗は庭に植えといたんだな。育て方は、執事って人に教えといたんだな」
「ありがとう、ブル」
要求されたおかわりを運びながら、冬也は眷属達に声をかけていく。そして、いっそう賑やかになるリビングを、更に喧しくする存在が空間を開いて現れる。
「あ~! アルキエルがなんか食べてる! ずるいよお兄ちゃん! って、何でロメリアが来てるの? あ~、ロメリアも何か食べてる!」
「うるせぇな、ペスカ。てめぇも食えばいいじゃねぇか!」
「ねぇ、ロメリア。お兄ちゃんのご飯、美味しいでしょ?」
「あぁ。とても旨い」
喧しく騒ぎ立てたペスカだが、ロメリアを見て何かを悟ったのだろう。直ぐに優し気な表情へと変わる。そして、アルキエルの言葉を無視して、ロメリアに問いかけた。ロメリアはペスカの笑顔に、笑顔を返す。それは実に自然な笑顔であった。