第五百一話 別れ 後編
異世界からの訪問者達が作業をしている間、その手伝いをしていない者が何名か存在する。エリーは、林が既製品を改良したお掃除ロボットを複数台設置していた。そして林は、室内外に複数の監視カメラを設置していた。
「リンリン。起動は確認シタヨ。問題なく動いテルネ」
「助かりましたぞ、エリー殿。では、こちらを手伝って下され」
「リンリンは、何をシテルノ?」
「防犯カメラの設置でござるよ。映像は、東郷殿とクラウス殿のスマホに、飛ぶ仕組みになってるでござる」
「Is it necessary for set up Security cameras?」
「なんて言ってるか、わからんでござる。エリーは、日本語をもっと勉強するでござるよ」
「My bad. この家は、セキュリティーがシッカリシテルよ。その上、カメラが必要ナノ?」
「念の為でござる」
「掃除ロボットのリユーは?」
「家は手入れするから、長持ちするでござる」
林が改良した掃除ロボットは、単に床を這いずり回るだけの代物ではない。天井等の埃を払い、集めた塵をまとめて袋に詰め、指定日に集積場に持っていく。それぞれの機能が、各機械に独立して備わっている。権利を売るだけで一財産にはなるだろう。それを惜しみなく設置するのは、再び異邦人達がこの家に滞在する光景を見たいからである。
そして、皆が忙しなく動き回る中、遼太郎とアルキエルは、酒を酌み交わしていた。
「ミスラぁ、寂しいんだろ? だから、昼間から飲んだくれてやがんだ」
「そうじゃねぇよ。まぁ、ペスカに会えなくなるのは、寂しいけどな」
「にしても、大層なモンを作りやがったな」
「リンリンには、すげぇ感謝してるぜ。でも仕方ねぇんだよ、フィアーナが庭にゲートを作っちまったからな。売り払う訳にはいかねぇ」
「お前の家だろ? お前が住めよ」
「職場が遠くなっちまったんだ。帰るのがめんどくせぇ。それにこの家は、ペスカが来るから建てたんだ。俺と冬也だけなら、家は要らなかったんだよ。あいつは野宿だろうが生きてける。そう育てた」
「冬也はぜってぇに言わねぇだろうから、俺が言ってやる。今度は、お前らがロイスマリアに遊びに来い。もう、お前の知ってるロイスマリアじゃねぇ。色んなモンが変わってる、これからも変わる。特にタールカールはな。冬也が頑張ってやがる。ペスカは面白れぇ事を考えやがる。あそこは、俺達の遊び場に丁度いい場所だ。お前等も気に入るはずだぜ」
「暇が出来たらな」
「ミスラぁ。寂しいからって、泣くなよ」
「泣くか馬鹿野郎!」
わかっているのだ。義理とは言え大事な娘が旅立つ。常に暴言を吐こうとも、実の息子が旅立つ。それが、単なる旅行ではない事も。
一時的に帰省する事は有るかもしれない、しかし生活の場を移すのだ。そうそう会えはしない。寂しいと思わないはずがない。旅立ちを笑顔で見送る気にはなれない。それでも、送り出さなければならない。
仕事に没頭していれば、気も紛れただろう。しかし、自分の目の前から姿を消す。その準備を進めている。到底、手伝う気にはなれない。やるせない気持ちを紛らわせる為には、酒を浴びるしかない。
やがて準備が整い、遼太郎とアルキエルを呼ぶ声が、庭の方から聞こえてくる。立ちたくない。でも、立つしかない。アルキエルに急かされ、遼太郎はビールの缶をテーブルに置いて、立ち上がった。
庭に刻まれた魔法陣が光っている。魔法陣の上に置かれた、大量の荷物が光と共に消える。
「ミスラ様、皆様。大変お世話になりました」
「皆様、またお会い出来る日を、楽しみにしております」
「御恩は忘れません。皆様に顔向け出来る様、これからも精進してまいります。ありがとうございました」
深く頭を下げた後、レイピアとソニア、そしてゼルが魔法陣の中に入り姿を消す。
「みんな、ありがとうなんだな。じいじ、ありがとうなんだな。また来るんだな。お前たちも、こっちに遊びに来るといいんだな。歓迎するんだな」
「てめぇらはどいつもこいつも、人間にしとくのは惜しい野郎共だ。ブルの言う通り、遊びに来やがれ。てめぇらが、した事ねぇ体験をさせてやる」
そうして、ブルとアルキエルが魔法陣の中へ消えていく。
既に別れは済ませたのだろう。冬也は魔法陣の近くで立つ。そして、ペスカは遼太郎に近づいていった。
ペスカは遼太郎に抱き着く。そんなペスカを遼太郎は優しく撫でた。何も言わない。何も言えない。何も言わずとも、心は伝わる。
離れ難い。このまま、永遠の別れになる可能性だってある。絶対に会える保障など無い。不慮の事故に会うかもしれない。治療が施せない難病を患うかもしれない。突然倒れて、そのまま目を覚まさない可能性もある。
何故なら、遼太郎には神気が無いのだから。神気を失った神格は、いつ消滅してもおかしくない。ペスカは遼太郎の無事を願い、魂魄に混じった神格へと神気を注ぐ。
女神フィアーナは人の一生に固執しない。人は輪廻を重ねるのだ、神として大局を見ている。何故なら、存在した瞬間から神であったのだから。だがペスカは違う。魂魄が自壊しない様に、遼太郎が今生を全う出来る様に祈りを籠めた。
神気を注ぎ終わると、ペスカは遼太郎からゆっくりと離れる。今にも零れそうな涙を堪え、真っすぐに遼太郎を見つめる。
「パパリン。元気でね」
恐らく、口を開けば涙が溢れて止まらない。今、自分が泣けば、ペスカは別れ辛くなる。優しい子なのだ。そんな想いはさせたくない。遼太郎は、精一杯の笑顔を浮かべて、只々頷いた。
「親父。俺は、てめぇがどうなろうと、知ったこっちゃねぇ。だけど、ペスカは違うんだ。お袋との約束を忘れんなよ。ペスカを泣かせる様な真似したら、ぶっ飛ばす所じゃ済まさねぇからな」
「うるせぇんだよ、クソガキ! てめぇは早く行っちまえ!」
遼太郎は涙を堪え、最後まで冬也への態度は崩さなかった。
大事な息子と娘だ。強く有れと育てた。だから、自分はそれより強くなければならない。息子と娘に追い抜かれる訳にはいかない。いつまでも、追いかけさせなければならない。そして、最大の壁となって、立ちはだからなければならない。
最後まで己を律し、雄々しく立つ。それが父の誇り、遼太郎の矜持なのだ。
「ペスカ、元気でな。つれぇ時は、いつでも帰って来い。冬也、てめぇは未熟だ。修行を忘れるな。またな」
ペスカはボロボロと涙を流しながら、魔法陣へ向かう。冬也は少し振り向くと、遼太郎を少し睨め付ける様にし、ゆっくりと頭を縦に動かした。
涙を流しながら、ペスカは見送りに来てくれたみんなに向かって大きく手を振る。冬也は、一人一人の顔を見つめ視線を交わした。そして、光と共に旅立つ。
魔法陣から光が消えた後、遼太郎は皆を帰し自分は家の中へと戻っていく。クラウスを含め、皆は遼太郎の事を慮り黙って東郷邸を後にした。
「馬鹿野郎。お前ら。俺には勿体な過ぎる子供だ。父親を追い越してくんじゃねぇよ、馬鹿野郎。元気でな、元気でいろよ。冬也ぁ。ペスカぁ」
もう、涙を堪える事は出来ない。誰も見てはいない。
独り玄関で、遼太郎は泣き崩れた。愛しい息子と娘を想って、その旅に幸せが有る事を願って。遼太郎の涙は、止まる事は無かった。




