第四百九十九話 挨拶 後編
冬也が目を腫らして帰ったその日、皆が冬也にかけた言葉は、お帰りやお疲れ様の挨拶程度であった。
どれだけ一生懸命だったか皆は傍から見ていたのだ。労いや慰めは不要であろう。いの一番に茶化しそうなアルキエルでさえ、何も言わず目も合わせなかった。
翌日、いつもの朝を過ごした冬也は、帰国したばかりのペスカを連れて外出した。無論、移動手段は公用車、運転は翔一である。ただ、出発直前になり何かを感じ取ったのか、アルキエルが助手席に乗り込んで来た。
目的地は、一つだけではない。最初に着いたのは近所の神社である。そこで、土地神を呼び出し、ロイスマリアに帰る事を告げた。
「そうか、ようやく帰るか。居なくなると、それはそれで、寂しくなるのぅ」
「また来るよ、お爺ちゃん」
「来る時は先に連絡を寄越せ。そうすれば慌てんで済む」
「わかった。じゃあ、またね」
近所の神社を離れた後は、現在復興作業中の旧高尾山に向かった。陰陽師部隊を筆頭に、多くの職人が復興作業に精を出している。彼らの邪魔にならない様に車を停め、飯縄権現を呼び出した。
「そうか、帰るか。そなた達には世話になってばかりだ。何も恩を返せておらん。せめて、預かった魂魄は、我が責任を持って輪廻に戻そう」
「お願いします、飯縄様」
「様は要らぬよ。また来る時は、寄るがいい。その頃には、社殿も建っておるだろう。盛大に持て成すぞ」
「ふふっ。期待してるね」
それから暫く他愛もない話をし、挨拶をして一行は車に乗り込む。飯縄権現は深く頭を下げ、一行を送る。飯縄権現は、車が見えなくなるまで頭を上げなかった。
そして、最後に一行が訪れたのは、冬也が修行をしていた寿司屋の近く。そう、シグルドの転生体である新藤勇大と出会った、駅前にあるショッピングエリアである。
車をパーキングに停め、一行は勇大と会った場所に赴いた。偶然が二度も重なる訳が無い。だが、一行は待った。
「お兄ちゃん、本当に来ると思う?」
「来るさ。あいつなら必ず。そもそも、来ようって言ったのは、お前だろ?」
「そうだぜぇ、縁てのが繋がってれば会えんだよ。それは偶然じゃなくてなぁ、必然って言うんだぁ」
「なんか、アルキエルが言うと、胡散臭いね」
「なんだと、てめぇ!」
そんな会話をし始めた時であった、遠くから聞き覚えの有る声がし、段々と近づいて来る。
「やっぱり! あなた達だったのね。この子が凄く泣くから連れて来たのよ。ほんと、連れて来て良かった。ほら、もう泣き止んでる。あなた達は、本当に不思議な縁で繋がってるのね」
ベビーカーの中を覗き込むと、雄大が小さな手をいっぱいに伸ばし、口をもごもごさせているのが見える。
「あら、またお姉さんに抱っこされたいの? 仕方ないわね、いいかしら?」
「えぇ。構いません」
ペスカは、優し気な表情を浮かべて、母親に向かい頷く。そして、ベビーカーの中でジタバタと手足を動かし要求する勇大を、そっと抱き抱えた。
「甘えん坊さんかな? 勇者さんは」
ペスカの腕の中で、勇大は満面の笑みを浮かべる。天使の微笑みと言っても、過言ではなかろう。そしてペスカは、優しくあやしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あのね、私達は、もうすぐ、帰るからね。あなたが昔に居た、ロイスマリアって場所だよ」
ペスカの言葉を聞くや否や、勇大から笑みが消え今にも泣きそうな表情になる。しかし、勇大からは泣き声が聞こえない。泣きそうな表情でも、しっかりとペスカの目を見つめていた。そして、何かを伝えたいのか口をもごもごと動かし、手足をバタバタとさせた。
「大丈夫。また会えるよ。あなたが、あなたらしくいる限り、私達はまた会える。だって今日は、見送りに来てくれたんでしょ?」
優しく諭す様に、ペスカは言葉を紡ぐ。その言葉に安心したのか、勇大に再び笑みが戻った。そして、冬也が近づきペスカの腕の中にいる勇大の頭をそっと撫でる。
「シグルド。いや、勇大だったな。また会いに来る。いや、今度はお前が会いに来い。その時まで、俺は腕を磨いて待ってる。次は俺が勝つからな。そのつもりで、かかって来いよ」
「いや、勝負をつけるのは、俺が先だぁ。シグルドぉ、てめぇがその輝きを失わねぇ限り、行く先には俺が立ちはだかってやる! わかってんだろうな、シグルドぉ!」
赤ん坊に言う言葉ではない。アルキエルに至っては容赦なく威嚇している。しかし、勇大は微動だにせず、両者の顔を見つめた。
本能的に理解したのか、魂魄に刻まれた記憶がそうさせたのか。どちらかはわからない。しかし二柱の挑戦を、勇大が受け取ったのは間違いなかろう。
「ほんと、不思議な子よね。そうそう聞いてくれる? 洗脳が有ったって日、あの日は夫が休みだったの。二人でテレビを見てたのね。だけど、急にこの子が泣き出したの。多分、この子が助けてくれたのよ。その後、近所の人達は変だったもの。私達は、なんともなかったのによ。何か不思議な力が、あるのかしら?」
勇大の母、新藤美郷は暢気な笑顔を浮かべて話し出した。自分の子が、二柱の神に威嚇されているにも関わらず。
恐らく、冬也達が語る内容を全く理解をしていないはず。しかし、確信めいたものがあるのだろう、息子を傷つける男達ではないと。
ある意味では、肝が据わっているとも言えよう。そんな女性だから、シグルドの母体に選ばれたのだろう。
「美郷さん。この子は、剣を学びたいと言うでしょう。でも、安心して下さい。この子が身に付けるのは、人を守る為の力です。決して損得で力は振るいません。勇大君は、神に愛された子です。成長すれば、この世界には収まらなくなるでしょう。その時は、旅立出せて下さい」
「ペスカさんと仰ったわよね? 何となく、前にもそんな事を聞いた気がするわ。大丈夫、私は信じてるもの。この子と、この子のお友達をね」
美郷は、ペスカに笑顔で言葉を返した。
夕闇が迫る頃、未だ赤ん坊の勇大はペスカの腕の中で眠りにつく。ペスカは、勇大をそっとベビーカーの中に戻し、美郷に別れを告げる。
出会いと別れは繰り返されるもの。互いに歩む道が違えども、縁が繋がっているならば、再び交差する時は訪れる。別れは一時、再会は必然。再び会えるなら、その時は笑顔で。
しばし、さらば。