第四百九十五話 希望の苗 前編
社会見学の場所は徐々に、都内から地方へと移っていった。一通りの農業体験を終えたブルが社会見学班に合流し、滅多に訪れない機会にクラウスも参加する事になった。
見学場所が地方に移った理由は、求めれた場所が都内にはなかったからである。農業体験を終えて様々な農業の知識を得たブルは、農作物がどの様に商品へと変わるのか興味を示した。
また、冬也の料理を始め、日本での食事を堪能したアルキエルは、調味料に関して多大な関心を示した。
こうして二柱の意見が一致し、食品加工や調味料を作る工場の見学へと移行していく。そして、翔一はバスを一台チャーターし、全員を乗せて各地を走り回った。また翔一は、敢えて彼らに是非を問う為、二つのパターンを見せた。
一つは、大規模工場での大量生産。もう一つは、生産量は限られるが、昔ながらの方法での生産である。
多くの需要に応える為には、大量生産が必要となる。これは、ロイスマリアで需要が増加すれば、必然的に生まれる問題でもある。
いままでの見学で、機械を用いて生産を行う工場は見て来た。しかし、食品加工の現場は電化製品等とは異なる面も多い。如何にして品質を管理し、生産を行っているのかを知る必要が有る。
昔ながらの方法での生産は、一つ一つ精魂込めて作り上げる『職人の作業』である。知識だけでは成り立たない。培われて来た伝統や職人の経験が有ってこそ、物作りが完成を見る。
無論、味には明確な差が出る。
しかし、これから社会がどの様な道を進むか、どの様な生産方式が求められるのか、未知数である。故に、いずれにも対応出来る様に、準備する必要が有るだろう。
翔一はリクエストに応え、塩、醤油、味噌、砂糖、酒等、多くの工場に皆を連れて行った。
ブルは、大量生産の工場に然程の興味を見せなかった。しかし、手作りでの生産には大きな関心を寄せた。案内係へしつこい程に質問を投げ、一つ一つの工程を確認していく。
既に、大量生産の工場で大まかな作業工程は理解している。しかし、大量生産と手作り生産の違いを細かく問いただし、留意する点を確認していく。
例え、知識を得たとしても実践するのは難しい。長年の経験に依って培った技術、それこそが職人の技なのだから。しかし、ブルは実践する事を想定して質問を重ねていた。特に、失敗談には注意深く聞き耳を立てていた。
外見上子供。いや、神と言えども未だ幼い子供である。その幼いブルの真剣さは、他の者達にも伝播していく。
二週間程度の僅かな期間で彼らが体験した企業や工場は、百を下らない数に及んだ。その体験で得た知識が、今後ロイスマリアに持ち込まれる。
ロイスマリアに無い物が、地球には数限りなく存在する。彼らが見たのは、単に機械での作業効率化だけではない。社会の仕組み、企業の成り立ち、株式の仕組み、最先端の科学、その他諸々、得た知識は多い。
「ブル様」
「クラウス、ブルで良いんだな」
「では、ブル。旧帝国領でこれらの生産は行えそうですか?」
「う~ん、手作りなら直ぐに始められるんだな。でも、大量生産は少し難しいんだな」
「それは、どの技術が難しいと?」
「そもそも、あのおっきな機械を作るのが難しいんだな」
「それであれば、この国から機械を輸入するのでは如何ですか?」
「それは駄目なんだな。電気を作る所から始めなければいけないんだな」
「それも含めてのインフラ整備をするならば?」
「インフラなんだな?」
「例えばこの国では、道等の整備が出来ているから、安全な輸送が可能になっております。その意味では、我等はかなり遅れていると……」
「それについては、大丈夫なんだな。ドラゴンが頑張って運んでくれてるんだな」
「あぁ、そうでしたか……。ドラゴンが……。まさか、空輸とは地球では考えられない輸送方法ですな」
「それと、機械を動かすには魔法を組み込めば良いんだな。魔法工学を頑張ってる人達が役に立ってくれるんだな」
「魔石ですか? 確かにロイスマリアであれば、動力は電気より魔石なんでしょうな。ですが、資源の枯渇は地球で問題になっております」
「わかってるんだな。山さんが頑張ってくれても、色々と採り過ぎは駄目なんだな」
「では、発電施設の設置は必須になるでしょう」
「その辺は、協議会で話し合わなきゃいけないんだな。でも、風力と水力ならば出来そうだと思うんだな」
「その心は?」
「風と水を司る神が、頑張ってくれるんだな」
「お考えは理解しました。ですが、それ以外のインフラについても、協議をして頂いた方が宜しいかと」
「クラウス。それについては、私達が報告書を纏めますので安心して下さい」
「レイピア殿、ソニア殿……。よろしくお願いします」
ロイスマリアで導入するか否かは、取捨選択すべきだろう。それに、元々の文化が大きく異なる。地球のそれをそのまま導入しても、効果を発揮しないケースもあるだろう。その場合、ロイスマリアに合わせた形へ変化させる必要が有る。その際に、今回の社会見学で得た知識は、大いに役立つ事だろう。
また、この社会見学の裏で翔一とエリーの多大な尽力が有った事を、忘れてはならない。見学先の検討、企業や工場との交渉、日程の調整、移動手段の確保、そして後半は運転までも自ら行った。
最後まで疲れた顔を一切見せずに、案内をした二人の功績が有ってこそ、貴重な知識を得る事が出来たのだ。
この日、一通りの見学を終えて、久しぶりの東郷邸へ戻った一同は、リビングに集まっていた。
「ブルさんは、報告書を書いてらっしゃるんですか?」
「違うんだな。それは、レイピアとソニアがやってるんだな。おでは、おでの覚書をまとめてるだけなんだな」
「真面目なんですね」
「違うんだな。せっかく翔一とエリーが、色んな事を見せてくれたから、ちゃんと記録しておかないと勿体ないんだな。翔一、エリー。本当にありがとうなんだな」
「いえ、仕事ですから」
そう言いつつも、翔一の顔には笑みが浮かんでいた。翔一とエリーは、レイピア、ソニア、ゼル、クラウスからも、何度となく感謝の言葉を貰った。
感謝されれば嬉しいと感じる。同時に照れ臭く、仕事だとぼやかしてしまう。しかし顔にはちゃんと、嬉しさが滲み出る。何よりの労いなのだろう。そして、金銭では味わえない、達成感なのだろう。
「ところで、ブルよぉ。お前の家庭菜園に植わってた、見慣れねぇ植物は何だ?」
「冬也が取り寄せたんだな。アルが我儘を言ったんだな」
「はぁ? なんだそりゃあ?」
「あれは、スパイスになるんだな。スパイスは、色んな料理に活かせるって言ってたんだな。アルが要求したカレエってやつも、スパイスで作れるって言ってたんだな」
「んで、その冬也は何処に行ったんだぁ? また、いつもの親方って奴の所か?」
「アルは、聞いた傍から忘れるんだな。今日は、スパイスの調合を習いに行くって言ってたんだな」
「なるほどな。相変わらず頑張ってるって事か。でもあの様子だと、大地の神ってより飯の神になるな」
「おでは、両方だと思うんだな。冬也は、自分で言うほど馬鹿じゃないんだな。ちゃんと、必要な事を頑張るんだな。だから、おでも頑張らなきゃって思うんだな」
「ブル。そりゃあ、お互い様ってもんだぁ。傍から見りゃあ、お前らは互いに影響しあってるぜ」
「それは、アルもなんだな」
互いに影響し高めあえるなら、その関係性は健全なのだろう。そんな彼らが、周囲に良い影響を与え、広がっていく。もしかすると正常な世界とは、そうやって作られるのかもしれない。




