第四百九十二話 神の試合 後編
「見たか、お前等。後の先ってのは、なにも応じ技だけじゃねぇんだ。真髄は先の先と同じ、相手の隙を作る事に有る。勿論、応じ技だけで勝負がつけば、それに越した事はねぇ。だけど攻撃を捌く事で、相手の体制や攻撃リズムなんかを崩す事が出来る、それが大きな隙になる。後は、自分が戦い易い状態で勝負を決めればいい。流石に今の攻防は、アルキエルが一枚上手だったがな」
アルキエルの攻撃を利用し投げ技を繰り出す。更に足技で体勢を崩す。そこに生まれた隙を狙い渾身の一撃を放つ。しかし、アルキエルは後方に飛びながらも、着地し易い様に上手く衝撃を外に逃がした。 一瞬の攻防で、これだけの事をやってのけだのだ。両者共に見事としか言いようがない。
「しかしわかりません。ブル様は、アルキエル様の初動が見えていなかったはず。しかも、死角からの攻撃を受け止めずに利用した」
「レイピア、視線だよ。ブルは、視線や僅かな体の動きで、アルキエルの攻撃を予想したんだ」
「ですが、アルキエル様が攻撃方法を変えたとしたら?」
「いいや、しねぇよ。それが絶対強者故の弱点だ」
総合的な実力であれば、冬也よりアルキエルの方が数段上回っている。技術、神気、全てにおいてアルキエルに劣る冬也が常に勝ち続けるのは、挑戦者故の工夫に因る所が大きい。
対してアルキエルは誰よりも強く、圧倒的な力で勝利を重ねて来た。それが体に染み込んでいる。故に、回避不可能な一撃で相手を沈める。
それさえ理解していれば躱す事は出来る。これから腹を力いっぱい殴ると、宣言しているようなものだ。ただし、アルキエルの速度について行ければの話だが。
もし、アルキエルの攻撃に対応出来る力が有れば、それは大きな弱点となる。現に、ロメリアから致命的な一撃を受けている。
「見てろ。面白れぇのは、これからだ」
冬也の言葉通りであった。壁に着地した後、床に降りて体勢を立て直したアルキエルの瞳は、試合前のそれとは明らかに違った。ブルを格下ではなく、同等若しくはそれ以上だと判断したのだ。
「面白れぇな。いいぜブル、楽しくなって来やがった」
「今更、本気を出しても、遅いんだな」
冬也が敢えてブルに頭を下げたのは、この試合を通して、アルキエルの成長を望んだからである。
自分より弱いと判断すれば、自ずと弱点は露呈する。冬也は、初めて対峙した時からアルキエルに勝利している。言わば、アルキエルにとって最大の強者は冬也なのだ。
冬也との手合わせでは、アルキエルとて工夫を重ねる。ただ、冬也の工夫が上回るだけ。冬也と幾ら手合わせしても、その弱点を体で理解させる事は出来ない。
声を荒げた後、飛び出したアルキエルのスピードは、最初の攻撃よりも数段早い。最初の攻撃は、レイピア達でも目で追う事が出来た。しかし、今のアルキエルのスピードは、レイピア達では目で追う事は出来ない。それは当然、ブルもである。
アルキエルは、死角に回り込むと敢えて殺気を放つ。ブルが、それに反応する事を見越して。そして、すかさず殺気を消しブルの死角からも姿を消す。
視界ではなく、気配を頼るしかないブルは振り向かざるを得ない。その瞬間、背後に回ったアルキエルの拳がブルに降り注ぐ。
だがその拳は、ブルの手のひらで往なされ床へと一直線に進む。完全に体勢が崩れたアルキエルにブルの拳が再び襲う。しかし、床に向かった拳の勢いを利用して、アルキエルが体を回転させ、ブルの拳を躱しつつ踵落としを放つ。
ブルは、踵落としを避ける様に後方へ下がり間合いを取る。しかしそれは、悪手だと言えよう。対格差が違うならリーチも異なるはずである。遠間から攻撃出来るアルキエルに対し、ブルは近間でしか勝負が出来ない。
この瞬間、互角とも思えた攻防は、アルキエルに形勢が傾く。拳や蹴りだけでなく、アルキエルは素早い動きで翻弄する。そして、ブルに考える暇を与えない連続攻撃を続ける。
四方八方から飛んでくるアルキエルの攻撃を、躱し続けるブルは流石だと言える。しかし、反撃する機会は見つからない。仮に僅かな隙が有ったとしても、ブルではそれを突く事は出来ない。それ程に、アルキエルの攻撃は止まる事無く続けられた。
ただしブルは、そんな事で屈しない。反撃の糸口を見つける為にギリギリで攻撃を躱し続ける。
攻勢に転じながらも、決定的な一撃を繰り出せないアルキエル。防御だけに止まり、反撃の機会を見いだせないブル。試合が膠着状態に入り、一時間が経過しようとしていた。その時、地下への扉が開き階段を下りてくる音が聞こえた。
「あんた達、いつまでやってんの? お兄ちゃんも早く出かけないと、もう時間だよ!」
涼やかな声が響き渡り、アルキエルとブルは動きを止める。そして、冬也は慌てた様に立ち上がる。
「わりぃ、みんな。朝飯を作ってる時間がなさそうだ。ペスカ、後は頼む」
「無理だよ、私も出掛ける時間だもん。朝ごはん抜きになっちゃったよ」
「悪かった、明日は気を付ける。みんな、朝飯は誰かに頼んでくれ。じゃあな」
冬也は、取る物も取り敢えず、訓練着のまま家から出る。その後に続く様に、ペスカも外出する。水を差された形になり試合は中止、そのまま訓練はお開きとなった。
「仕方ねぇ、勝負はまたにするか」
「もう、嫌なんだな」
「はぁ? ふざけんじゃねぇぞ、ブル!」
「アルは、そろそろ学習するんだな。おではアルに勝てないけど、アルもおでに勝てない。疲れるだけなんだな」
「言ってくれるじゃねぇかよ。ならもう一度勝負して、決着つけようじゃねぇか」
「だから、嫌だって言ってるんだな。おでは、作物の世話が有るんだな。忙しいんだな」
「おい、こらぁ! ブル! 待ちやがれ! ブル!」
「うるさくしたら、近所迷惑なんだな。ゲームなら、相手をしてやるんだな」
「それじゃ、勝負にならねぇだろうが!」
「アルは、直ぐに熱くなるから負けるんだな。弱っちいんだな」
余程、ブルとの試合が楽しかったのだろう。家庭菜園に向かうブルを、アルキエルは執拗に追いかける。そして、取り残されたレイピア達は、圧倒されたまま暫く動く事は出来なかった。
ただ、彼らは知らない。
いつもなら冬也は、朝食の準備をしてから出掛ける。その冬也が出発時間のギリギリまで、地下の訓練所に居た。では、誰が朝食の準備をしているのか。それは、気が回る翔一である。
しかし、如何に器用な翔一でも料理は不慣れである。たどたどしい手付きで作られた料理は、冬也のとは比べるまでもない。
「おい、翔一。昼は、少しマシな飯を食うぞ」
「そうだね。ごめん、みんな」
アルキエルに、翔一を責める気持ちは全く無い。苦い顔で食べ進めているが、皆も同様である。そして、珍しく全員が一緒に行動する事になった社会見学ツアーで、昼食が豪華になったのは言うまでもない。




