第四百八十六話 遼太郎の決断 後編
ミスラの神格を失った遼太郎の魂魄を、維持する方法は二つ存在する。一つは、いずれかの神の眷属になり加護を受ける事。もう一つは、ミスラが存在していた事を魂魄から完全に消し去り、長い時間をかけて修復を行う事。それに関して、アルキエルは既にペスカと冬也に告げていた。
「あいつは、誰かの眷属になるたまじゃねぇ。目的もねぇまま、生き延びる事を良しとはしねぇ。あいつは、俺の為に戦い続けたんだ。そろそろ、逝かせてやってくれ」
それは奇しくも、遼太郎の考えと同じであった。
「魂魄の持ち主には悪い事をした。だから返さねぇとならねぇよ。何て言うか、永遠の別れじゃねぇって。ミスラの神格の半分は、お前の神格の核になっている。もう半分はアルキエルに融合された。お前等の中で、ミスラは存在し続ける。まぁ、俺とは全くの別もんだがな」
「それって永遠の別れじゃない。パパリンって、やっぱり馬鹿なの?」
「うるせぇよペスカ。俺が納得してんだ、それで良いじゃねぇか」
「あのなぁ、糞親父。てめぇが納得してんなら、俺は一向に構わねぇよ。だけど、アルキエルが本心で、あんな事を言ったとでも思ってんのか? てめぇは、親友の気持ちもわからねぇ程、馬鹿なのか?」
「あぁ? 何だと冬也! 俺が何にもわかってねぇとでも言いてぇのか!」
「わかってねぇだろ。現に、てめぇの中だけで、勝手に完結させてんだろ!」
「冬也! ガキのお前にはわからねぇんだよ。俺はここに至るまで、何千、何万の人間を殺して来た。そうやって、アルキエルに対抗出来る力を蓄えて来たんだ! もう充分だろうが!」
「それが勝手だって言ってんだ! てめぇがアルキエルの親友だって言うなら、あいつの気持ちを汲んでやれ! 残される奴の想いを汲んでやれ! 独りで完結すんじゃねぇ!」
「うるせぇ! ミスラの存在は、役目を終えたんだ。もう必要ねぇんだ! 返さなきゃいけねぇ時が来たんだよ! その位わかりやがれ、糞馬鹿野郎!」
「どっちが馬鹿だ! てめぇが、どんな事をして来たかなんて関係ねぇんだよ! てめぇは、三島のおっさんに家族になるって言ったんじゃねぇのか! 深山には何て言った? どうせ、生きて償えとでも言ったんだろ? 協力するとでも言ったんだろ? それを放棄して、てめぇ独りで逃げんのか? あぁ? どうなんだよ!」
「勘違いしてんじゃねぇよ! 俺が消えるのは、生涯を全うした時だ! 意地でもそれまでは、生き抜いてやる! この魂魄は自壊させねぇし、あいつらも見捨てねぇ!」
冬也と遼太郎は睨み合う。恐らく互いに譲らない。それは、両者共に理解していた。冬也はアルキエルや残された者達の為に。そして遼太郎は、名も知らぬ魂魄を輪廻に戻す為に。
どっちの言い分が正しいのか、それは誰にも決める事は出来ないだろう。ミスラという存在が有って、遼太郎という人間がここに居るのだ。
遼太郎の選択では、魂魄はミスラの神格と融合する前の状態に戻る。それは一見すれば、正しい事の様にも思える。ただし、遼太郎という存在を愛した者もいるのだ。その想いを置き去りにしてまで行うべきなのか。
ミスラと融合した魂魄は、アルキエルを倒せる者を生み出す為だけに、戦いに身を置いてきた。だからアルキエルは、宿命に縛られるだけの状態から、ミスラを解放させる事を望んだ。
正しい答えは存在しない。どちらを選択するのか、結局は本人次第なのだ。ペスカと冬也でさえ、遼太郎の決断を止める事は出来ない。たった一柱を除いて。
だから冬也は事前に呼んでいた。そして、凛とした声が墓地に響く。それは美しさの中にも、憤りを含めた複雑な旋律の様であった。
「遼太郎さん。それは、夫婦の問題じゃないんですか? あなたの選択に、私が納得するとでも?」
「フィアーナ! なんでここに?」
「神気を感じられない今のあなたでは、わからないでしょ? わたしは今日、ずっとあなたの隣に居たんですよ」
女神フィアーナの登場で状況は一変した。
先の武闘会で、遼太郎がミスラの記憶を取り戻した時、フィアーナはこの状況を予測していたのだろう。冬也の呼びかけに一も二も無く応じて、日本に訪れていた。敢えて顕現していないだけで、この日はずっと一緒にいたのだ。
気が付いていないのは、遼太郎だけである。
ブルとアルキエルは、フィアーナが居る事をわかっていた。ブルが着いて来ようとしたのは、遼太郎を心配したからである。フィアーナは車内でも一緒だった。そして、ペスカは敢えてフィアーナを居ない者として扱っていた。
自分では説得が出来ない事を、冬也は理解していたのだ。だから、口論になった際の仲裁と、遼太郎の説得をフィアーナに頼んだ。そして、フィアーナは用意していた。
遼太郎が何を言おうと、フィアーナは論破する。冷静に、且つ徹底的に、ぐうの音も出ない程に。
それは、数時間に渡って行われた。どれだけ意地があっても、説得する為の準備を重ねて来たフィアーナには勝てない。そして、フィアーナは一歩も引かない。
「別に、あなたが消滅する必要は無いんですよ」
最終的に、遼太郎を頷かせたのは、フィアーナが用意した第三の選択肢であった。それは、ペスカをして考え付かない方法でもあった。
今生を全うした後、魂魄に残るミスラの記憶を分離する。その記憶に神気を与えて神格を作り上げ、遼太郎をロイスマリアの神として迎える
魂魄は多少の修復が必要になる。ただその提案ならば、強引に存在を奪った魂魄を元の輪廻に戻す事が出来る。そして、遼太郎の理由は消滅する。
「夫婦なんです。一緒にいて当然でしょ? それとも、まだ言い訳を続けるつもりですか?」
「はぁ。俺の負けだ、フィアーナ。ずっとお前の傍にいてやる。お前等もそれで良いんだろ?」
「初めから素直に、そう言ってりゃ良いんだよ。糞親父」
「もう、良いじゃないお兄ちゃん。そうやって、パパリンに喧嘩を売らないでよ」
「そうだ、糞息子。お前は少し黙ってろ!」
「うっさい、パパリン! パパリンは、三島のおじさんに結果を教えてあげなよ」
「はぁ? なんで、健兄さんが出てくんだ?」
「だって、三島のおじさんは、土下座して頼んで来たんだよ。遼太郎の事を頼むってさぁ。お兄ちゃんにも土下座してたよね」
「ったく、どいつもこいつも」
遼太郎は、溜息交じりに苦笑いを浮かべる。事情を知る者全てが、遼太郎の為に考え、行動していたのだ。遼太郎の中に、温かい気持ちが溢れる。そして、遼太郎は誰にも気付かれない様に、そっと涙を拭った。
「冬也君、見直した? 母は強しでしょ?」
「あぁ。流石だよ」
「ただのロリババアじゃなかったね」
「ペスカちゃん。お仕置きされたい?」
何が有ろうと決して、家族の絆は途絶えない。その結果を導いたのは、深い愛が有ったからなのだろう。