第四百八十四話 深山の決意 後編
茫然自失と言うのが正確だろう。頭の中を流れる映像を受け止めきれずに、だらしなく口を開き、唯々涙を流していた。
全ての記憶を流し終わると、飯縄権現は深山から背を向ける。だが次の瞬間、深山は舌を噛み切ろうと大きく口を開いた。
計画が破綻し、戦争を止める事が出来なかった。多くの人々が犠牲となった。何よりも、葛西と山岡が米軍の手で惨殺された事は、深山の心に深い傷を作った。
ましてや、自らの能力が暴走した事が邪神を誕生させた遠因となった。世界を崩壊に導いた。
それは深山にとって、絶望以外の何物でもあるまい。
深山の自傷を察し遼太郎は飛びかかる。そして深山の口を押えながら、頭を布団に押し付ける。そのまま遼太郎は、深山に馬乗りで跨り、激しい口調で怒鳴りつけた。
「深山てめぇ! 自分が何をしようとしたか、わかってんのか!」
「なんで、なんで、殺して、殺してくれなかった。なんで、あのまま殺してくれなかった。なんで、なんで、なんで俺なんかを助けた」
「てめぇ、いい加減にしろよ!」
「あいつらが、なんで死ななきゃならない。俺が死ぬべきだったのに」
「そうじゃねぇだろ! 誰も死んで良い理由にはならねぇ!」
深山は泣きながら喚き散らす。その言葉は、段々とヒートアップしていく。痛嘆の想いを、遼太郎にぶつける様に。例えそれが、筋違いであったとしても。
同時に、それは遼太郎流の優しさなのだ。深山が沈鬱の果てに、心を閉ざしてしまわない様に。遼太郎は、激しく深山の心を揺り動かそうとしている。
「なら、何であいつらを殺したんだ! どうしてだ! どうしてだよ! 最悪の事態を阻止する為に、悪名を背負って来たんだ。あいつらは、関係ないだろ! 俺を殺せよ! 殺せよ!」
「ふざけんじゃねぇ! 本気でそんな事を言ってんのか? お前の能力が暴走したんだ。そうじゃなきゃ、米国はてめぇらを見限らなかっただろうよ」
「うるさい! そんな事はわかってる! 全部、俺の責任だ! あいつらを殺したのは俺だ! なんで、死なせてくれない! なんでだ! なんでだ! それがあんたの優しさとでもいうのか! 冗談じゃない! それなら、なんでもっと早く助けてくれなかった! なんでだ! なんでだよ! 今更、手を差し伸べるなよ! 遅いんだよ!」
深山の発する言葉は、理にかなってない。子供の喚きと然程の変わりが無い。しかし、その気持ちは痛い程に理解出来る。その溢れ出す悲憤は、真っ直ぐな想いを利用した三島の心を抉る。
そして深山の悲痛な叫びは続く。どれだけ喚いても心は晴れないだろう。ぶつける相手が違う。そんな事は充分理解している。遼太郎は、常に手を差し伸べてくれていた。その手を払い除けて、自分の道を進んだ。
今更なのは、自分の方なのだ。
遼太郎を責めてはいけない。でも、ぶつけるしか出来ない。甘えるしか出来ない。やるせない感情を整理する術がわからない。
深山自身が、気付いてない。
未だ痛み続ける心とは裏腹に、遼太郎に吐き出す事で、深山の頭がクリアになっていく。そして深山は今、まともに動かせない体を少しずつ動かし始めていた。指から手、手から腕へと動かして、遼太郎の拘束を解こうと、抵抗を始めていた。
それこそが、遼太郎によって呼び覚まされた、生き抜こうとする意志の力である。一方、黙って見つめていただけの三島が口を開こうと、姿勢を少し前のめりにする。
遼太郎は、命を賭けてお前を助けたんだ深山。
口から飛び出しかけたその言葉を、三島は敢えて呑み込んだ。何故なら、飯縄権現は全てを伝えたはずだから。今更それを自分が言った所で、くどいだけであろう。
そんな三島の様子を、遼太郎は横目で見遣ると少し頷く。そして喚き散らし、抵抗し続ける深山に対し、落ち着かせる様な静かな口調で語った。
「お前は、手段を間違えた。お前を止める事が出来なかった俺も同罪だ。だから全部、一緒に背負ってやる。生きて罪を償え」
その瞬間、深山は喚く事、そして体を動かし抵抗する事を止めた。ボロボロと涙をながし、子供の様に声を上げて泣いた。
遼太郎は、深山の上から退き畳の上で胡坐をかく。そして三島は、遼太郎の隣に移動する。両名は、深山が落ち着くのを待った。
深山は、何時間にも渡って泣き続けた。涙が枯れ果てた頃、深山は少しずつ冷静さを取り戻していく。深山が落ち着いた頃を見計らい、三島が語り始める。
「責められるのは、私だ。私に全ての責任が有る。そして私も、君と一緒だ。死ぬ事は出来なかった。死んで楽になるなんて、許さないと言われたよ。だから、私は生きて償う。君が持つ本当の能力は、異能の力じゃない。君の能力は、これからの世界に欠かせない。だから、協力してくれないか。この世界が真の平和になる為に。君の理想を叶える為に」
深山は、直ぐに答えを返す事は出来なかった。そして己の中で、語られた事実を反芻し続けた。
冷静になればわかる。遼太郎と三島の語る事は尤もなのだ。道を間違え大切な仲間を殺した。自分の行動が世界に危機を齎せた。
悔恨の念は尽きない。先程の様に当たり散らせば少しは軽くなる。しかし、そんな簡単な方法では、この痛みは決して消えてくれない。向き合わなければいけない。背負わなければいけない。償わなければいけない。
全て理解している。しかし、理屈ではないのだ。
真っ直ぐであるが故に、深山は受け止めきれないでいる。そして、遼太郎と三島は飯縄権現に促され、深山を一人にする為に席を立った。
ここは、飯縄権現の領域である。そして飯縄権現は、三人が現世での感覚が狂わない様、領域内へ昼と夜を作っていた。
その夜、深山は一睡もせずに葛藤を続けた。そして、一つ一つ整理する様に、全ての事柄を思い返していた。
何が間違いだったのか? 支配出来る能力を使った事から、間違いであった。人の心を縛り、己の目的を達成する事は、ミストルティンと何が違う? 同じだろう?
間違いを犯していた。それしか方法が無いと思い込んでいた。差し伸べられた手を、取れば良かった。そうすれば大切な仲間を失わずに済んだ。多くの人を犠牲にしなくて済んだ、世界中に悲しみを植え付けずにすんだ。
そしてようやく整理が出来た頃、深山を見守っていた飯縄権現が静かに語り出した。
「誰もが道を間違えるのだ。神でさえも道を間違える。それなのに、人間だけを責められようか。なぁ、彼らは、もう一度そなたに手を差し伸べている。そなたは、再びその手を払うのか?」
深山は顔を上げ、飯縄権現の目をじっと見つめる。その瞳は、言葉以上に雄弁であった。
間違えたのなら正せばいい。やり直せない事など、この世界には存在しない。そなたには、償える機会が与えられたのだ。それが、真っ直ぐに平和を求めた、そなたへの褒美だ。
だから、受け取れ。そして、差し伸べられた手は二度と離すな。彼らと共に、もう一度やり直せ。それが亡き友への手向けになろう。
飯縄権現に向かい、深山は黙って頷いた。
翌朝、深山が籠っていた一室に、遼太郎と三島が訪れる。二人は深山の変化に、直ぐ気が付いた。失っていた光が、深山の瞳に戻っていたのだ。そして深山は、再び世界の為に尽くす決意を述べた。
「先輩。三島さん。俺はもう一度、やってみます。自分の中から、能力が消えた今ならわかります。能力なんかに頼って、世界を正そうとしても、いずれ破綻する。それは皆が望む世界ではなく、俺が強引に創り上げた世界だから。次は間違えない様に、正しい方法で」
「あぁ。今度は一緒に戦ってやる」
「心強いです、先輩」
「私もだ。深山君」
「三島さん。よろしくお願いします」
それは、汚れた英雄が、真の道へと進む瞬間であった。
程なくして、衆議院解散による選挙が行われ深山が出馬する。そして深山は当選し、一年目にして入閣する。外交経験を活かし、外務大臣として活躍する事になる。
一方、国連が解体された後に、新たな国際的な組織が誕生する。新たな組織のアドバイザーとして、三島が就任する事になる。
世界は、新たな一歩を踏み出そうとしていた。