第四百八十一話 ブルのこだわり 後編
一連の行動を理解出来ない、レイピア達異界からの訪問者は、翔一から委細を聞き少し苦笑いを浮かべていた。
目的のスーパーまでは、然程の時間をかけずに到着する事が出来た。ただ、予想通りと言ってもいいだろう。戦時下において、緊急避難警報が発令されている。当然、買い占め等も起こったのだろう。
生鮮食品に限らず、飲料水やカップラーメン等のインスタント食料の棚も閑散としている。
ガランとしたスーパーの食品売り場で、冬也は売れ残りの食品を片っ端から、籠へと入れていく。だが冬也の行動に、ブルはこれまで見た事も無い程の、苦い表情を浮かべていた。
「全部、美味しくないんだな。でも放置してたら、みんな腐っちゃうんだな。手に入れるのは、仕方ないんだな。なんだか、許せない気持ちでいっぱいなんだな」
新鮮でない野菜を提供するのは、農耕の神として許し難い行為なのだろう。しかし、食料品を腐らせる事は、もっと許せない事なのだろう。
ブルは、戦時下における食料供給の重要さを、誰よりも深く理解している。だからこその言葉だったのかもしれない。
終始、むすっとした表情でブルは冬也の後ろをついて歩く。幼い割には、非常に聡いブルである。ある程度の予想はしていた。しかし、その反面で初めて来る異世界の市場に、ワクワクもしていた。
いったいスーパーとは、どんな物を売っている場所なのか。野菜は異世界とロイスマリアで違いがあるのか? 肉や魚の種類は?
恐らく、商品が棚に充実している通常営業時でも、ブルはカルチャーショックを受けたに違いない。
基本的には、死んだ魚がパック詰めされるのだ。ましてや三枚おろし等で、切り身にされていれば、元の魚がどんなものか、わかりはしない。
肉についても同様だ。百グラム幾らでパック詰めされた肉は、どんな家畜のどの部位なのか、わかる訳がない。
異世界から訪れた者からすれば、トレイ等は邪魔でしかない。そもそも綺麗に棚に並べられた物が、食べ物だと思うかどうかも定かでない。
更に加工食品の数々。レイピア姉妹やゼルが、もしカップラーメンを見たら、食べても大丈夫なんですかと、問うに違いない。
日本の当たり前が、海外での当たり前じゃない様に。海外での当たり前は、日本の当たり前ではない。当然、地球の常識はロイスマリアの常識ではない。
特に農耕の神ブルからしてみれば、生鮮食品は期待外れであった。しかし加工食品の中でも、調味料やジャム類、農作物缶詰等の加工食品に関しては興味を示し、冬也に質問を重ねていた。特に、日本食の根幹を成す調味料である醤油や味噌等に対して、深い興味を示していた。
ブルにとっても幾ばくか、得られるものが有ったのだろう。会計を済ませ車に戻る頃には、やや態度が軟化していた。
「冬也。醤油と味噌を作ってる所を、見たいんだな。後は、この世界の農業も知りたいんだな」
「おぅ、いいぜ。願ってもねぇ事だ。こっちにいる間は、色んな所に連れてってやる。現地で色々学んでくれ」
「これで、向こうでもちゃんとした日本食が食べられるね」
「あぁ、ブルのおかげだ」
ブルのおかげか、車内に会話が戻って来る。しかし、ブルの言葉は、それだけでは終わらなかった。
「おでは怒ってるんだな。冬也とペスカは、食べ物に好き嫌いをしちゃ駄目なんだな。納豆っていうのが、どんな物かわからないけど、毒って言ったら、作った人が可哀想なんだな」
ブルの見た目は、幼稚園児か小学校に入りたての子供だろう。その子供に叱られて、肩を落としている様は、シュールな光景だ。運転をしていた安西は思わず吹き出す。そして、呆れた様に口を開いた。
「お前等より、このチビっ子の方が、よっぽど大人だな」
確かに、見た目に反してブルは、精神的に立派な大人なのだ。
「今回は、緊急事態だから許してあげるんだな。でも、次は無いんだな。食料が流通してないんだったら、おでが作るんだな。おでが、みんなを腹いっぱいにしてやるんだな」
このブルが吐いた言葉は、一部の者を除いて皆に衝撃を与える事になる。
冬也達が帰宅した頃には米が炊けており、納豆で食事を済ませた者が何名かいた。しかし、米国出身のエリーには、納豆が合わず手を付けていない。林に関しては量が足りないと、買い出しから戻るのを待っていた。
帰宅するなり、冬也は調理を始める。その一方で、レイピア、ソニア、ゼルの三名が顔を付き合わせて、話しをしている。特に、レイピア、ソニアの二名は、初めて納豆を口にし、複雑な表情を浮かべていた。
「頂戴出来るだけ、有難い事です。文句を言える筋合いではありません。しかし、なんとも奇妙な食感と味ですね」
「レイピア殿。これはエルラフィアの一部で流行っています。こちらの名産を、ロイスマリアに持ち込んだんですね」
「ゼル、持ち込んだのはシルビア殿でしょう。しかし、人間には問題なくても亜人には向かない味です。大抵の亜人は鼻が利きます。特にドッグピープルやキャットピープルには、この匂いは辛いと思います」
「姉さん。魔獣の方々も同様なのでは?」
「確かに、お二方の仰る通りかもしれません。だから、エルラフィアの一部でしか、流行っていないのでしょうね」
「ゼル。あなたは、この食べ物が平気なのですか?」
「えぇ、私は。しかし、同じエルフ族であっても、クラウス殿とお二方では味覚が違うのですね?」
「それは個人差ですよ、ゼル。あの子は、兄クロノスと同様で革新的ですから」
真面目な顔で、慣れない食べ物について談義するのは、外国人旅行者の反応にも似ている。やがてその談義には、ブルやエリーが加わり、安西や林も加わる。そして、日本独特の食べ物の試食会へと移っていった。
梅干し、イカの塩辛、イナゴの佃煮等。食料棚を探せば有るのだ、遼太郎が酒のつまみとして、買い貯めていた物が。どれも、日本酒の隣に置かれていた為、冬也の目に入らなかったのだろう。
エリーはどれも、複雑な表情で口にしていた。しかし意外にも、レイピア達ロイスマリアからの客人には、概ね好評だった。
そしてブルは、一つ一つ加工方法を尋ねる。それを林が、即座にネットで調べて、丁寧に答える。そんな光景も新鮮かもしれない。
段々とリビングが騒がしくなる中、冬也の料理が完成し、納豆だけでは物足りなさを感じていた者達の腹を満たす。
腹が満たされれば、自然と眠気も襲って来る。各自が与えられた寝床へと向かい。東郷邸には、再び静寂が訪れる。
しかし、翌朝一番で目を覚ました空は、リビングのカーテンを開けた瞬間に、腰を抜かして床にへたり込んだ。次々と目を覚ます特霊局の面々も、リビングの窓から見える庭の変貌に、言葉を失っていた。
その後、リビングに入って来た、アルキエルは笑みを深める。そして、最後にリビングへやって来たペスカと冬也は、苦笑いを浮かべた。
「みんな、わりぃ。言っときゃよかったな。だけど、すげぇ旨いから、食べてみてくれ」
東郷邸の庭は、家庭菜園と化していた。しかもたった一晩で、野菜や果物が実を付け、食べごろになっていた。もう、家庭菜園のレベルは遥かに超えているだろう。そして、ブルが育てた野菜を初めて食べた者は、感動の涙を流す事になる。
また、近所に配っても充分な程、毎日新鮮な野菜や果物が収穫が出来る。そして、近所に住む者達も、ブルの有難さを知る事になる。
「これも有る意味、飯テロだよね。私達が帰ったら、この近所は大変な事になるね」
「まぁ、大丈夫だろ。暫くは、ブルの神気が庭の土に残るだろうし」
「そういう事じゃないんだけどさ、まぁいいや。お兄ちゃんって、妙な所でアバウトだよね」
「うるせぇよ」
その後、東郷邸の庭は、豊かな実りの有る、不思議な場所として名所になる。その裏で、管理する苦労が有った事は、また別の話し。