第四百七十話 邪神ロメリア ~贖罪~
神域を維持しながら、冬也はアルキエルに神気を渡していた。倒れたアルキエルは、少しずつ回復していく。飯縄権現が邪神ロメリアを拘束し、ブルが倒れた仲間達を守っている。
戦況は膠着状態に入っていた。羂索の効果は、予想外に強かったのだろう。ロメリアは身動きが取れずにいる。
しかし、如何に羂索の力を持ってしても、ロメリアを浄化する事までは出来ない。そして、世界に悪意が満ちている限り、邪神の力が弱まる事は無い。
冬也はアルキエルを回復させながらも、邪気に汚染された土地の浄化を行い、神域を維持を確かなものにする。
そしてロメリアの強大な力は未だに健在である。大人しく拘束され続ける訳が無く、羂索を引き千切ろうと激しくもがく。少しでも気を抜けば、膠着状態が一気に崩れる。
そんな緊張感の中、遼太郎は目を覚ました。それは、平和宣言が行われる少し前の事であった。
遼太郎は目を覚ますと、自分の身体が動かない事に気がつく。それもそのはず、全身のエネルギーを使いきった様な状態なのだ、指一本とて動かす事は出来ない。それでも遼太郎は、頭を動かして周囲の様子を探る。
そして、遼太郎が目を覚ました事に気がついたレイピアとソニアは、直ぐに駆け寄ろうとして、足から崩れる様に倒れた。
「馬鹿野郎、無理すんじゃねぇ! お前らは、俺より酷い状態だろ! そのままブルに守られて、寝てろ!」
「我々の不甲斐なさを、お笑い下さい」
「申し訳ありません、ミスラ様」
「馬鹿野郎! そんなボロボロになるまで、頑張った奴を誰が笑うんだ! お前達が、守ってくれたんだろ? それ位は見なくてもわかるぜ! 今の俺に神気はねぇ。本当に唯の人間だ、それでもマナの流れは感じ取れるぜ。お前等のおかげで仲間が無事だった。ありがとうな」
尊敬する者からの温かい言葉に、心を動かされない者はいない。再びレイピアとソニアの瞳からは涙が流れる。そして遼太郎は翔一達の方に顔を向ける。
「空は倒れちまったか。無理させたな」
「大丈夫なんだな。冬也の神域に居る限り、時期に回復するんだな。じいじも、大人しくしてると良いんだな」
「誰がじいじだ! ペスカの言葉を真に受けてんじゃねぇ! でもよブル。ありがとな」
「どういたしまして、なんだな」
ブルは、その一つ目を細くする様にして、笑顔を作った。
「東郷さん」
「なんだ、翔一。随分ボロボロじゃねぇか!」
「東郷さん程じゃないですよ」
「そりゃそうだな」
心配そうに声をかけた翔一に対し、茶化す様に遼太郎は返す。それが遼太郎らしい思いやりなのだろう。そして、僅かに時間を置いた後、静かに遼太郎は語りかけた。
「翔一、よく頑張ったな。お前は、すげぇよ。あんな奴に立ち向かったんだからよ。安西や皆を守ってくれて、ありがとな。あいつらだけじゃねぇ。お前が立ち向かってくれなきゃ、冬也は今ごろ死んでたかも知れねぇ。ほんと、ありがとな」
横を向けば冬也は今も必死の形相で、悪意を寄せ付けぬ様に、邪気からこの地を守る様に、神域を維持している。
もし、ほんの少しでも親友の力になれたとすれば、これ以上に嬉しい事はない。目が涙で霞む、嗚咽で言葉が出ない。翔一は、大きく何度も頷いて遼太郎に答えた。
「ゼル。見違えたぜ、強くなったなぁ」
「いえ、結局今回も力になれず」
「何言ってやがる、充分だぜ。ここに居たのがモーリスなら、正義感だけで立ち向かったろうよ。でも、サムウェルだったら、直接戦う事を嫌がって搦め手を考えただろうな。でも、お前は違うだろ? 真正面から挑んだんだ、すげぇ事なんだぜ。これはお前の英雄譚の一つだ、なぁゼルよぉ」
ゼルは言葉を噤んだ。正確には、上手く声を出せる自信が無かった。ボロボロと涙は零れる。まだやれた、まだ修行が足りない。そんな後悔の中でかけられた労いの言葉は、何よりゼルの心を揺さぶった。
「遼太郎殿。無事にお役目を果たされましたな」
「けっ! 一人で涼しい面、してんじゃねぇ! 他の奴らみてぇに、お前も泣け! いや、よく見りゃ涙の後が有るじゃねぇか!」
「これは失礼。お恥ずかしい所を、お見せしました」
「恥ずかしかねぇだろ。俺からすりゃあ、長生きのエルフだって、ガキみてねぇなもんだ。悔しければ泣け! 泣いた分だけ強くなれ! てめぇは小難しく考えすぎだ! 単純でいいんだ馬鹿野郎」
クラウスは少し苦笑いをすると、遼太郎に対し深く頭を下げた。
色々な想いが有る。悔しかろう、情けないと思うだろう、だけど上を向け。未来を見ろ。まだ戦いは終わってねぇ。飯縄権現が戦ってる。冬也が踏ん張ってる。ペスカも何処かで踏ん張ってるはずだ。だから、あいつらの戦いを最後まで見届けろ。
そんな遼太郎の想いは、彼らに伝わったはずだ。しっかりと、最後まで見届けようと、戦いへ視線を移す。
体に力が入らないのだ、声を出すのも辛いはず。ましてや声を荒げるのは、もっと辛い。そんな状態の中、皆に声を掛け続けていた遼太郎は、少し大空を見上げる。
そして、やや視線を横に移せば三島が目を閉じている。そう言えばあれ以降、まだ三島とは話をしていなかった。ふと、そんな事を考えていた時、三島がゆっくりと目を開けた。
「東郷君。目が覚めたんだね、よかった」
「け、健兄さん! 起きてやがったのか?」
「まだ私を、その名で呼んでくれるのか? 遼太郎」
「ったりめぇだ。俺達は家族だろ?」
「家族らしい事は、何一つして来なかったけどね。それに私は、兄としては最悪だ」
「まぁ、そうだな。世界をぶっ壊そうとしたんだ。最悪の兄貴だぜ」
「そう、最悪だよ。この状況を見て、初めて理解したんだ。なぁ、遼太郎。私は後悔しているよ。何もわかって無かった。こんなにも長い時間、生き長らえて、何一つ学んで来なかった。私は愚か者だ!」
「健兄さん……」
「こんな悪夢を作りだしたのは、私だ」
「いや、それだけじゃねぇだろ? 組織の連中だって」
「違う! 私なんだ! ペスカ君の話しの真意を理解していて、この状況を引き起こしたのだ!」
遼太郎の言葉を遮る様に、三島は声を荒げる。そんな三島を、遼太郎は目を丸くして見ていた。
長く傍にいた遼太郎でさえ、三島が感情を露わにする所を、ほとんど見た事が無いのだ。いつも冷静沈着、子供の時でさえも達観した様な雰囲気を漂わせていた。そんな三島に対し、遼太郎は直ぐに声をかけられなかった。
「遼太郎。私はね、君が家族だと言ってくれた事が嬉しかった。思えば、私には家族と呼べる者が居なかった。でも特霊局、あそこが私の家だったのかも知れないね。だからこそ、私は償わなければならない。そうだろ? 家族を傷付けたんだ。大切な家族を壊して、世界を破滅に誘った。それは、死よりも重い罪だ!」
「ちょっと待て! 何をするつもりだ!」
遼太郎は三島の行動を見て、思わず声を荒げた。
三島が無茶な事をしない様に、骨を砕いたのだ。立てるどころか、起きる事も不可能なはず。しかし、三島は痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと体を起こす。しかし、立つ事は出来なかったのだろう。這いずる様にして、ロメリアに向かっていく。
「止めろ! 何をしようとしてんだ!」
遼太郎の言葉を無視する様に、三島は這いずりながら進む。言えば止められる。言わなくても止められる。
しかし、自分のしでかした事を、自分で始末を付けられなくて、どうする。自分を兄と呼んでくれる遼太郎に、どんな顔をすればいい。
何の力も持たぬ、神気を扱うどころか、マナを扱う事も出来ない、唯の人間。機械で体を乗り換えてきただけの、唯の人間。
そんな人間に何が出来る。唯一、三島に出来る事が有るとすれば、ミストルティンが持つ最終兵器の使用のみ。
それは、魂という目に見えぬ物や、精神体を強引に封じ込めて消滅させる。体の入れ替えとは真逆に位置する、魂を扱う技術を有するから可能にした技術である。その技術を持って三島は、ロメリアを消滅させようとしていた。
「よせ! やめろ! 健兄さん!」
遼太郎がどれだけ叫んでも、三島は聞き入れようとしない。
「ブル! 頼む、健兄さんを止めてくれ!」
ブルが遼太郎に頷き、三島を止めようとした時、後方で高笑いが聞こえた。
「はっははぁ。良い面構えになったじゃねぇか、ガキぃ! 何なら、ロメリアの所まで、俺が運んでやろうか?」
「馬鹿か、アルキエル! 止めろって言ってんだ!」
「馬鹿はお前だ、ミスラぁ。あいつの魂魄がどんな状態か、薄々わかってんだろ? 殺してやった方が、奴の為だぁ」
「そういう問題じゃねぇ!」
「だったら何だ? 奴に生を全うさせた後は、消滅しろってか? まぁ罪を犯したってなら、そんな罰も有りだがよぉ」
冬也から神気を受け取ったアルキエルは、戦えずとも歩ける程には回復していた。アルキエルは大股で歩きながら、三島に近づく。そんなアルキエルを、遼太郎は声を荒げて止めようとする。
両者の意見は、恐らくどこまでいっても平行線だろう。一人の人間として、家族を失いたくない。その一方で、本人の事を思えば今すぐ魂魄の修復を行った方が良い。
意見は対立し両名は睨み合う。そして三島はずりずりとロメリアに近づく。どちらの意見も理解出来るブルは、立ち往生している。
このままでは、本当に三島は兵器を使うだろう。ペスカが、ミストルティンの本拠地で、壊した兵器を。三島が最悪のケースを想定して本拠地から持ち出した兵器を。
だが次の瞬間、ペスカが作ったゲートが光り出す。ゲートからは、呆れたような声が聞こえて来た。
「はぁ、全く。帰って来た早々、この状況って。パパリンとアルキエルは、何やってんの? 馬鹿なの?」
「あぁ? ペスカかぁ? てめぇ帰って来やがったのか?」
「うっさい、アルキエル。あんた、まだ戦えもしない癖に、何してんのよ! どうせ一番に突っ込んで、ボコボコにされたんでしょ? 大人しくしてなよ」
「てめぇ、調子に乗るんじゃねぇ!」
「あ~、ハイハイ。それと、パパリン。アルキエルが言ったのは、本当だからね。三島のおじさんは、直ぐに魂魄を修復した方がいいよ。でもね」
ペスカは、そこで言葉を止めると、這いずる三島の前に立ち塞がる。
「三島のおじさん。死んで償えると思ってたら、大間違いだよ! どれだけの人の命を奪ったと思ってるの! 冗談じゃない! おじさんは、死んだら間違いなく、魂魄が消滅する。転生は不可能だよ。でもおじさんがやったのは、消滅しても許される罪じゃない! 私が力づくで、おじさんの魂魄を治す。だから、生きて償え! 何度も生まれ変わって、償い続けろ! ミストルティンは、私が壊滅させた! 下部組織も私が解散させた! 戦争は終わらせた! おじさんがやるのは、今までふんずり返っていた連中と一緒に、これからの世界を創る手伝いをする事! それこそ、馬車馬の様に働きなよ!」
決して声を荒げた訳ではない。しかし、ペスカの言葉は重く響く。それこそ、遼太郎とアルキエルを黙らせる程に。そんなペスカの声に、三島は反応し頭を上げる。三島は、返す言葉を持ち合わせていなかった。
「それとね。そんな兵器じゃ、糞ロメには通用しないよ。かすり傷も与える事は出来ないね。何もかも無駄なんだよ。贖罪の方法も間違ってる上に、最後の手段すら通じない。ただの無駄死に。わかる? わかったら、大人しく私の命令を聞く事! それと、拠点にあった同じ兵器は、私が壊したからね」
自分の決意が、全くの見当違いであった事を知らされたのは、大きいだろう。三島はがっくりと項垂れるしか出来なかった。そして、ペスカはブルに視線を送り三島を託す。次に、冬也の下へ歩いて行った。
「お待たせ、お兄ちゃん」
「あぁ。よく頑張ったな、ペスカ」
戦争が終わり、世界から悪意が消えていく。遂に、最強の神が動き出す。最後の戦いが始まる。