第四百六十六話 邪神ロメリア ~飯縄権現~
時は少し遡る。
ロメリアにより能力を引き剥がされ欠損した魂魄を、飯縄権現が集めていた。東京中に散らばる欠損した魂魄を集めるのは、飯縄権現でも相応の時間がかかる。
今にも崩れそうな魂魄を優しく包む様に、一つずつ丁寧に回収していく。回収した魂魄を、愛おしそうに抱える飯縄権現は、酷く悲しそうな表情を浮かべて、ぽつりと呟いた。
「この中には、悪さをした子がいるのは知っとるよ。だがな、転生も出来ない程の罪ではあるまい。中には善き事せんとした子も居る。可哀想になぁ、こんな理不尽な目に会って。お前達は必ず儂が治してやるからな」
飯縄権現は、人間が好きだった。
名所として観光客が増え続け、参拝する者も後を絶たない。しかし、人間達の願いはどれも取るに足らず、叶えてやる程ではない。
観光客が増える毎に、心無い者も現れ森林を痛めつける。そんな行為を、森林を管理する者達が怒っている。
しかし。そんな光景は飯縄権現にとっては些末な事である。
時として欲に塗れる、欲望の赴くまま他者を貶める。その一方で、何の見返りも求めずに、他者に手を差し伸べる。飯縄権現は、そんな人間を愛おしく思っていた。
「不甲斐ないよなぁ。邪悪に抗うのは異界の神であり、この国や異界の子供達なんだ。情けないよなぁ。邪悪を祓うのは我の役目なのになぁ。許せんよなぁ、何の罪もない子供達を、こんなにしたんだ」
最初は回収した魂魄へ、語りかける様に呟いていた。段々と飯縄権現の言葉に、怒りが籠っていく。最後は、怒りを爆発させる様に声を荒げていた。
「待っておれよ、もう少しだけ待っておれ。奴は必ず我が滅する。我が地を汚し、愛し子をこんなにした邪悪は、我が許さん!」
☆ ☆ ☆
時は再び戦いの場に戻る。
ロメリアを膨大な光が包む。それは、レイピアの一族に伝わる秘術が成功した証。人間との繋がりを切っただけでなく、ロメリアは完全に地球という世界から切り離される。悪意を吸収する事が不可能になる。
そのはずであった。
空がロメリアの動きを封じ、翔一やゼル、それにクラウスが、注意を引き付ける。その上での秘術の行使である、タイミングは完璧。疑うべくもなく、成功する条件は整っていた。
もし、誤算が有ったとすれば、亜人に出来る事が神に出来ないはずが無い。それを計算に入れなかった事かも知れない。
少しずつ、光が薄れていく。光で眩んでいた目が、世界を捉えていく。光が完全になくなった時、そこにロメリアは存在していなかった。
「みんな、逃げろ!」
最初に気がついたのは、冬也であった。術を使用したばかりのレイピアとソニアは、直ぐに動ける態勢ではない。ロメリアを拘束していた空も同様である。光の間近に居た翔一達は、まだ完全に目が慣れていない。
冬也の言葉に反応出来たのは、遠目で様子を見ていたブルだけであった。ブルは瞬間的に動き、皆を突き飛ばす。正に間一髪、ブルが突き飛ばした後には、漆黒に染まった槍が突き刺さっていた。
「サイクロプスの小僧如きが、僕の邪魔をするなよ!」
何も無い空間から声が響く。不本意ながらも、秘術はロメリアにヒントを与えた。光が包む際、術の構造を知ったロメリアは、術式を書き換えた。そして、元の次元から切り離されたのではなく、己が自由になる次元を作り出した。
地球上に存在する別次元。それはロメリアを拘束する物にはならず、他者が干渉出来ないロメリアの領域を創り出す結果になった。
「ははっ、はぁっはははっ! 愚かだよね、エルフってのはさぁ。確かに小娘の力を、僕が破る事は出来ないよ。相性が悪い事は認めるよ。でもさぁ、小娘が潰れるのは時間の問題だよ。僕がほんの少し耐えるだけで、勝手に潰れていくんだ。でも、その欠点を補填する手段がこれかい? ただの魔法が神である僕に通じるとでも? 魔法は、あの糞メスの専売特許じゃないんだよ! はははっ、ひゃはははぁ!」
勝利を確信したのだろうか。不敵な声が周囲に響く。そして止まらない笑い声を背景音に、再び漆黒の槍が降り注ぐ。数千、いや数万は有るだろうか。
レイピアとソニアは、自己が保有するマナを超える術を使用し、未だに動ける状態ではない。空は咄嗟に、能力を上空に向かって展開する。
しかし、空の能力でも防ぎきれる量ではない。エルフの姉妹を守ろうと、クラウスとゼルが立ち塞がり、降り注ぐ槍を切り裂いていく。翔一は、少し離れた場所に移動すると、探知の能力を使ってロメリアの居場所を探る。
状況は、攻勢から一気に守勢に転じる。降りやまない漆黒の槍、居場所のわからないロメリア。空の拘束から解き放たれて、邪気が周囲に蔓延する。邪気の侵食を防ぐ為に、冬也は神気を高めて対抗する。
徐々に押されていく。徐々に力尽きていく。
空は既に限界を超えている。いつ倒れてもおかしくない状態でも尚、上空にオートキャンセルを展開させ続ける。そこから零れた漆黒の槍は、クラウスとゼルが態勢を崩しながらも賢明に防ぐ。体力とマナの限界を乗り越えて、レイピアとソニアも立ち上がり剣を振るう。
たかが数秒、たかが数分、それでも立ち向かえる事が奇跡に近い。
そして、ブルはその巨体で皆を庇う。しかし、ロメリアの狡猾さがブルの守りを崩す。漆黒の槍は、倒れた仲間達にも降り注ごうとしている。レイピア達を守れば、倒れた仲間達を救えない。逆も然り。
そんな追い詰められた状況下で、管狐を引き連れて飯縄権現が到着した。その姿は天狗を模した容姿とは明らかに異なる。それは炎を身に纏い、降魔の剣を持ち、邪を縛る羂索を携えた守護者、不動明王の姿であった。
飯縄権現は、倒れた仲間達に降り注ぐ漆黒の槍を、降魔の剣で打ち落とす。そして管狐を使い、空達を最も漆黒の槍が降る場から遠ざけた。
「お主ら、人の身で有りながら、よく頑張ったのう。儂が来たからには、安心せい。必ず、お主らを守ってやる」
「お言葉ですが、まだ戦えます!」
「異界の子よ。お主は充分に頑張った。もうよいのだ」
「飯縄権現様。私もまだ戦えます。この場で抗わずに、いつ抗うと言うのです?」
「異界からの訪問者よ。お主は立つ事も出来んだろ。仲間を良く守ったの、あっぱれだ」
「もう少し、もう少しで、奴の居場所を特定出来ます!」
「英雄よ。お主は力を使い過ぎだ。後は我に任せて、暫く休め」
「神よ。この状況は、我らの失態。挽回する機会をお与え下さい!」
「そうです、神よ。まだ我らをお使い下さい!」
「これは、お主ら姉妹の失態ではない。お主ら姉妹は、充分過ぎる程によくやった。それと、ここから先は神の戦いだ。もう、お主らが手を出して良い状況ではない!」
怒りに満ちた表情とは裏腹に、優し気な飯縄権現の声色は、戦う意志を示すゼル、クラウス、翔一、レイピア、ソニアを宥めていく。既に限界を超えていた空は、助け出された時に意識を失っていた。
「もう一度言うぞ。お主らは、よく頑張った。僅かな時間でも世界を救ったのだ。肩を落とすな、誇るが良い。だからもう、体を休めろ。異形の神よ、お主は冬也様の眷属であろう。この者らを守ってやってくれ」
「わかったんだな。それで、お前はどうするんだな?」
「この地は本来、我の守護地。冬也様に、守護をお任せしている状態では、我の存在意義に関わる。案ずるな、天照様から御力を頂戴した。我の力で充分に時間を稼いでみせようぞ」
飯縄権現の視線は、ブルとその先にいる冬也を見据える。その視線を受け、冬也は深く頷く。言葉は無くとも、飯縄権現と冬也の間に意志が通う。
(今しばらく、この地をお任せします)
(あぁ、任せておけ。辛い役目をさせちまう。だけど頼む、糞野郎をもう少しだけ足止めしてくれ)
(我が名にかけて。その役目、全うしましょう)
ただ、ロメリアがいつまでも、大人しくしているはずがない。飯縄権現の、突然の出現に驚いただけ。少しの間、呆けていただけである。そして、ロメリアは、口汚く罵り始める。
「お前は、いつだかの雑魚だよね。雑魚のくせに、今更しゃしゃり出て来ても遅いんだよ。あの小娘が、使い物にならなくなった今、僕を封じられるものは、何処にもないんだよ」
「お前はあの姉妹の術を、本当に乗っ取れたと思っているのか? お笑い草だ。あの姉妹がどれ程の想いを術に託したのか、わかっておらんようだな。お前に乗っ取れる程、軽くはないぞ!」
「何を言ってる! 馬鹿か現に」
「馬鹿はお前だ! 人の子らに怯え隠れ潜む。それがお前の本性であろう。それが強さなのか? 馬鹿にするなよ! あの子らの方が、お前よりよっぽど強い!」
挑発するロメリアを、飯縄権現は力強い声色で言破る。決して贖えぬ罪を犯したのだ。論じる時間を与える程、考える時間を与える程、逃げる時間を与える程、優しくはない。そして飯縄権現は、降魔の剣を振るう。
飯縄権現には、ロメリアの居場所が見えていない。だが、見えていなくてもいい。姉妹が術に籠めた想い。仲間を助け、世界を救う、高潔な意志。それを手繰れば、居場所など手に取る様にわかる。
思い違いをするなよ。お主ら姉妹は立派に戦った。
敢えて言葉にはしない。言葉よりも、結果で教えた方が、あの姉妹には伝わるからだ。飯縄権現は、外部から干渉出来ない筈の空間を降魔の剣で切り裂く。そして見えない筈のロメリアが姿を現す。
そして飯縄権現は、すぐさま羂索を投げ放つ。一度縛り上げたら最後、決して邪を逃さない。そして、邪に染まった者を、縛り上げて浄化する救いの縄。その羂索が、ロメリアを縛り上げる。
わかるか。この結果は、お主ら人の子らが導いたのだ。誰が欠けても、この結果にはならなかった。だから誇れよ。悔やむ事は無いぞ。
飯縄権現の想いが伝わったのだろうか。姉妹の瞳から涙が零れる。ゼル、翔一、クラウス、それぞれの瞳からも涙が溢れた。
飯縄権現は、勇敢な者達に教えたかった。願いを叶えるのは、神では無く己の努力。奇跡を起こすのは、諦めない心。数分でも数秒でもいい、あと一歩と諦めなかったから、この奇跡は起きた。努力の結晶なのだと。
「くそっ、解けろ! 解けろよ! 何でだ、雑魚の癖に! 何でだぁ!」
羂索に縛られて、ロメリアは身動きが取れずにジタバタともがく。しかし、どれだけ暴れようとも拘束が解かれる事は無い。邪気がその身から放たれる事は無い。
「無駄だ。その縄は、お前が浄化しない限りは解けん! 浄化するまでの間、暫く付き合ってもらうぞ!」
神に決して届く事の無い、空やレイピア達の力。しかし、そんな些末な力が、奇跡を呼んだ。そして、世界ではもう一つ、奇跡が起ころうとしていた。




