第四百六十一話 邪神ロメリア ~アルキエルの敗北 前編~
邪神ロメリアの高笑いが響く。その声を聞いて、その姿を見て、意識を保っていられる人間は皆無であろう。
空の強固な結界が、ロメリアを封じている。それをクラウスが補助をし、更に頑強にしている。更にブルが、仲間達を守る様に結界を張っている。
そんな幾重にも張られた結界をもってしても、ロメリアから放たれる邪気は、仲間達の意識を奪おうとする。
霊感の強いエリーや陰陽師達は、顔を青ざめさせガタガタと全身を震わせている。霊感の無い林や安西、佐藤ら警察チームでさえ死人の様に蒼白になっている。
雄二の体からは、纏った炎が消えている。美咲の作り出したシールドは完全に失われた。かつて、ロメリアと対峙した空や翔一でさえも、歯をガチガチと鳴らしている。
それは、戦う力を備えた異界の住人達も同様であった。
レイピアとソニアは、神を除けばロイスマリアの中でも最強の部類に入るだろう。その二人が、怯えた様に体を縮こませている。ゼルは全身の肌を粟立て恐怖に耐えている。
空達と同様に、旧メルドマリューネの地でロメリアを目にし、兄であるクロノスを倒したクラウスでさえ、全身を震わせている。
その力は、かつての比ではない。当然だ。どれだけの悪意を集めたと思っている。
人間、亜人、魔獣とロイスマリアの住人を全て合わせても、地球で暮らす人口の半分にも満たない。その地球全土で戦争を起こし、星を包む程に広がった悪意を全て取り込んだのだ。それは、比べるまでも無い事だ。しかも、これが上限ではない。戦争は未だに続いている、言わば更に力を増すのだ。
かつて数多の神を消滅させたアルキエル。そのアルキエルを倒した冬也。そして冬也の眷属であり、多くの信仰を集めて神へと至ったブル。三柱の神でさえ言葉を失っていた。
間近で結界を張っていた空は、懸命に意識を保ち結界を張り続ける。しかし、結界には大きな罅が入り、今にも壊れようとしている。罅から漏れ出た邪気は、冬也の神気に染まった大地を侵食しようと広がっていく。
そんな状況下で、アルキエルは冬也に目配せをすると単独で飛び出した。
さもありなん。旧高尾一帯は、冬也の神域になっている。冬也が大地に力を注ぐのを止めれば、数秒で邪気が日本中に広がり死の国へ変えるだろう。そして数分と経たずに、邪気は世界中へ広がり、人類の歴史は終わりを告げる。
ましてや、佐藤ら一般人がこの場に居るのだ。ブルが結界を張り続けていなければ、邪気に食われて死に絶える。更には、かつて神であった遼太郎からは、完全に神気が失われている。
今、戦えるのは自分しかいない。アルキエルは、そう考えたのだ。アルキエルの判断は、間違いではない。ただ、相手が強くなり過ぎた。
アルキエルが大剣を振りかぶり、ロメリアに目がけて振り下ろすまで、コンマ数秒も経っていない。剣を極めたレイピアとソニアでさえ、アルキエルの動きを目で追う事が出来ていない。
しかし、大剣はロメリアに届く事は無かった。そして気がついた時には、アルキエルの胴が、ロメリアの片腕によって貫かれていた。
「がぁっ。かっ」
アルキエルの全身に激痛が走る。もがく様な声が口から漏れ出る。そして神気のパスを通じて、痛みが冬也とブルへ伝わる。二柱の神は、その苦痛に顔を歪めた。
その姿を見て、アルキエルは瞬間的に神気のパスを切ろうとする。しかし、冬也はそれを許さない。
アルキエルの攻撃が届かない相手なのだ。力の供給を止めれば、それこそ勝つ事は不可能になる。
「この馬鹿が。てめぇの力なんざ必要ねぇんだ」
「馬鹿はてめぇだアルキエル! てめぇだけで、戦おうとしてんじゃねぇ」
神気を通して感覚を共有し力を分け与える。眷属とは、血を分けた肉親以上の存在である。そして眷属を失えば、大きく力を削がれるのも必然である。
かつてドラグスメリア大陸で、ロメリアの残り滓が暴れた際。女神ミュールが直接対処出来なかったのは、山の神ゼフィロス達が痛手を負ったからに他ならない。
それは、深い絆で繋がっていると言っても、過言ではない。そんな光景を笑い飛ばすとすれば、目の前にいるロメリアしか存在しない。
「痛いかい? 痛いよね? 僕が受けた痛みは、こんなもんじゃないよ。アルキエル、君の神格をここで粉々にしてもいいだけどね。それじゃあ僕の気がすまないだ。混血のガキが苦しむ顔を、もっと見たいんだ。わかるかい? 君はあのガキを苦しめるだけの存在なんだ」
「てめぇ!」
「アルキエル。吠えても、結果は変わらないよ。それと糞ガキ! こんな出来損ないを、眷属にした事を後悔するんだね」
「雑魚野郎が、ほざくんじゃねぇ!」
「ハハハ。体を貫かれてる奴が、よく言うよねぇ。痛いなら、素直に痛いって言いなよ。でも、止めないけどさぁ。言ったろ? 苦しむ顔が見たいんだよぉ!」
ロメリアは、醜く顔を歪ませながらアルキエルを挑発する。その口元は、横に割かれた様に広がり、歪んだ笑みを湛える。幾度も辛酸を舐めさせられた意趣返しなのだろう。同時にそれは、絶対的な力の差を疑って止まない自信の現われでもある。
アルキエルは、ロメリアの挑発を真正面から受け止めた。そして、大剣を持たない方の手でロメリアの腕を掴む。握りつぶす程に力を籠めて、ゆっくりと体から腕を引き抜いていく。激痛が走ろうとも無視をする。
ロメリアは、アルキエルのプライドを大きく傷つけた。戦いの神なのだ、戦いに置いて負ける事は許されない。しかも、主を侮辱されたのだ。敗北よりも遥かに屈辱である。
ロメリアの腕を完全に体から引き抜くと、アルキエルは腕を掴んだまま片方の手で大剣を振りかぶる。ロメリアの動きを止め、至近距離で大剣を勢いよく振り下ろす。
絶対に外す事の無い渾身の一撃がロメリアに迫る。しかし、ロメリアは微動だにしない。もしここが冬也の神域でなければ、日本はおろかユーラシア大陸、果ては南北アメリカ大陸まで水底に沈める、そんな破壊力を持った一撃である。
しかしロメリアは、掴まれていない方の手で大剣を軽々と受け止めた。それは、アルキエルだけでなく、冬也やブルにも衝撃を与えた。
有り得ない。
冬也の頭に過ったのは、その一言である。冬也でさえ、アルキエルの全力を受け止める事はしない。受け止めれば、全身が粉々になる事がわかっているから、必ず躱すのだ。
その一撃を、簡単に受け止める。そんな事が有ってたまるか。冬也とブルは唖然とし、声を出す事が出来なかった。
ロメリアは、大剣を掴んで振り回すとアルキエルごと放り投げる。一方で冬也とブルの体は動いていた。
アルキエルの実力を、信じていない訳では無い。だが最善を尽くすなら、三柱で一気に叩くべきだ。
冬也の選択は、間違っていない。しかしそれは、アルキエルが求める選択ではない。放り投げられたアルキエルから、神気を通じて意志が伝わって来る。
まだ負けてねぇ。俺が冬也以外に負けるはずがねぇ。だから信じろ。冬也、お前は神域を維持しろ。ブル、お前はみんなを守れ。
俺は切り札じゃねぇ。まだペスカの奴が居やがる。あいつの企みが終わるまで、時間は俺が稼いでやる。その為には、ここが奴の領域になっちゃいけねぇんだ。
わかるだろ、冬也、ブル。
確かに奴は俺だけじゃ倒せねぇ。だけど時間稼ぎには、お前達の協力が必要なんだ。冬也、力の使い所を間違えるなよ、お前の出番はまだ先だ。露払い位は、俺にさせてくれ。頼む、冬也。




