第四百五十二話 第三次世界大戦 ~裏切り~
ペスカの掲げたメッセージを、山岡は見ていた。ただ、一人で判断し応える問題ではない。別室にいる葛西の下へ赴くと、事情を説明する。
山岡の話しを聞いて、葛西は迷った。四十六代合衆国大統領エドワード・スミスが語った言葉が、葛西の脳裏に残っている。手を組む事は、一つの案として有効であろう。
だが葛西を悩ませたのは、懸念材料の存在だった。
相手側には、自分達を犯罪者として追って来た佐藤がいる。しかし佐藤ら警察側も、既に東郷から事情を聞いているだろう。ミストルティンという強大な敵に対して、手を組む事は可能かもしれない。
しかし佐藤は、深山を今でも黒幕だと思っている節がある。佐藤とその仲間達は、謹慎中の身である。それにも関わらず、警察組織から飛び出して来た、正義を貫こうとする連中だ。彼らと合流して、即拘束となる可能性は否めない。
逮捕が怖いのではない。全てが終わった後ならば、自首でも何でもしてやろう。だが今は、略式でも逮捕され拘束される訳にはいかない。
もう一つは、東郷の娘ペスカの存在だ。何を考えて連絡して来たのか、全く意図が読めない。
それに東郷の娘が使う謎の技、自宅襲撃の際に銃弾を家へ届かせなかった様な技術は、まるで理解が出来ない。捨て駒として利用した山中美咲、薬漬けになった彼女を癒す奇跡を起こしたのも、東郷の娘だ。
これまで幾つもの策を潰され、イゴールは病院送りになった。鵜飼が捕えらえたのも、あの娘の策だろう。とにかく謎が多い娘なのは間違いがない。
あの娘だけは油断が出来ない。
「なぁ、山中。深山さんは、怒ると思うか?」
「それは無いだろ。本当は、東郷と組みたかったんだ、あの人は」
「そうだよな」
「葛西、何を迷ってるんだ?」
「東郷の娘だよ。あれは得体が知れない。あの娘と手を組めば、新宿で暴れた兄と外国人が仲間になる。それに、新しく加わった謎の連中もな。戦力としては充分だ」
「あの提案には、必ず何か裏が有るって事か?」
「そういう事だ。俺は深山さんや鵜飼みたいに頭が良くない。ただ臆病なだけだ。正直に言うと、あんな切れ者は怖いんだ」
「葛西、それは俺も同じだ。だから、こんな能力が芽生えたんだろ?」
「深山さんの事を考えれば、提案を受けるしかない。それはわかってる、わかってるんだ!」
「なぁ、葛西。もう潮時なのかもしれないぞ。俺達だけじゃ、何も出来ない」
葛西は目を瞑る。そして暫くの間、瞑想を続けた。迷いも葛藤も不安も、全てが無くなる訳ではない。だが、何が一番大切なのか。それをしっかりと見つめなければ、その思いで精神統一を図った。
そして数分が過ぎ、葛西が目を開ける。自分は決断が出来る立場ではない。あくまでも、一時的に米国やロシアと会談しただけだ。それでも、自分が決断をしていいのなら、己の命より大切な者の為に体を張りたい。
「連絡をしよう、山中」
絞り出す様に呟かれた言葉は、苦渋の決断であったとも取れる。深山の体、世界情勢、全てが自分達では手に負えない状況になっている。手を借りるしかない。その決断に至るには、どれだけの想いを呑み込めば良かったのか。
深山の掲げた理想に従い行動して来た。しかし、自分達の力だけは、どうにもならない。どれだけ頭を捻ろうとも、体を張ろうとしても、足掻く事さえ許されない。
だから、例え悪魔と契約してでも深山を守る。それが葛西の決断であり、山岡は一も二も無く頷いた。
嫉妬が無いと言えば嘘になる。どれだけ尽くしても、深山が隣に居る事を望んだのは、東郷遼太郎なのだ。しかし、そんな事はどうでもいいと思える程に、深山は優しい男なのだ。
深山は、鵜飼に辛らつな言葉を浴びせ、自爆テロまでさせようとした。山中は酷く怯えていたが、失敗に終わるとわかっていたのだろう。林だけを行動不能にするなら、別の方法が幾らでも有ったはずなのだ。
あの時の深山が判断したのは、右腕であった鵜飼を自分から遠ざける事だろう。
三堂に能力を使用し得体のしれない外人と戦わせたのも、三堂は絶対に殺されないとわかっていたからであろう。
暴走し始めた能力者は、捕えておいた方が安全だ。それは周囲の安全だけではなく、自身も含まれる。山岡同様に、捨て駒にする様に見せかけた三堂の保護なのだ。
そして入院中のイゴールだ。彼の身を深山がどれだけ案じていたか。冷徹に見せかけても、本来は優しい男なのだ。
この世界が限界なのは、誰もが薄々は感じている事だろう。しかし、それをわかっていて尚、誰も動こうとはしない。無責任に声を撒き散らすだけ、不満を只々ぶつけるだけで終わっている。それで良いはずがない。
深山は、それを理解しているからこそ、自らが悪役に徹してでも世界を変えようと立ち上がった。だからこそ、仲間達がついてきた。そんな男を失う訳にはいかない。時代の人柱にする訳にはいかない。
そして葛西はスマートフォンを手に取り、メッセージ内にあった連絡先へ電話をかける。そして、電話は直ぐに繋がった。
「思ったよりも、遅かったけど。だいぶ悩んだのかな? それであなた達は、どうするの?」
「深山さんを助けて欲しい。その為なら、この身を捧げてもいい」
「フフ。凄い覚悟だけど、勘違いしないでね。私は悪魔じゃなくて、神様だから。代償に命を差し出せなんて、言わないよ」
「そうか」
「取り合えず、こっちに来れる。場所はわかってるんでしょ?」
「あぁ、直ぐに向かう。その前に連絡させてくれ」
「アメリカとロシアのお友達?」
「そうだ。彼らは、心強い味方だ。彼らの存在がなければ、打倒ミストルティンなどと言えない」
「いいよ。でも、信用し過ぎない事だね。あの人達も、国を背負ってるんだから」
「わかっている。でも俺からすれば、君よりは信用が出来る」
「フフ、正直でいいね。じゃあ、待ってるよ」
電話を切ると、葛西は緊急の回線を開いて、米国とロシアに報告を行った。
米国の大統領は、自分の提案が受け入れられた事で、顔を緩ませていた。会話の最中、ロシア大統領のトーンが低いのが、葛西は少し気になった。
しかし、ヨーロッパの各地で内戦が起こっているのだ。いつ飛び火してもおかしくはない。ロシア大統領は、それが気掛かりなのだろうと葛西は判断した。
報告を終えると、葛西と山中は出発の準備に取り掛かる。先ずは、深山を運ばなくてはならない。それに、拠点が移る事も視野に入れる必要があるだろう。
二人で優しく深山を抱えると、レクサスGSの後部座席へと寝かせる。そして、最低限の荷物を、黒塗りのワゴンに詰め込む。
最低限の荷物と言っても、そう多くはない。備蓄用の食糧であったり、イゴールが改造を施したパソコン等である。
これから向かうのは、パソコンを持っていても意味が無い場所である。しかし、深山が目を覚ました時に、あのパソコンが無ければ悲しむだろう。
そうして準備を整えると、鍵を閉めて車を走らせる。高速を使っても、数時間程度で辿り着く。途中で深山が目を覚まさない事を願って、葛西はレクサスGSの運転を行う。後に続いて、黒塗りのワゴンが走る。
一時間程度は走っただろうか、高速道路に乗り暫く進んだ所で、車の数が明らかに減って来た。
異常を感じた葛西は、ハンズフリー通話で、山中に連絡をする。山中も異常に気がついていた様で、異常の原因は直ぐに判明した。
「自衛隊と警察が、車両規制を行ってる。両方とも、深山さんの支配下だ。心配しなくても良いだろう」
山岡の言葉に安心し、葛西はそのまま運転を続けた。しかし、彼らはここで高速道路から一般道へ移るべきであった。それなら、少しは時間が稼げたかもしれない。もしくは、出発時に連絡を入れるべきであった。護衛を頼むと。
だが、それは不可能なのだろう。少なくともこの時点で、葛西が信用しているのは、ペスカではなく、米国とロシアなのだから。
だから、後続車が猛スピードで近づいて来ても、気に留めなかった。アルファベットから始まるナンバープレートを付けていれば、どこの車なのかがわかるだろう。念の為に山中が車内を確認までして、仲間だと判断したのだ。
自衛隊と警察の車両規制は、テロリスト対策で行われているので、気にする必要がない。近づいて来る車両は、自分達を護衛する為にわざわざ来てくれた。二人の取り巻く状況を鑑みれば、そう考えるのは余りにも自然であろう。
後続車は二台に近づくと、前後を挟む様に走る。そして、ゆっくりとスピードを落とし、完全に停止した。車両からは軍服を着た男達が降りて来る。移動経路の確認でもするのか。そう考えた葛西と山中は、揃って車を降りる。
その時であった。
軍服の男は素早く銃を抜き、山中を撃つ。山中へ向かった銃弾は、頭部を破壊し黒塗りのワゴンに穴を開けた。頭蓋は砕け、脳が飛び散り、目玉が転がる。それはもう、生きているとは言えない。
一瞬、唖然とした葛西だったが、直ぐに我に返る。そして、車に乗り込もうと、軍服の男達に背を向ける。
葛西は、背後から何発も銃弾を撃たれた。運転席側のドアは、銃弾で穴が開き、窓ガラスは粉々に飛び散った。
それでも葛西は、運転席のドアを開け、乗り込もうとする。だが、軍服の男達に掴まれて、放り投げられる。そして、更に何発も銃弾を浴びせられ、そのまま息を引き取った。
軍服の男達は、レクサスの後部ドアを開けると、深山を引きずり出す。そして、注射器を取り出すと、深山の腕を無造作に捲り突き差す。乗り付けた車両に深山を乗せると、一報を入れて走り去った。
残されたのは、二つの車両と、二つの死体。
直ぐにパトカーが到着し、死体を運んでいく。レッカー車も直ぐに到着し、二台の車両を運ぶ。そして、路面に飛び散った血や肉片は、同行した自衛官が綺麗に洗い流す。それは、予め決められていたかの様な、用意周到さであった。
この日、遠く離れた国で、電話会談が行われていた。これまで三名で行われていた会談は、この日から二名となる。原因は、語るまでもあるまい。
「能力の範囲は解決していない。取り敢えず東京の基地に輸送した。後は彼らに引き渡せば、我々はこれまで通り安全だ」
「エドワード、先進国首脳会議は行うのだろうな。そのプランまで、白紙にするなよ」
「当たり前だ。貴国と、日本を含めた三国で、直ぐに同盟の調印だ。しかしこれには、名目が必要だ」
「その為に、テロリスト対峙か。良いだろう、直ぐに軍を派遣する」
「まぁ、いいではないか。彼らは東アジアの利権を、我らにくれると約束してくれたんだ」
「エドワード。余り欲をかくと、足元を掬われるぞ。彼らを信用しても、良い事は何もない」
「わかっているさ。上手くやろう、友よ」