第四百二十八話 サイバーコントロール ~ペスカの罠~
能力者は東京都内限定でしか行動が出来ない。それは、分散させずに一か所に集中させ、効率よく力を搾取しようと考えた、邪神ロメリアが行った制限である。
しかし、ネット上ではどうなのか。能力の制限が有効となるのか。ペスカはあらゆる場所に罠を設置していた。物理的な罠が通信回線にも及ぶのか。それは当然の疑問であろう。
例えば、ネット上ではどこまでが東京都となるのか。恐らくこの仮定は、無意味であろう。IPアドレスが存在する地域で、限定するなら兎も角として。
また、繋がった回線上の先が、東京都外であったとしても、回線を通じて能力は使用出来るのか。これも不明である。
あくまでも、能力者が『それ以外の地域の者に影響を与える事が出来るか否か』が問題なのである。
可能であるならば、TVを通じて深山が日本全国の国民を洗脳出来るだろう。イゴールはネットを通じて、世界中の情報を統制出来るだろう。
これは著しい問題であり、直ぐに対応しなければならないだろう。しかし会合の際に、ペスカは護符について言及しなかった。それは何故なのか。
林が不在の状況で、深山達が攻勢を仕掛けて来るのは、明白であったろう。それにも関わらず、呑気に買い物に出掛けたのは、何故なのか。
それは林の技術を信じていたから。そして、自らが作り上げた護符の効果に、自信を持っていたからであろう。
ペスカと林が仕掛けた罠は、地雷とも言えるだろう。その地雷を解除する為、深山は鵜飼の能力を利用しようと考えていた。
それが吉となるか否かはわからない。しかし、戦いは既に始まっていた。
☆ ☆ ☆
鵜飼からの事後報告を受けた深山は、TV局での能力使用を控えた。事務所に罠が仕掛けれているのであれば、他にも仕掛けれているだろう。出演前に能力を使用し罠が発動すれば、特霊局や警察が駆け付ける可能性が高い。深山はそれを恐れたのである。
当然ながら、TVに出演すれば居場所が判明する。しかし単にTVで何か話しをした所で、何の罪に問われるのか。仮に罪に問われたとして、言い逃れする事は幾らでも出来るだろう。
そして、深山はTV出演の際に、能力者の事件を政府の陰謀と断言した。
これが何故、放送中止にならなかったのか。それは事前に、TV関係者を洗脳していたからである。あのTV放送は、入念な準備があって初めて成し得た事である。
ともすれば、深山の緻密かつ大胆な行動が、日本政府を窮地に追い込む結果となったのだろう。
ただ同時に、深山は確信をしていた。能力を封じる結界が、重要な拠点に施されている事と、ネット上にも存在しているだろうと。
特霊局の事務所に張られていた罠は、能力を制限するものであった。だがその罠は永続的な効果は持っていない。一度、能力を発動させれば、別の能力は使用可能になる。
罠にしては余りにチープであろう。確かに存在を知らなければ驚異である。しかし罠の存在有りきで行動すれば、対策方法は幾らでも有る。
イゴールの能力は切り札である。万が一にも、何らかの形で能力に制限をかけられる状態にはしたくない。その為に考えたのは、鵜飼のコピー能力であった。
鵜飼にイゴールの能力をコピーさせる。それと同時に事象改変を発動させる。それならば、仮に罠にかかったとしても、全て無かった事にすればいい。
これは、あくまでも仮定の話しである。しかし、実験する価値はあるだろう。
既に鵜飼は、深山の命令を忠実に熟す機械に成り果てている。能力は惜しいが、最悪の場合は切り捨てても構わない。
人を動かすというのは、こうするのだ。悪しき例題の様な深山の行動を、誰も止める者はいない。
深山は純然たる組織のボスである。これまで幾つもの仕掛けを、特霊局側に潰された。一見すると劣勢の状態にも関わらず、組み上げて来た手で盤面を優勢に引っ繰り返した。
それは、深山が信頼出来るリーダーだと、仲間達に植え付けるには、充分であっただろう。
「念の為に聞いておく。葛西、君のモデフィケーションなら、どこまで治せる?」
「軽い怪我。まぁ骨折程度ならば、無かった事に出来ます。逆にその程度の怪我なら、負わせる事も可能です。因みに、能力の強化については、およそ倍程度に考えて貰えれば充分です」
「そうか、なら鵜飼のサポートにつけ!」
「わかりました、深山さん」
葛西は深山の意図を直ぐに理解して頷いた。そして、鵜飼は淡々とデスクの前に座りパソコンを立ち上げる。そしてブラウザを開くと、深山に視線を送った。
「鵜飼。準備はいいか?」
「えぇ。勿論です」
「それなら良い。是が非でもやり切るんだ!」
「はい」
「やりたまえ! 君の未来の為に!」
使用する通信回線は何でもいい。電話でもTVでも、ネットの有線回線でも無線回線でも。ただし、慣れていない鵜飼には、視覚的にネットワークを意識出来る方が、能力を扱い易い。その為、ブラウザを開いて、能力を発動させる事にした。
大きく何度か深呼吸をした後、鵜飼はパソコンの画面に手を触れる。そして、イゴールからインストールしたサイバーコントロールを発動させた。
能力を発動させると、鵜飼の意識はネットワーク上に入り込む。自分の意識が存在する回線を通して、幾重にも枝分かれしているのがわかる。広大なネットワークの世界が、鵜飼の頭に描かれていく。
ただ、その直後であった。甲高いアラーム音が鳴り響き、真っ白な塊が回線の中を猛烈な勢いで近寄って来る。そして真っ白な塊は、鵜飼の意識に激突した。
「うあぁぁぁぁぁぁ! ぐがぁ、あぁ、がっ、がぁぁぁぁぁ! ああ、ああ、ああ、ああああああ!」
周囲からは鵜飼が突然、悲鳴を上げた様に見えただろう。鵜飼はブラウザーに触れたまま、白目を剥き体をビクビクと小刻みに震わせている。まるで電気椅子の刑に処せられ、感電しているかの様に。
葛西は慌てて鵜飼をパソコンから離すと、能力を発動させた。
葛西の能力モデフィケーションは、起きた事象を無かったり修正が出来る能力。ただし過去に遡及し、歴史を改変する事は出来ない。あくまでも、現実に起こった事を変更するのみである。
葛西の能力は、簡易的な使用時に絶大な効果を発揮する。例えば自ら語った様に、骨折を無かった事にする。これは怪我を対処するにあたって、治癒とは全く異なるアプローチ方法である。
怪我の内容や処置方法を知らなくても、怪我自体を無かったとするなら、これ以上に優れた処置はあるまい。
ただ、葛西の能力を持ってしても、鵜飼の状態を元に戻すには時間がかかった。
五分、十分と経過しても、鵜飼は白目を剥いて体を震わせている。既に悲鳴は途絶え、意識も失っているだろう。もしこれが、刑罰と同様の効果ならば、鵜飼は既に死んでいる。
葛西は全力で能力を使用し続け鵜飼の命を繋いだ。鵜飼が元の状態へ戻る頃には、葛西は崩れ落ちる様にして、肩で息をしていた。
鵜飼はブラウザーに手を触れる前の状態に戻った。即ち、痛みを受ける前の状態である。しかし、恐怖までは消し去る事は出来なかった。
死を伴う恐怖に、誰が打ち勝てるのだろう。これ以上やれば、本当に死ぬかもしれない。そう思わせる事だけで、警告には充分である。しかも、深山は敢えて思考能力と感情を残している。それが、裏目に出たのだろう。
「随分と非道な罠を仕掛けたな。あの小娘は、人間なのか?」
深山をして非道と言わせる。それは、椅子の上で背を丸めて震えている鵜飼を見れば、仕方のない事かもしれない。また、肩で息をする葛西を見れば、二度目の実験は難しいかもしれない。
しかし、深山は言い放った。
「鵜飼、もう一度だ」
「は、はい」
「罠が解除されているかを確かめる為だ。出来るだろう? ダメージを受けているのは、寧ろ葛西の方だ!」
「じ、自分ならやれますよ。深山さん」
「葛西がこう言っているだ、お前がやらなくてどうする?」
淡々と語る深山に対し、鵜飼は酷く怯えている。命じた事に頷きはしても、中々行動に移そうとはしない。洗脳が効いているにも関わらず。
深山が鵜飼を完全に見限ったのは、この時であろう。
鵜飼の能力は、汎用性が高い能力である。使用者が出来損ないでも、能力は一流。その為、鵜飼を傍らに置いていた。だが深山は、鵜飼という存在を切り捨てた。深山は鵜飼を見据えると語りだす。
「鵜飼。お前は、もう俺の命令だけを熟せばいい。余計な事は考えるな。俺の言う事だけをやっていれば、必ず結果が出る。お前の望んだ物が手に入る。いいか、わかるか? 俺の命令だけを聞くんだ!」
そうして、鵜飼は完全な洗脳を受ける。
瞳から光が完全に失われる。そして鵜飼は再びパソコンの前に向かい、ブラウザーに手を触れて能力を発動させた。
鵜飼がブラウザーに手を触れると、直ぐに発狂し体を震えさせる。先程と全く同じ症状に、鵜飼は陥った。ただ、前回の経験で葛西が少し慣れたのか、鵜飼を元に戻す時間が少し縮まる。
「罠は一つじゃない様だな」
「ボス、林ならやるだろう。一つずつ解除するしかない。IPの隠蔽はしてある。そう簡単には追跡出来ない。こんな罠が有る限り、俺の能力は発動出来ない」
「確かに、それしかなさそうだな。探知の小僧が動きだす前に、片を付けるしかない」
イゴールの言葉に、同意する様に頷くと深山は少し溜息をついた。同じブラウザから試したのは二度目である、幾らイゴールが隠蔽工作を施しても、探知の能力者には居場所がばれていると思った方がいい。
「鵜飼。罠にかかっても、お前は被害を受けない。お前は死なない、お前は罠を解除し続けるんだ。わかったな!」
深山が語りかけると、鵜飼は無表情で首を縦に振る。そして、再びブラウザに手を触れた。罠にかかり体が激しく震えても、鵜飼はそのまま能力の使用を続ける。
洗脳の効果で意識を失わないが、激しいダメージを負っているのは間違いないだろう。幾ら洗脳で動かしても、鵜飼の体が破壊されては、元も子もない。鵜飼が能力を使える程度に体を維持する様、深山は葛西に指示をした。
しかし、二人が体当たりで罠の解除を行い始めて直ぐであった。林の病室を覗いていた能力者が声を上げる。
「探知の奴が、何処かに電話をしてます。それと、外人が林の病室に到着しました」
「山岡、外人におかしな様子はあるか?」
「林の首筋に手を触れています。なんだ? 林が意識を取り戻しました!」
「はぁ? 何が起きた!」
「わかりません。ただ、首筋に触れていただけなのに」
「本当に、林は意識を取り戻したのか?」
「本当です。探知の奴が林の様子を見て、嬉しそうに電話しています」
林が何故、意識を取り戻したのかはわからない。だが探知の能力者が、情報共有を行っているのは間違い無いだろう。深山は、鵜飼に罠の解除を中止させると、仲間達に向かって指示を出した。
「直ぐに場所を移すぞ! 皆、準備しろ! 山岡、お前は林の行動に注視しろ! 一人になったら、直ぐに報告するんだ! 鵜飼、わかっているな。林を殺せ!」
ペスカと林が張った罠は、林を回復させる時間を作りだした。張り巡らせた罠は、未だネットの海に漂っている。
本来なら林が回復する前に、イゴールの能力で通信回線の完全支配を行いたかった。しかし深山は、予定の変更を迫られた。
誰かが失敗した訳ではない。強いて言うならば、罠を余りにも軽く見過ぎていたのが原因であったのだろう。
策略が絡み合う中、事態は進行する。勝利を手にするのは、どちらの陣営か。それはまだ誰にもわからない。




