第三百九十話 極小の世界 ~今後の対策~
帰り際に、受付嬢から「またご利用なさる時は、お声掛けください」と頭を下げられる。無論、ペスカにはそのつもりは無い。次は遅れは取らない。その決意と共に、一向はオフィスビルを後にした。
一向が自宅に戻ってから程なくして、遼太郎から連絡が来る。一応の報告をした後、ペスカは問いかける。
「ねぇ。三島のおじさんって実は悪い人?」
「随分と直球だな。あの人は色んな繋がりが有るからな。多少は悪巧みもするだろ」
「それにしては、出来過ぎなんだよ」
「だから、あの人ならその位はするって。それに、俺はロメリアの臭いを知ってる」
「えっ? パパリンって糞ロメと会った事が有るの?」
「まぁな」
「じゃあ、三島のおじさんは違うって事?」
「だと思うぞ」
曖昧な答えでは有るが、三島への疑いは一度棚上げしても良いだろう。電話を切り、遼太郎との話しを聞かせると、冬也は『良く理解が出来ない』とばかりに首を傾げ、アルキエルは高笑いをしていた。
「何が可笑しいの?」
「いや、だってよ。ミスラはロメリアの親友だったんだぜ」
「はぁ? 噓でしょ?」
「タールカールの事は聞いてるんだろ?」
「うん。ざっくりだけどね」
「そこで、混沌勢を四柱もぶち殺したのは、ミスラだ」
「何それ! 聞いた事が無いんだけど!」
「そりゃあ、自分の事は言わねぇだろ。それに、追い詰められたロメリアを逃がしたのも、ミスラだ」
「何でそんな事を?」
「知らねぇよ。でもよぉ、奴等が親友だったのは間違いねぇ」
遼太郎がタールカールの事を語らないのは、知られたくないからだろう。それ以上は語らないと、アルキエルは口を閉ざす。そして、ペスカも尋ねる事はしなかった。
それから、遼太郎が帰宅したのは日が傾いた後であった。遼太郎の帰宅を見越して、冬也は夕食を準備する。そして、一同が会して食事が始まる。そこで、ペスカは誰も思いもよらぬ事を口にした。
「そうだパパリン。ウイークリーマンションみたいなやつを、二つ用意してよ」
「はぁ? いきなり何言ってんだペスカ」
「いや、これから新型ウイルスの騒動は一旦終息に向かう訳でしょ?」
「そうなるだろうな」
「でもね、黒幕連中は完全に収束させないと思うんだよ」
「油断した隙を突いて来るって事か?」
「そう。だからね、何カ所かに分かれて、監視しようと思うんだよ」
「それは理解した。それで場所は?」
「そうだなぁ~。港区辺りと上野辺りが良いかな」
「その二か所は誰が担当するんだ?」
「勿論、私とお兄ちゃんだよ。アルキエルはここで監視。翔一君は寮から監視」
「それじゃあ、連絡用のスマホも必要だな」
「わ~い! パパリン! スマホ買ってくれるの?」
「馬鹿! プリペイドだ!」
「ちぇっ、まあ仕方ないか。いずれロイスマリアに帰るんだしね」
「そう言う事だ。それと、アルキエルには使い方を教えてやれ」
「大丈夫。私が懇切丁寧に教えてあげるから」
「冬也に教えられるよりはマシそうだな」
皮肉交じりに語るアルキエルであったが、目を輝かせていている事にペスカと冬也は気が付いていた。
それはそうだろう。ロイスマリアの機械文明は未発達だ。当然に神もその知識がない。故にアルキエルにとって、日本で見聞きする物が新鮮でたまらないのだ。
目の前で遼太郎がスマートフォンを使って連絡している様を、食い入る様に見ている位なのだから。
その翌日には、遼太郎からウイークリーマンションを契約した旨の連絡が入る。そして、夕方の帰宅時には荷物を持って帰って来た。
早速、中身を開けてウキウキしながら部屋に戻ろうとするペスカを、アルキエルが引き留める。そして、スマートフォンの操作方法を教える時間が始まった。
アルキエルは、戦略の神の神格を取り込んでいる。思考を放棄しがちの冬也とは違う。予想以上の速さで操作を覚え、通話やSNSでのやり取りを楽しみ始めた。
「SNSって言ってもよ。お前、誰とやり取りするんだよ」
「あぁ? そりゃあ、ミスラに決まってんだろ!」
「そりゃ、シュールな光景だな」
「ほら、てめぇのIDも教えろよ!」
「まだ触ってもいねぇよ」
「早くしろ! うすのろ!」
「そこまで言われる筋合いはねぇよ! それに飯の支度してんだ! 親父と仲良くしてろ!」
手を止めアルキエルの相手をしたものの、散々な言われようの冬也は再び夕食を作り始める。そもそも、冬也はスマートフォン所ではない。一時的とは言え、住居を移さなければならないのだ。それなりに準備が必要だ。
作り置き出来るおかずを、冷蔵庫の中にストックしておきたい。最低限の着替えは持っていく必要が有る。
それ以外にも、日常的に必要な物は持っていく必要が有るだろう。ここはロイスマリアではなく、日本なのだ。ペスカ自作の車で寝泊りしていた頃とは違うのだ。
シャワーを浴びるなら、タオルが必要だろう。自炊をするなら、料理器具が必要だろう。ただ、それらの小物類は、居を移した後で買っても間に合うのだが。
遼太郎の話しを聞く限りでは、家具などは揃っているらしい。そこは心配無いのだが、如何せん何を持っていったら良いかわからない。
それに、残していく家族の事も有る。
自分が居ない間も普通に生活が出来てたなら、心配する事は無い。しかし、それでも不安に感じるのは仕方が無かろう。
アルキエルに関しては、何の心配もしていない。戦いとなれば理性を失う程に暴走する時が有る位で、それ以外の時は実に理知的だ。
自分が居ない位で、暴走する事は無いだろう。仮に暴走したとしても、自分とアルキエルは繋がっているのだ。直ぐに戻って、暴走を鎮めてやれば良い。
それに、糞ったれだが親父も居る、空ちゃんも居る、クラウスさんも居るんだ。多少のトラブルなら、上手く乗り切るだろう。
ただ、それ以上に心配なのはペスカだ。何かに集中し始めると、それ以外が疎かになる。間違いなく、部屋の片付けはしないだろう。まともな食事をするかどうかわからない。ちゃんと寝る時間は取るのか? 湯船に漬からなくても、シャワー位は浴びるのか?
そんな事を一つ一つ考えていくと、心配で堪らなくなる。
「気も漫ろって感じですね? ペスカちゃんが心配ですか?」
「あぁ、心配だ。あいつは、ちゃんと生活出来るのか?」
「私も心配だから、ちょくちょく様子を見に行きますね」
「そっか。頼むよ空ちゃん」
「えぇ、お任せ下さい。それより、料理を仕上げちゃいましょ」
「そうだな。悪いが手伝ってくれるか?」
「はい!」
そうして、相変わらず賑やかな夕食が過ぎる。夜が明ければ出発だ。出来るだけ早く動いた方が良いに決まっている。こうしている間にも、黒幕連中は次の手を準備しているかも知れないのだから。
床についても、同じ事ばかりを繰り返し考えてしまう。心配性が過ぎるのか? それとも、何か未だ不安な事が有るのか?
降って湧いた様な、独り暮らしのチャンスに心が踊っているのは事実だ。同時に不安も感じているのも事実だ。でも、こればかりは仕方ない。少しの間だ、慣れるしかない。それより、重要な役割が有る。それを全うする事の方が大事だ。
ただ、やはり考えてしまうのはペスカの事だ。
心配でならないのは、何故だろうか。妹は、自分と離れる位でどうにかなる様な、柔な精神では有るまい。それは自分が一番わかっている。それなら何故、不安なのか?
恐らく、それは冬也自身にも理解が出来ない感情であろう。
十年以上も長く一緒に居たのだ。離れて生活する等、考えた事も無い。それは『寂しい』という感情。それを理解しないまま、夜が明ける。そして、朝食が終わり出発の時間になる。
「お兄ちゃん。私が居なくても寂しがらないでね」
「何言ってんだ! お前こそ、ちゃんと飯は食うんだぞ!」
「わかってるよ、お兄ちゃん」




