第三百八十六話 極小の世界 ~ウイルスの拡散~
事務所での情報整理が行われたその日、菅谷は『死体遺棄罪』で再逮捕された。それに対し久木は、『嫌疑不十分』で釈放された。ただ、両者共に高藤同様に口封じされる可能性を考慮し、刑事が見張りにつくことになった。
明くる日、エリーは早速行動を開始した。支部に赴き、局員達に能力の封印方法を伝える。そして各警察署に訪れると、逮捕中の能力者から能力を次々と封じて行った。
その間、ペスカは特霊局の事務所と支部を初め、対策室が有る渋谷署や菅谷が拘留されている八王子署に結界を張って周った。
佐藤は一連の報告と共に、異世界の悪神に関する事を上層部に報告する。その上で、一連の騒動が国家レベルにまで発展する事を示唆した。
また、警察側は八王子での殺人事件の被害者を特定すると共に、失われた腕や上着も発見した。
翔一は都内を周り、能力者の気配を探す。その警護と捕縛を兼ねて冬也が駆り出された。そして、アルキエルは自宅内で瞑想し、周囲のマナとの親和性を高めていた。
各人がそれぞれ忙しなく動く。そして、数日間は大きな事件が起きる事なく過ぎ去っていく。
ただ能力者同士の諍い、能力の暴走など、能力者による小さな事件は数日の中でも起きていた。無論、一般人による事故や事件等は後を立たない。
そんな中、『とある病院に運び込まれた患者が死亡した』事が、新聞の片隅に綴られていた。こんな小さなニュースが、これから日本中を巻き込む大事件に発展するとは、誰も考えていなかっただろう。
その『小さなニュース』が次第に大きくなっていたのは、同じ症状で病院に運ばれる患者数が増えた事からだろう。加えて、死因が感染性ウイルスに依るものだと特定されたのも大きい。それは、昨今で世界中を騒がせたコロナウイルスとは全く違う、『未知のウイルス』である事が判明した。
コロナ渦での経験が功を奏したのか、総務省は感染を防ぐ為に患者を隔離する事を指示する。そんな迅速な対応も虚しく、未知のウイルスの感染者は増え続けた。
総務省はウイルスへの対策を心掛ける様に、国民へ伝える。これにより、WHOはワクチンの開発を始めた。
ただ、如何に感染予防をした所で、患者の数は右肩上がりに増加していく。悪い事に、入院した患者の多くが重篤化し、数日で命を落としている。
それは、日本国民を恐怖させた。そして世界中でもニュースになり、『新型ウイルス』の脅威に危機感を覚える様になる。
但し、現状で患者が見つかっているのは東京のみ。しかし、東京から関東へ、関東から日本中へと広がらない保証は何処にもない。
当然だ。東京都、特に都心で働いている多くは、都内に住まいを持つ者達ではない。神奈川、千葉、埼玉など隣県から通っている者が多いのだ。
ウイルスが日本全国に拡散していくのも時間の問題だろう。
日を追うごとに、関東全域を超えて患者数が広がって行く。東京に本社を置く企業から、支社に本社機能を移す企業が出始める。成田や羽田空港を利用する渡航者が激減する。更には、日本からの渡航者は厳重なチェックを受ける、場合によっては入国拒否をされる事態へと陥って行く。
これを受けて、政府は「緊急事態宣言も視野に入れて対策を講じる」と発表する。
コロナ渦で味わった恐怖を誰もが覚えているからだろう。外出の自粛が命じられた訳では無いにも関わらず、そこから辿るのはコロナ渦と同じであった。
関東の企業は軒並みリモートワークに切り替えて、社員を出勤させない様に指示を出す。飲食店からは足が遠のき、大型店舗は自ら営業時間を短縮した。そして学校は休校になる等、各所に影響が出た。
それでも、患者数は留まる事を知らない。再び閉ざされた生活を余儀なくされ、ストレスを抱える国民達の不満は政府にぶつけられる。
事態を重く見たWHOは、新型ウイルスのワクチン開発と配布を急ぐと宣言する。日本政府は緊急事態宣言を正式に発令した。
☆ ☆ ☆
「いや、流石にこの一週間足らずでこれだけの大惨事になるなんて、おかしいと思いませんかねぇ」
「佐藤。これも、能力者の仕業だって考えてるのか?」
「そりゃあそうでしょうよ。その上、この騒動の裏で何を狙って来るか、わかったもんじゃない」
「確かに、考えられなくもねぇな」
「そうでしょ?」
「そこで、工藤君の出番ですよ」
「翔一もなぁ~、頑張ってるんだよ」
「その反応は、今回も大した事は見つからなかったと」
「今回もって言うんじゃねぇ」
「所で、上層部はあんた等が原因って考えてる節も有るんですよ」
「あぁ? どう言う事だ佐藤!」
「どう言う事も何も、東郷さん達が異世界から病原体を持ち込んだって、考えてる奴も居るって事ですよ」
「はぁ。馬鹿らしい。そんな訳有るか!」
「つまり? どう言う事です?」
遼太郎を含み、異世界からの渡航者が存在する。その渡航者が未知のウイルスをこの世界に持ち込んだ。そう考えるのは、決して不自然な事ではない。
しかし、遼太郎はハッキリと否定した。
何故なら、時空を超えるのは冬也やアルキエルが使う様な転移とは訳が違う。少なくとも『体や衣服を分子レベルまで分解して、現地で再構成する』方法でしか出来ない。
この際に、『現地の世界に悪影響を及ぼす可能性の有るウイルス』を『体内に有したまま再構成する』事は有り得ない。何故なら、現地に合わせて物質を再構成するからだ。
そうする理由は簡単だ。体内の免疫システムも作用しなくなるからだ。
無論、神は物質的な制限を受けない。故に、アルキエルが未知のウイルスを持ち込む可能性は零に等しい。
付け加えるならば、神が無限に時空を行き来出来るかと言えば、そうではない。次元を超えるのは神とて並大抵の方法では渡れない。相応の神気を用いて行うのだ、ペスカが十数年をかけて溜め込んだマナを一気に消費したのもその証拠に他ならない。
「まぁ、一応の説得力は有りそうですね。それで、お宅の神様方は何て仰ってるんですか?」
「その言い方も、何とかならねぇか? 俺にとっちゃあ、ペスカと冬也は子供なんだ」
「片方は連れ子でしょうよ」
「関係ねぇよ、馬鹿野郎!」
「それより、その天才児がどう考えてるか知りたいんですがねぇ」
「ペスカは難しい顔をしてるな。アルキエルはくせぇって言ってやがった」
「臭い?」
「あいつなりに、何かを感じ取ってるんだろうよ」
☆ ☆ ☆
能力者であっても、特別な力を除けば唯の人間と変わらない。致死性の高い新型ウイルスは怖いのだろう。騒動が始まってから、能力者が起こすトラブルは激減した。
そして、誰もが沈黙し事態が収束するのを待つ。しかし、それで万全だとは思ってはいけない。誰かが何かを企んでいるとしたら猶更だ。
無論、この危機に際して立ち上がろうとする者も存在する。
「パパリン。明日から、伊勢神宮に行って来るよ」
「あぁ? 旅行って訳でもねぇんだろ?」
「うん。お兄ちゃんとアルキエルを連れて行くよ」
「とうとう会えるのか?」
「いや、土地神様からの答えは貰ってないよ。でも、今は強引でも尋ねるしかないと思うの」
「新型のウイルスか?」
「間違いないく、ウイルスは意図的に広められたんだよ」
「それは、お前の感か?」
「そうだよ。根拠は無い!」
「それなら良い。お前が正しいと思う事をやって来い。その間、こっちは俺に任せろ」
「まぁ、一泊二日で帰って来るつもりだけど」
「土産は赤福で良いぞ!」
「お土産代を含めて、交通費を頂戴?」
「なんでだよ! たかるなよ!」
「いや、だってほら。私ってロイスマリアから帰って来たばっかりだしさ」
「ったく、しょうがねぇなぁ」
冬也ならバイトをしていたのだから、幾ばくかは口座に入っているだろう。しかし、ペスカは違う。それに、アルキエルの分も有る。遼太郎は頭を掻きながら、財布からお札を出した。
そして、ペスカが遼太郎と話しをしている間、冬也とアルキエルは近くの神社まで足を運んでいた。
鳥居を潜ると空気が変わる。ただ、今回は静謐さよりも、緊張感を感じる。それは、ここの主が放つ感情から来るものだろうか。
しかし、そんな空気を読み取ろうとする二柱ではない。アルキエルはさも面倒そうにだらだらと歩き、冬也の後に続いているだけ。そして冬也は、珍しく眉根を吊り上げていた。
奥まで行くと、いつも通りに土地神が現れる。それを見た瞬間に、冬也は声を荒げる様にして言い放った。
「爺さんよぉ! 機会は作るって前に言ったよなぁ! そりゃあいつになるんだよ!」
「犬畜生では有るまいし、吠えるでない!」
「そうじゃねぇだろ! 今の日本がどうなってるのか、わからないとは言わせねぇぞ!」
「わかっておる、大変な事態じゃ」
「なら、何で悠長に構えてんだよ!」
「下界には関わらん。それが流儀だ」
「あんたがそう言うんなら、ここからは俺達の流儀でやらせてもらうが、良いんだな?」
「勝手にするが良い。どうやら、娘の方もそのつもりじゃろうしな」
「一応、大神には挨拶に行ってやる。ただ、挨拶だけだ。こっちから何も頼むつもりはねぇ」
「それも勝手にするが良い。後の判断は、大神様にお任せするとしよう」