第三百七十九話 極小の世界 ~ワープの能力者~
パトカーの中では、刑事の紙谷が冬也とアルキエルに事情を説明していた。
アルキエルは一応耳を傾けているものの、興味の中心は別に有った様で車内の様子を具に眺め、紙谷の説明に割り込む様にして質問を繰り返していた。
冬也と言えば、懸命に頭を働かせているものの、紙谷の説明をあまり理解出来ないでいた。
「東郷君。自分の説明はそんなに難しいかい?」
「馬鹿かてめぇは。そんなの冬也の頭がわりぃからに決まってんだろ!」
「アルキエルさんだったね。そんな事を言うもんじゃないよ」
「冬也に伝えるには、糞回りくどい説明なんて要らねぇんだよ」
「いや、でも状況がわかってないと」
「それじゃあ駄目だ。ワープだったか? その能力者っての捕まえれば良いんだろ? ならそれだけ言えや!」
「それで良いのかなぁ?」
「良いんだよ。こいつは、理由が単純な方が力を出しやすい。そう言う風に出来てんだ」
最初こそアルキエルの言葉を聞き流していたものの、流石に怒りが込み上げて来たのだろう。冬也は狭い車内でアルキエルを軽く小突く。
「なんか、言いたい放題じゃねぇか。単純なのはお前だろ、アルキエル!」
「おぉ? やるのか? とうとうやる気になったか、冬也ぁ!」
「やらねぇよ馬鹿!」
それは、一瞬の出来事だった。アルキエルが放った神意を受けて、紙谷が顔を青ざめさせる。意識を失わなかったのは、流石に多くの修羅場を潜り抜けて来た刑事と言ったところだろう。
紙谷は朦朧としながらも、パトカーを道路脇に急停止させる。事故が起きなかったのは僥倖以外の何物でもない。
そんな中、何事も無かったかの様にアルキエルは、冬也と戦わんと車を出ようとする。しかし、冬也が強引に手を引きアルキエルを引き留めた。
「止めろ、アルキエル。俺達は喧嘩しに来たんじゃねぇ。これが終わったら、幾らでも稽古をつけてやる。それまで待て!」
「はぁ。仕方ねぇ、今回は我慢してやる。それより、車を運転してた野郎はお前のせいで完全に気絶したけど良いのか?」
「いや、駄目に決まってんだろ! 起こすのを手伝え、アルキエル!」
「それよりも。こいつの記憶を読み取って、俺達だけで捕まえに行こうじゃねぇか」
「ここじゃ、それは駄目なんだよ」
「なんでだ? この役立たずが居ねぇ方が、楽に捕まえられるぜ」
「そういう法律なんだよ」
慌てた冬也が紙谷を揺り起こそうする。しかし、アルキエルは助手席に移り、車内の機械に釘付けになっていた。
アルキエルからすれば、冬也に着いて来たものの『退屈』だったのだろう。
法定速度で走る車に乗っているだけなら、走った方が早い。それに、少しは期待していたのだろう。佐藤という人間位には出来る奴が現れるのを。しかし、現れたのはそこらに歩いている人間と然程変わらない。軽く神意を放っただけで気絶しかけるのだから。
しかも、自分達で行動する事すら冬也に止められた。アルキエルにとっては、理解し難い出来事だろう。
ややあって紙谷を起こした冬也は、後部座席に戻る様にアルキエルへ伝える。紙谷は、何が起きたのか理解出来ておらず、暫く呆然としていた。
しかし、このままパトカーを道路脇に停め続ける訳にはいかないだろう。少し意識がはっきりしてきた所で、紙谷はパトカーを発進させる。
そこから、菅谷が潜伏していると思われるアパートまで、そう時間はかからなかった。アパートから少し離れた場所にパトカーを停めると、一向は目的の部屋に直行した。
「菅谷さん。いらっしゃいますか? 警察です。お話を聞きたいのですが」
呼び鈴を鳴らし、丁寧に声をかける。これ自体は、日本に住んでいれば普通の感覚だろう。しかし、これもアルキエルにとっては、不思議な行為に見えた。
「馬鹿じゃねぇのか。声なんぞかけてるから、逃げちまったじゃねぇか」
「でも、強引に部屋に入るのは駄目だぞ。そうですよね、刑事さん?」
「はい。一旦、大家さんにご協力を頂いて、開けて頂かないと」
「それこそ時間がかかりすぎちまう。ちょっと待ってろ! いや、お前はその何とかってのを連れて来い」
「言われなくてもそうします」
そうして、紙谷は走っていく。それを見届けると、アルキエルは周囲のマナを集め始めた。
「ペスカの様に呪文ってのは、慣れてねぇからなぁ。マナだって扱い慣れてねぇ。でも、何とかなんだろ」
「アルキエル、何する気だ?」
「勿論、ワープとやらの痕跡を探って、跡をつけるんだよ」
「出来んのか?」
「出来ねぇ方がどうかしてんだろ!」
必要なマナを集め終わると、アルキエルは意識を集中させる。肝心なのは、確実にワープの痕跡を手繰る事、それさえ出来れば行先に飛ぶのは訳ない事だ。
そして、アルキエルは扉一枚隔てた部屋の中を、マナを使って丁寧に探っていく。ワープの痕跡は直ぐに見つかった。そして、行先がわかった所で目を開ける。
「わかったぞ。ここから、そんなに離れてねぇ」
「そっか。でも、跡を追うのは刑事さんが戻ってからな」
「はぁ。そんな悠長な事を言ってたら、遠くに逃げちまうぞ!」
「俺達はな、単なる捜査の協力者なんだよ。何度も言うが、勝手な事は出来ねぇんだよ」
神の世界の定めが有った様に、人間の世界にも定めが有る。当然だが、異世界の日本にもそれなりの定めが有るのだろう。それ自体は理解している。
しかし、それでは貴重な機会を失う事にもなり兼ねない。今がそうだ。だから、理解はしていても、アルキエルは納得しない。
人間に判断を委ねなくても、自分達で判断して行動した方が確実な成果を挙げられるのだから。
「まぁ。どの道、俺たち神から逃げられはしねぇけどな」
「あぁ、だから今は従ってくれ」
「わかったよ。それより、ワープってのは便利な能力だな。俺ら神が使う移動方法より、冬也の方法に似てやがる」
「どう違うんだ? 遠くの場所に瞬時に移動するんだろ? 両方同じじゃねぇか?」
「だからてめぇは馬鹿なんだよ! 結果が同じでも、手段が違う。そもそもなぁ。てめぇは、色々と端折り過ぎなんだ!」
アルキエルの説明によると、神の移動方法は『亜空間という別次元』を利用して、別の場所に移動するものである。これに近いのは、インビジブルサイトの能力だろう。
対して、冬也は亜空間を利用しない。面倒なのか、はたまた自覚が無いのか、直接目的の場所に瞬間移動する。
恐らく、冬也の場合は瞬間移動の物理的な理論を理解しておらず、『自由に何処へでも行ける』と自身で定義付けているからだろう。
その根本となっているのは、ペスカと一緒に観たファミリー向けのアニメだ。だから、理論等はすっ飛ばしている。
ワープの能力者も自らに同じ様な定義付けをしたに違いない。その根本が冬也と同じかどうかはわからないが。
冬也とアルキエルが話しをしていると、大家らしき人物を連れた紙谷が戻って来る。それと同時に警ら用スクーターが何台かやって来た。これは、紙谷が連絡したからであろう。
ただ、時は遅く既にアルキエルが室内の調査を行った後である。それを説明すると、紙谷は少しの間、口をポカンと開けていた。
「はぁ? 何が?」
「例の野郎は、逃げたばっかだ。開けてみりゃあ、何か残ってんだろうよ」
「あぁ、そうですね。大家さん、お願いします」
大家が鍵を開けると、紙谷が勢いよく室内に入って行く。室内は、家具らしき物が殆ど無く、がらんどうとしている。
逃げる直前まで煙草を吸っていたのだろうか、部屋の真ん中には灰皿が有り、未だ火が燻っている煙草が残っていた。
灰皿の周りを触ると、温もりが残っている。紙谷が声をかけた事で、慌てて逃げだしたのは間違いなかろう。
「どうせ、てめぇはお仲間さんと一緒に、ここを調べるんだろ? 野郎は俺達が捕まえて来るから、少し待ってろ」
「仕方ない。この状況だと、自分がいても足を引っ張るだけだろうしね。頼むよ君達」
紙谷の同意を得ると、アルキエルと冬也は姿を消す。こうして、菅谷の追跡が始まった。