第三百七十六話 極小の世界 ~取り調べ~
「翔一、探知の状況は?」
「今の所は、これと言って」
「そうか。署内に入っても頼むぞ」
「わかってます」
三人は、少し回り道をしながら遅い朝食にした。その最中でも、翔一は周囲の探知を怠らなかった。それは、町田での出来事で痛感した事だ。『誰かに覗かれている可能性」についてだ。
自首がもし黒幕の仕業なら、経過を観察している者が近くに息を潜めているはず。場合によっては、警察内部に黒幕と通じている者が居てもおかしくはない。
食事の時間も緊張感から解放されず、三人は予定通りに八王子署へ向かった。近くのパーキングに車を停めると、遼太郎は念の為に佐藤へ連絡を入れた。
佐藤は既に八王子署に到着している様で、取り調べも始まっている。「東郷さん達の事は話しを通して有るから、直接取調室に来て欲しい」との事だった。
八王子署に入ると遼太郎は、たまたま近くを歩いていた警察官を掴まえ、取調室の場所を聞き出す。そして、二人を連れてズカズカと署内を歩き出した。
警察という特殊な空間で有っても遼太郎という存在は異質な様で、通り過ぎる刑事等は皆一様に振り返っていた。
「先輩は本職より威圧感が有るからな。寧ろ、猛獣だと思われてるんじゃないか?」
「馬鹿な事を言ってんじゃねぇ、安西! 俺みたいな温和な人間は他にいねぇだろ!」
「いやいや。ペスカちゃん達の言葉通りなら、遼太郎さんは元神様ですし」
「翔一! お前まで茶化すんじゃねぇよ! さっさと行くぞ!」
目的の取調室まで到着すると、扉を封鎖する様に立っていた警察官が、遼太郎達を隣の部屋へ案内する。そこは壁の一部がガラス張りになっていて、隣の部屋の様子が見える様になっていた。
部屋の中では佐藤を初め、複数の刑事が腕を組んで事情聴取の様子を眺めている。遼太郎達が入って来たのを確認すると、佐藤は手招きして近寄らせた。
「順調か?」
「ええ、まあ」
「何か引っ掛かってるって感じだな?」
「そりゃまあ、最初からですけどね」
「取り合えず、奴さんは?」
自首した男の名は『久木翔』、性別は男性、年齢は三十二、職業は無職との事だった。無論、能力を有している。そして能力は『爆破』であった。
事件当日の夜、深酒で泥酔していた久木は、たまたま被害者とすれ違う。すれ違い様にぶつかり、それから口論に発展した。そして、気が付いた時には腕を吹き飛ばしていた。
無論、怪我をさせるつもりは無かった。殺すつもりなど毛頭ない。だけど、吹き飛んだ腕からは大量の血が流れている。それでパニックになり、能力者の友人へ連絡した。
友人の名は『菅谷隆夫』、性別は男性、年齢は三十四、職業はサラリーマン、能力は『テレポート』だ。
久木に頼られたものの、菅谷も焦っていたという。適当な家屋を選んで、被害者をテレポートさせた。だから、テレポート先はわからなかったらしい。
救急に連絡しなかったのは、逮捕されるのが怖かったから。しかし、朝になると急に怖くなり自首したと証言していた。
「まあ、ここまでが証言なんですがね」
これまでの証言を粗方聞かせると、佐藤は眉をひそめた。
「そもそも、インビジブルサイトの件が無ければ、僕が八王子くんだりまで出張る事もなかったんですよ」
その通りだ。八王子署の管轄で起きた事件だ。本来なら、新宿署に勤務している刑事が、事情聴取に立ち会う事は無い。
警察側がそれだけインビジブルサイトの能力や、黒幕側を警戒しているのだ。『能力者事件対策室』の佐藤が出動している事が、何よりの証拠となろう。
「あれが無ければ、久木を容疑者として引っ張っても良かったんですけど」
「でもよ。どの道、菅谷ってのも重要参考人として引っ張るんだろ?」
「えぇ、勿論。まぁ、あの二人からガイシャの身元が割れるとは思いませんけどね」
久木が容疑者だと仮定すれば、一応は証言に筋が通っている様にも感じる。しかし違和感が残る。
問題は、なぜ久木は被害者をアパートに放置したのかだ。しかも久木の証言では、被害者を放置する為にわざわざ菅谷の能力を使って運ばせている事になる。
これでは『敢えて死体を隠そうとしている』としか考えられない。
久木が被害者に怪我をさせて逃げただけなら、ただの『傷害罪』では無く『保護者責任遺棄致傷罪』に問われるだろう。被害者が死亡したとなれば『保護者責任遺棄致死罪』に問われる可能性が有る。
ただ、『敢えて死体を隠そう』と考えたのならば、もっと罪は重くなる。刑法を詳しく知らなくても『罪が重くなるだろう』事は、誰でも考え得る事ではなかろうか。
それならば何故、救急を呼ばなかったのか? それは本当に、逮捕される事を恐れての行為だったのか?
久木と菅谷は恐らく事件とは無関係であろう。ならば、自首して来たのは何故か? 捜査を攪乱しようとする黒幕の策略か?
「そうなると、僕の出番ですね」
「覗いている奴は?」
「見当たりません。署内にもこれと言って怪しい人は居ませんでした」
翔一の探知を警戒したのか、余程慎重なのか。恐らくは両方なのだろう。迂闊に署内へ侵入する真似はしていない様だ。
遼太郎は、それを確認すると翔一に向かって首を縦に振る。その合図と共に、翔一は周囲の探知を止めて久木に集中した。
「久木純也、三十二歳。職業は無職。能力は爆破。証言に間違いは無さそうですね」
「奴は、お前が現場で感じた気配か?」
「いえ、違います。それに彼の能力では、腕だけを吹き飛ばすなんて緻密な操作は出来ない」
「やっぱりか」
「そっかぁ。でも、参ったなぁ。菅谷をどうやって引っ張ろうかなぁ。相手はテレポートの能力者だし。逃げられちゃうかもなぁ」
久木が犯人で無い事がほぼ確定し、少し緊張が溶けたのだろう。佐藤は口角を少し上げ、背伸びをしながら軽口を叩く。それを見た遼太郎は、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。
「面倒くせぇな、佐藤。あからさまに、棒読みの台詞を吐くんじゃねぇよ」
「でも、本当の事ですよ。インビジブルサイト本人は、今頃寝こけてやがるから良いですけどね。こっちには、能力者を捕まえておく手段なんて無いんですから」
実際に、能力者が起こす事件で最も厄介なのは、そこなのだ。仮に手錠を嵌めても留置所に押し込めても、それを破壊する等して逃走されてしまう。
何らかの方法で『能力を使えない』状態にしないと、拘束しておく事は不可能だ。それでは問題も多い。国を上げて対策を急いでいるが、間に合っていないのが現状だ。
その意味では、遼太郎がインビジブルサイトの少年を眠らせたのは、最善の策とも言えよう。
「まぁ良い。菅谷の方はこっちで助っ人を出す」
「それは、もしかしてお宅の息子さんですか?」
「あ~、それでも良いな。どうせ暇こいてんだろうしな」
「どうせ助っ人に来てくれるなら、エリーさんが良いなぁ。美人だし」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。警察がセクハラじみた真似すんな!」
ただ、呑気な会話は直ぐに終わりを告げる事になる。佐藤のスマートフォンが鳴り響き、緊急事態を告げる。それは、誰もが予想だにしない出来事の始まりだった。
「佐藤警部、緊急事態です。高藤俊。いや、インビジブルサイトが病院内で死亡しました」
「はぁ? 何だと?」
「繰り返します。病院内で死亡しました」
この時点で、佐藤はスマートフォンをスピーカーモードに切り替える。そして、スピーカーから流れて来る報告は、刑事達をおろか遼太郎達ですら青ざめさせた。
「監視はつけていたんだろ?」
「勿論です。我々の目の前で突如血を吐きました。それから直ぐに死亡しました」
「くそっ、急いでそっちに向かう」
通話を切ると、佐藤はスマートフォンを強く握りしめたまま声を大にする。
「おい! 直ぐにインビジブルが搬送された病院へ向かうぞ!」




