第三百七話 アルキエルとの再戦
ペスカと冬也はアルドメラクとの戦いに向けて、準備を重ねていた。だがアドラメラクが誕生し、世界情勢を悪化をさせても、傍観をしていた。
何故なら、アドラメラクに立ち向かう為に、足りないものが有ったからである。
単に力尽くで排除するなら、今のペスカ達であればそう難しい事ではない。しかし悪感情を糧に、これからも生まれ続ける邪神に対し、いつまで力尽くで処理し続けるのか。
それでは根本的な解決には、ならないのである。
それなら、怒りや嫉妬などの感情を捨てさせるのか? 違う! そもそも、怒りや嫉妬などの感情は、誰しもが持つ自然な心の動きである。
自然な心の動きを無くせば、文字通り不自然となる。マイナスの感情が有ってこそ、プラスの感情も存在を得る。言い換えれば、喜びも感動も無くなる。
大事な事は、悪意に負けない事である。弱さを理由に、逃げ出さない事である。
誰もが逃げ出したくなる時が有る。投げ出したくなる時が有る。強くないから他者を助けられない、確かにそうだろう。
弱さから目を背け臭い物に蓋をする、見て見ぬふりをする、それで良いはずが無い。立ち向かう心の強さ、他者に手を差し伸べる優しさ。命の危機に際して共に逃げようと、手を差し伸べる事が出来るなら、それは立派な強さである。
直接的にアドラメラクと対峙するのは、ペスカと冬也になるだろう。しかし、地上に生きる全ての者が悪意と戦わなければならない。彼らこそが、悪意に打ち勝たねば、新しい未来は訪れない。
苦しい選択を強いたのは事実である。ただ、皆がそれに応えた。誰かが悪意に膝を屈しても、仲間がそれを助ける。そして、神と生物が手を取り合う。これこそが、邪神から世界を救う本当の力になる。
世界は、確実に成長を遂げつつある。それを見極め、ペスカと冬也は新たな行動を起こした。
地上では仲間達が頑張っている、今は信じて任せれば良い。今は一つでも、懸念材料を消しておかなければならない。それは、神の世界から消えたアルキエル。
そして、アルキエルは来るべき戦いに備えて、ひたすらに研鑽を重ねていた。盲目的とも言える行動の奥に秘められたものに、未だ気が付かずに。『冬也との再戦』が今のアルキエルを突き動かしていた。
アルキエルは、完全に行方をくらましている。アルドメラクが行方を追えない状況が、それを立証しているだろう。しかし、これまで世界を傍観していたペスカと冬也だけは、アルキエルの潜む場所を突き止めていた。
「行こうペスカ。多分あいつも、俺を待ってる」
「うん。お馬鹿さんの目を覚まさせないとね! 期待してるよお兄ちゃん」
「あぁ、任せろ」
そしてアルキエルの作り上げた空間の中に、ペスカと冬也は転移する。冬也の来訪を歓迎するかの様に大剣を振り続けていたアルキエルは、動きを止めて笑みを浮かべる。
「待ってたぜ冬也ぁ! さぁ、殺し合おうや!」
その言葉に冬也は溜息をつく。相も変わらず、アルキエルの目には冬也しか映っていない。まだ何も見えてない。何も得ていない。強烈な殺気を消すまで、至ったにも関わらず……。
冬也は嘆息しつつもペスカを後方に下がらせて、アルキエルに近づいていった。
そしてペスカは、直ぐに辺りを神気で囲み結界を張った。これから始まる戦いを、誰にも邪魔させない為に。
「まだそんな下らねぇ事を言ってんのかアルキエル。そんなんじゃ、俺には勝てねぇよ」
「下らねぇかどうかは、戦いで証明してやる!」
アルキエルは大剣を大きく掲げる。
「今度は、得意な剣で戦うのか?」
「ったりめぇだ! 手を抜いて負けたと、思われたくねぇんでな!」
「はぁ、まぁいい。武器の差じゃねぇ事を、てめぇの魂に教え込んでやる! 来いよアルキエル! 待ち焦がれてたんだろ! 相手をしてやるよ!」
冬也は体中の隅々まで神気を満たして、構えを取った。そしてアルキエルは、大剣を振りかざして一歩を踏み出す。次の瞬間には、冬也が居た場所に大剣が降り下ろされていた。
直線的すぎる攻撃が、冬也に当たるはずが無い。冬也はアルキエルの懐に入り込み、右拳を振るった。
神気の籠った強烈な一撃が鳩尾を抉り、アルキエルは吹き飛ぶ。そして、吹き飛んだアルキエルを見下ろす様に冬也は言い放つ。
「一本だ! アルキエル!」
この言動は、冬也の行動はアルキエルを激高させた。
求めてたものとは完全に異なる。生死を賭けた緊張感を保って、冬也が来るのを待っていた。また、冬也の闘志も漲っていた。望んだ戦いが出来るはずだった。
しかし、冬也はただ殴りつけるだけ。今の冬也なら、この一撃で神格ごと破壊する事も可能だったはず。
「本気を出せ! 何故手を抜いた! 馬鹿にしてるのか冬也ぁ! ふざけんじゃねぇ!」
声を荒げるアルキエルに、冬也は静かに言い放つ。
「馬鹿にしてねぇし、手も抜いてねぇ。わからねぇなら、お前はまだまだって事だ。さぁアルキエル、かかって来いよ! 稽古の時間は終わってねぇぞ!」
「なめんじゃねぇ~!」
アルキエルは再び上段から大剣を振り下ろす。右に躱す冬也を追い、アルキエルは降り下ろした大剣を途中で止めて、横薙ぎに振るう。
それは、アルキエルの剛腕が成せる技である。それでも、アルキエルの攻撃は冬也を捉えられない。
右に左に大剣を躱し、的確にアルキエルの急所を抉る。その度にアルキエルは、大きく吹き飛ばされた。
冬也が稽古と言った通りの様相が、展開されていく。
地上の生物を模して作った神の身体に、痛覚は存在しない。ただし、神格が傷付けられれば別である。冬也の拳は、アルキエルの神格にダメージを与えている。苦しまないはずが無い。しかし、アルキエルは痛む素振りも見せず、冬也に向かっていく。
冬也と戦う中で、アルキエルは精神を研ぎ澄ませていく。あれだけ戦い方を模索したのに、何故届かない。意思の力では無かったのか? 俺の剣は何が足りない。どうしたら、冬也に届く?
その思考は、無意識だったろう。それは戦いへの集中を誘い、アルキエルの大剣に鋭さを与えていく。
冬也は避けきれずに、アルキエルの大剣を手で往なす。アルキエルの攻撃は、徐々に鋭さを増していく。アルキエルは、冬也に吹き飛ばれる回数が明らかに減っていた。
互角の戦いが繰り広げられる。目に留まらない斬撃と拳が激しいぶつかり合い、轟音だけが空間内に響き渡る。ペスカでさえ、その動きを捉えられずにいた。
どれだけの轟音が響いただろう。ふと、冬也が攻撃の手を止めアルキエルと間合いを取る。
「何を笑ってやがる冬也! ふざけんな!」
確かに、冬也はアルキエルを見て笑みを浮かべていた。
「いや、俺じゃねぇよアルキエル。わかんねぇか? お前、いま笑ってんだぜ! 楽しそうによ!」
アルキエルは、理解が出来なかった。楽しそうに笑うなんて、冬也は何を言っているのだ。
「アルキエル、気が付かねぇか? お前はいま、ちゃんと勝負をしているんだぜ!」
剣は途中で止めるよりも、振り下ろした方が簡単である。そして、殺す気で振った剣は、絶対に止められない。止める強固な意思がなければ。
冬也を殺すはずだった。殺し合いが全てのはずだった。もしかして、俺は手を抜いていたのか? いや、全力だった。全力で冬也に向かっていった。
アルキエルは、気が付いていない。もしかしたら、懸命に気が付かない様にしていたのかもしれない。そうしなければ、これまでの戦いが嘘になってしまう。
どれだけ多くの神を消滅させて来た。どれだけ多くの生き物を殺して来た。戦いの果てに命を落とすのは、自然な事である。それの何が悪い。俺は間違っていない。
絶対に間違っていない。アルキエルは、冬也を睨め付ける。しかし、冬也は笑みを崩さなかった。
「まだ下らねぇ事を考えてんのか? お前はもう、俺を殺せねぇ」
「何を言ってやがる、ふざけんじゃねぇぞ! てめぇをぶち殺すなんて簡単なんだ!」
「だったら、やってみろ! 抵抗はしねぇ、俺を殺してみろ! 絶対にお前は、俺を殺せねぇ!」
冬也は大きく両腕を広げて、声を荒げた。そして、神気を解き丸腰の状態になる。
いくら冬也でも、神気での防御が無い状態でアルキエルの剣を受ければ、神格ごと粉々にされる。顔を真っ赤に染め、鋭い眼光でアルキエルは冬也を睨む。そしてアルキエルは、大剣を勢いよく振り下す。
だがその大剣は、冬也を切り裂く事は無かった。冬也の頭上で固まった大剣は、そこからピクリとも動かなかった。アルキエルは、冬也を殺すつもりで振り下ろした。
しかし……。
アルキエルの手から離れた大剣は、冬也を避ける様にし、音を立てて転がる。そしてアルキエルは、弱々しく崩れ落ちた。
「何でだ冬也。何でだ……」
アルキエルはがっくりと項垂れる。
これまで戦い続けて来たのは、何だったのか。人間の脆弱な体を纏い全力を出す事さえ出来ない半端な神を、殺す事さえも出来ない。戦いの神が聞いて呆れる。
アルキエルは、自分の中から全てが失われる感覚に陥っていた。
そして冬也は静かに口を開く。穏やかな神気が辺りを包む。冬也の言葉は自然とアルキエルの心に届いた。
「お前は殺す事が目的の、機械じゃねぇからだ。心が有るんだ。お前が目指した本当の目的を思い出せ、アルキエル」
冬也の言葉で、脳裏に浮かんだのはかつて失った友の姿。アルキエルの中には、在りし日の情景が浮かんでいた。




