第10章 孤独な研究者
私と富美は、王都の小さな門を通り抜けた。そこには、見たこともない景色が広がっていた。洋風な建物が、随分と奥までずらりと並んでいたのだ。とはいえ、この光景は村でもよく見ていた光景だった。私が驚いたのは、一つ一つの建物の土地の大きさだった。あまりにも、小さいのである。しかし、どの建物も5、6階建てになっている。普通なら、崩れてしまうが、どのような建築技術があるのだろう。私は不思議に思った。さらに、どこの建物も1階の普通の扉の他に、最上階にも扉がある。ベランダとも思ったが、それにしては、床が小さすぎる。何だろうか。すると、箒で空を飛んでいる人が、その扉を開けて中に入っていった。そうか。ここは、空を飛んでいる人専用の入り口なのか?というか、私と富美、そしてシードさん以外で空を飛んでいる人を初めて見た。私と富美は、開いた口が塞がらなかった。
「随分と驚いているようですね。」
アンさんは言った。
「いや、私と富美とシードさん以外にも人は飛ぶんだなぁと。」
私は言った。
「ええ、そうですよ。『浮遊術師』や『堕天使』以外にも空を飛ぶことができる『称号』は多くありまして……例えば、一番オーソドックスなのは、『魔女』ですね。」
「『魔女』……。」
私と富美は声を合わせて言った。
「ええ、先ほどから、箒で空を飛んでいる方を見ると思いますが、その方々は多くが『魔女』です。建物の最上階に設置されている扉もこうした方々のための入り口だったりします。ちなみに『魔女』は定義上の表記ですので、男の人でも『魔女』と呼ばれます。まあ、最近は、『魔法使い』と呼ばれることもあるみたいですが。」
やはり、そうだったのか。私と富美は感心した。その後、アンさんは、注意するが如く言った。
「あ、でも、例え、空を飛んでいる人が多いとは言っても、あなた方のような『浮遊術師』は、とても珍しい人たちです。大半の空を飛べる『称号』は、翼や羽、箒がないと飛べません。だから、そうむやみに飛んではいけませんよ。あなたたちは、生身で飛べるだけでも、物凄い価値を持っているのですから。」
「はぁ……。」
少し期待していた私と富美は落ち込んだ。シードさんはあまり気にしなくていいと言っていたのに、人それぞれで言ってることがまちまちだ。とはいえ、何かあってからではいけないから、一応飛ぶのは避けておこうとも思った。
「でも!」
アンさんは私と富美の前で仁王立ちをして言った。
「この王都には、多くの店があり、流行の最先端を走っています。空を飛べなくとも、楽しめる場所は多くあるのです!」
私と富美は、少し元気を取り戻した。
「その前に……宿を探さなきゃあね……。」
マリンさんは言った。忘れていた。王都に来ているのは、私と富美とアンさんだけではない。
一同は、宿を探すことにした。しかし、どうも見つからない。どの宿屋も満室になっているのだ。
「人口が増えすぎて、住宅がなくなってきたとは聞いていたが、まさか、宿屋にまで侵食してきていたとは……。」
マイクさんは言った。もしかして、一つ一つの建物の土地が狭いのもこれに関係があるのだろうか。
「いや、違うと思うな。確か、『勇者召喚式』が今週末って話だったよな。その影響もあるんじゃないか?」
ガリスさんは周りを見渡しつつ言った。確かに、ガーランドが町中の至るところに吊るされていたり、カラフルな花の飾りが建物にされていたりと、どことなく『特別市場』に似た雰囲気を醸し出していた。また、『勇者召喚式』は世界の命運をかけた勇者のお披露目の日ともいえる。各国から要人が来賓していてもおかしくない。だからこそ、影響がないとは言い切れない。
「じゃあ、俺ら、野宿ってか!?」
マイクさんは冗談交じりで言った。すると、すかさずマリンさんは、
「馬鹿言うんじゃないよ、意地でも見つけるんだよ。」
と突っ込みを入れた。私と富美、アンさんは苦笑いをした。
皆は、空き部屋のある宿屋を人に聞いて回りつつ、必死に探し歩いたが、見つかることはなく、気が付けば、夕方になっていた。このままでは、マイクさんの冗談が本当になってしまう。そして、もう駄目かと思われたその時、古ぼけた小さな宿屋を見つけた。
「や、宿屋ぁ……!」
私は言った。
「うわっ、ボロいな、なんか気味悪いというか……。」
マイクさんは言った。
「そこまで文句を言うなら、野宿すればいい。私はどんな宿屋でもいいから、ちゃんと泊まるよ。」
マリンさんは言った。そして、皆は宿屋に入った。
中のロビーには痩せこけた老人がいた。
「いらっしゃい。」
声も細々としている。
「いきなりで申し訳ないが、6部屋、空いてるかい?」
マリンさんは言った。
「すまないが、ここは5部屋しかない。まあ、全て空いているが。」
「うーん。」
マリンさんは迷った。が、
「大丈夫だ。」
と言った。
「え!」
一同は驚いた。
「どうしてなのさ。」
マイクさんは言った。
「考えても見な、2人1部屋で大丈夫な人がいるでしょう。」
マリンさんは指さした。そして、その指は、私と富美の方を向いていた。皆は納得したようだったが、私と富美は納得できなかった。
「え、なぜ私と富美が同じ部屋に!?」
「私たちってまだ、そこまで……。」
「こんな状況でそう文句も言ってられないだろ。それにあんたたちは付き合ってるんでしょ?」
マリンさんは言った。私と富美は顔が赤くなったが、疲労がたまっている今、言い返すこともできなかった。
「で、素泊まり、1ヵ月、見積もっていくらだい?」
マリンさんは言った。
「1人銅貨30枚だ。」
「え、安い。」
アンさんは言った。
「え、そうなんですか?」
私は言った。
「そうですよ、大体、王都の宿屋なら、1ヵ月金貨2枚はくだらないですよ。」
アンさんはそう言うが、金貨3枚とやらがどれほどの価値なのかはっきりとしていない。ここ1~2ヵ月ほど生活してきて、この世界での貨幣はほとんどが硬貨だということがわかった。そして、硬貨は、100枚で1つ上の価値の硬貨1枚分となり、真鍮貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨、魔石貨の順に価値が高いらしい。一般的な王都の宿屋は1ヵ月で金貨2枚……銅貨換算で20000枚。そう考えると、銅貨30枚は相当破格な値段ではないだろうか。
「……正直、こんな誰も見つからないところで宿屋してりゃあ、ここまで安くしないと人が入んないんだよ。」
老人は言った。皆は何も言えなかった。
私と富美は、部屋に着いて、すぐにベッドに倒れこんだ。流石に、1つのシングルベッドで2人寝るという荒業はしなくて済んだ。が、できれば、ベッドは互いに別々でありたかった。この宿には、2階にシングルベッドの部屋が3部屋、3階にダブルベッドの部屋が2部屋あった。ダブルベッド1部屋は、流れ的に私と富美に決まってしまったのだが、残り、1部屋は余った人でじゃんけんをして、アンさんが1人で使うことになった。
「やった!一人占め!」
きっと、アンさんは、部屋で1人喜んでいることだろう。というか、じゃんけんの文化はあるということに驚きだ。とはいえ、非常に困った。いくら付き合っているとはいえ、いくら肝試しのときに宿屋で同じ部屋で寝たとはいえ、同じ布団の上で、2人きりで寝るということに、非常に抵抗……いや、恥ずかしさがあった。疲労もあって、つい、倒れこんでしまったが、私はすぐに立ち上がり、冷や汗が滝のように流れている状態で言った。
「いや、流石に、同じ布団の上だとあれでしょ、だから、私は床で寝るよ。」
私はこう言って少し安堵した。
「いやいや、いいよ。私こそ床で寝るよ。もしあれなら、2人で同じベッドの上でも……。」
富美は言った。予想外だった。私は混乱した。富美は、彼女だ。やがてこうしたときが来ることも分かっている。分かっているが……。
「床で寝ると、メリットも多いんだよ。デトックス効果があり健康にいいし、背骨を矯正してくれるし、寝るところにダニが繁殖する心配が無いから。」
私は咄嗟にそれっぽいことを言った。
「そうなんだ……。わかった。」
富美はそう言うと立ち上がり、荷物の整理を始めた。私はやっと完全に休まったような気がした。
次の日、案の定、背中が痛かったが、私は黙っていた。
「皆さんおはようございます。昨夜はお楽しみだったようで。」
支度をしてロビーまで降りてきた私と富美に対し、老人は言った。なぜ、異世界の人物である宿屋の老人がこのネタを知っているのか不思議だった。しかし、それ以前に私と富美は焦った。とはいえ、別に卑猥なことをしたとかそういうわけではない……このくだり、少し前にもあった気がする。
「え?何のことでしょう?」
私は言った。
「いえ、からかっただけです。」
老人は言った。私と富美は、半笑いした。こういう冗談は良くない。そう思った。
今日から、しばらくはそれぞれのしたいことをやることになった。そして、私と富美とアンさんは、王都の探索に出ていた。
やはり、王都は何もかもスケールが違う。正直、これまでいた村でも十分満足していたが、王都にしかないありとあらゆるものに、新鮮さを感じていた。言うならば、地方の人が東京へ初めて来たときのあの感覚だろうか。私と富美は、『特別市場』並みに楽しんでいた。
とはいえ、人がとにかく多い。『勇者召喚式』の影響なのかわからないが、店に寄ろうにも、どこも混み合っていて、優雅に見れる場所は存在しない。
洋服店、本屋、家具屋、武器屋、雑貨屋……アンさんは下調べをしていたらしく、様々な場所に連れていってくれたものの、どこも人であふれていた。
「うーん、こうなっては見れる場所もありませんね……。そうだ、皆さん、映画館に行くのはどうでしょう。話題の映画があるんですよ。」
アンさんは言った。
「いいですね。」
「面白そう。」
私と富美はそれに同意したが、案の定、結果は……
「申し訳ございません。本日の回はすべて満席となっております。」
映画館の受付嬢は言った。アンさんは渋い顔をした。
どこか空いている場所はないかと探し回っている中、おなかが空いてきた一同は、近くにあったカフェに入ることにした。扉を開けると、やはり、中は人で埋め尽くされていた。
「いらっしゃいませ、現在満席となっておりまして……。」
給仕さんは言った。これまで、案内してきた場所が全て混んでいたアンさんは、次こそはと気概の入った目で、給仕さんに訴えかけた。
「相席であれば、すぐご案内できるのですが……。」
明らかに給仕さんは、アンさんに恐怖抱いていたのではないかと思う。アンさんは、大丈夫かと聞くように、私たちの方を見たので、私と富美はうなずいた。
「大丈夫です。」
「それでは、ご案内します。」
席に案内されている途中、アンさんは給仕さんに話しかけた。
「相当、賑わっていますね。」
「ええ、やはり『勇者召喚式』の影響があるのでしょう。でも、私たちにとっては、良い稼ぎ時なので。」
「ええ、そうですね。」
アンさんと私と富美、そして給仕さんは笑った。アンさんの笑いが少し怖い。
「少々お待ちください。」
給仕さんは足を止めて言った。どうやら、相席の許可を取りに行ったようだ。
「お待たせしました。ご案内します。」
給仕さんは言った。どうやら、許可がとれたようだ。
案内された先には、6人掛けのテーブルを1人で占領している……ウサギがいた。ウサギ……そうウサギなのだが、やけに大きいし、下半身人間だし、丸メガネを掛けている。私と富美は、初めて見るその生物に一瞬驚きの表情を見せたものの、こうした反応を見せるのは失礼だと感じてすぐにそれを押し殺した。
「あのー、相席をお願いしたいのですが……。」
アンさんは恐る恐る言った。というのも、テーブルの上に大量の書類を広げて、まじまじとそれを真剣そうな表情で見ているのだ。
「ああ、すまない。話は聞いている。」
アンさんの声に気づいたのか、ウサギは書類を一か所にまとめはじめた。私と富美、アンさんは、そのウサギの向かいの席に座った。
「皆さん、何にしますか?おなかが空いているのでしたら、サンドイッチとか……。」
アンさんは、メニューを見ながら言った。が、私と富美は目の前にいるウサギに目を奪われていた。
「そこまで、まじまじと見たら失礼ですよ。」
アンさんは小声で言った。私と富美は、そこまでまじまじと見ている自覚はなかったが、周りから見れば、そう見えていたようだ。私と富美は、少し恥ずかしくなった。
「あ、すみません。」
「すみません。」
すると、そのウサギは、私たちに目を向けた後、笑って言った。
「あははは、別に問題はない。私みたいな獣人は今では相当珍しい。仕方のないことだ。」
「獣人!?」
私と富美は驚いた。
「そうだ、獣人。昔は、人間の次に多い種族だった。だが、魔王軍との戦いの影響もあって、数を大きく減らしている。今週末、『勇者召喚式』で『勇者』が召喚されると聞いたが、どうなることか。」
私と富美、そしてアンさんは、それを聞いて何も言えなかった。
「すまないね。悪い空気にしてしまったようだ。御三方は、観光で来られたのかな?」
「はい。」
私は答えた。
「王都は、国の最先端を行く流行、娯楽、文化の宝庫だ。ぜひ、楽しんでくれたまえ。と言っても、今は混んでいてそこまで見れる場所もないだろうが。」
ウサギは言った。私と富美、そしてアンさんは苦笑いをした。
その後、私たちは店員を呼んだ。どうやら、ここのサンドイッチは美味しいことで有名らしく、私と富美、アンさんの全員が、サンドイッチを注文した。そして、やはり特徴が出たのが、飲み物で、私はコーヒー、富美はカフェオレ、アンさんは紅茶という違う組み合わせだった。出来上がりを待つ間、特に何かすることもなく、私は外を眺めていたのだが、書類を見るのに夢中になっていたのか、ウサギが書類の一部を床に落としてしまった。これを見て、すかさずアンさんは拾い上げた。
「おお、すまない。」
ウサギはそう言って、拾った書類をもらおうとするが……アンさんは、唐突に拾った書類に目を通し始めた。そして、
「素人質問で申し訳ないのですが、この記載は……。」
拾った書類に指をさしながら、何やら難しそうな話をし始めた。私と富美は、2人の会話の内容を全く把握することができなかった。しかし、徐々に2人の距離が縮まっていることは感じた。
「君、随分と面白いことを言うじゃないか。」
「いや、ありがたいです。あなたはどこかの研究員をされているのですか?」
アンさんは聞くと、ウサギは言った。
「ああ、そうだった。名乗っていなかったね。私はラビター・ホワイト、王立研究所で主任研究員をしている。」
ラビター・ホワイト……私と富美は、この名前に聞き覚えがあった。そして、すぐに思い出し、
「それって……。」
と口に出したその瞬間、アンさんの驚きの声が店内に響いた。店内にいた全ての人々の視線が私たちに注がれた。私たちは、愛想笑いをした。
「私!あなたの著書の大ファンなんですよ!私、『博士』の『称号』を持っておりまして、あなたの理論を知ってから、これはどういうことなのかと考えるのが、とても好きで!特に、『クリスタル電力増幅器の研究』は私のお気に入りの一つで、謎多き不思議な物質『クリスタル』は、なぜ電力を増幅できるのかを詳しく解説されていて、確かに、まだ未解決なところも多いですけど、とても印象に残りました。」
「そうなのか!なら、あなたの知識量も納得できる。本当に私の著書を愛してくれているようで嬉しいよ。」
「すみません、あのー、握手をしてもらってもいいですか?」
「もちろんですとも。」
アンさんとラビターさんはしっかりとした握手をした。私と富美は、どこか遠い所へ置いて行かれたような気がした。
「えーと、あ、すみません。私とラビターさんだけで盛り上がっちゃって。」
アンさんは言った。
「ええ、大丈夫ですよ。」
私と富美は言った。アンさんがここまで興奮している姿を初めて見たような気がした。
「そういえば、あなたのお名前を聞いていませんでしたね。お名前は?」
「アン・ローゼントと申します。辺境の村の図書館で司書を務めております。」
少しの沈黙が流れた。
「えーーーーー!!!!!!」
私と富美、そして何故かラビターさんも驚きの声を上げた。またしても、店内の視線は、私たちに集まった。私たちは、愛想笑いをした。
「あ、そういえば、明さんと富美さんには話していませんでしたね。私の苗字はローゼントというんですよ。」
「そうなんですか。素敵なお名前。」
富美は言った。
「素晴らしいお名前だと思います。」
私は言った。
「ローゼントって南東の街の……。」
ラビターさんは言った。
「ええ、そうです。私のことをご存じなのですか。光栄です。」
アンさんは言った。ラビターさんは困惑する私たちを見て、目を見開いて言った。
「君たち、このお方が、誰なのかを知らないのか?」
「ええ。」
私と富美は言った。
「それでも、王国の国民か!」
ラビターさんは言った。私と富美は、そういわれてもわからないものはわからないため、何も言えなかった。
「おそらく、2人はわからなくて当然だと思います。ガリスさんから聞いていますよ。あなたたちは、あまり教育のなっていない酷い孤児院から来た方々だと。」
そういえば、そういうことになっていたことを思い出した。
「なら……仕方がない。」
ラビターさんはそう言った後、一息を置いて、話をつづけた。
「ローゼント家は、この国の南東にある街を収めている御貴族様だ。昔は、豊かな土地と、強力な軍隊、風情溢れる街並みから、『平和の庭園』とまで称されていた。しかし、10年ほど前に突如として一家共々姿を消したと聞いていたが。」
「まあ、いろいろあって……。」
アンさんは言葉を濁した。
「これからは、アン様とお呼びしなければ……。」
ラビターさんは片膝をついて深々と礼をした。私と富美も、アンさん……いや、アン様が貴族令嬢だと知り、困惑しながらも、敬意を払わなければと、片膝をついて礼をした。
「いや、顔をお上げください。大丈夫です。訳あって、今は平民です。しがない図書館の司書ですよ。」
アン様は、両手を前に出しながら言った。
「あと、アン様と言うのもやめてください。恥ずかしいです。」
アンさんは顔を赤らめた。
「あのー、すみません。ご注文の品を……。」
給仕さんは申し訳なさそうに言った。気づいていなかった。もう既に料理は出来上がっていた。
一同は席に戻り、私と富美、アンさんは届いたサンドイッチを食べることにした。
「いただきます。」
皆は一斉にサンドイッチを一口食べた。非常に美味しい。ベーコンとレタスとトマトを挟んだ、元の世界で言うところの「BLTサンド」に近いものであるが、なんといっても、味付けのソースが美味しい。料理人でも評論家でもないため、材料まではわからないが、胡椒のようなスパイシーさがありながら、どこか爽やかさを醸し出している。やはり、食べてみるとわかるが、有名になっているだけある。そして、私は、目の前にあるコーヒーを口に注いだ。王都のカフェだからか、質が高く、非常に香り高い。そして、酸味が強い。私は酸味より苦みが強いコーヒーが好みだが、このコーヒーは、好みなんてものは関係なく、美味しく飲むことができた。横を見ると、富美は幸せそうな顔をしている。その姿を見ると、自然と私も笑顔になってくるような気がした。アンさんは、優雅に紅茶を楽しんでいる。
「やはり、紅茶を飲むのは、貴族時代の名残ですか?」
私はアンさんに聞いた。
「気づいちゃいましたか?そうなんですよ。こうしたところの癖は、いまだに抜けなくてですね。そういう、明さんは昔からコーヒーを飲まれるんですか?」
「ええ、特に勉強で徹夜するときには……お世話になりました。コーヒーは眠気覚ましに良いので。」
「そうか、そうだよな!私も研究が長引くときには、世話になっているよ。」
ラビターさんが話に入ってきた。
「まあ、こぼして研究資料を駄目にしてしまうところは欠点だがな。」
私は苦笑いをした。そして、ふと、富美がラビターさんを見て言った。
「ラビターさん、コーヒーを机の端に置いて危なくないですか?」
ラビターさんはそれを聞いて自身のコーヒーカップの方を見たが、その際に、袖がコーヒーカップに当たり、机から落ちてしまった。
これを富美は瞬時に判断し、コーヒーカップに『浮遊術』をかけた。コーヒーカップは空中で回転しながら、停止した。ラビターさんはこれを見て、今起きた出来事を処理するのに時間がかかったが、理解した瞬間、
「えーーーーー!!!!!!」
と驚きの声を上げた。流石に、客は驚きの声を何度も聞いているせいか、一瞬驚きはしたものの、こちらの方を見なかった。
「こ、こ、こここここれは、『浮遊術』!……もしかして、あなたは『浮遊術師』なのか!?」
「え、ええ。」
富美は言った。嫌な予感がした。
「ちなみに、彼もそうですよ。」
アンさんは私を指さして言った。
「そ、そうなのか!?」
「まあ、はい。」
私は目を合わせなかった。
「そうか……『浮遊術師』に会ったのは人生で初めてだ。いやー、すごいな。」
ラビターさんは、席を立った。
「それにしても、どうなっているんだ?……いや、仕組み自体はわかるのだが、それにしても……。」
ラビターさんは、机と床の間に浮かんでいるコーヒーカップをつつきながら言った。
「そろそろ、いいですか?」
富美は言った。
「すまない。つい熱中してしまって……。」
ラビターさんは浮かんでいるコーヒーカップを手に取った。
「それにしても、すごいな……。今日は珍しいことが起こりっぱなしだ。幻のローゼント家の令嬢に会い、伝説の『浮遊術師』にも会えるとは……。」
ラビターさんは少し考えた。
「君たち、観光で王都に来たと言ったね。滞在期間はどれくらいかな?」
「1ヵ月を予定しています。」
アンさんは言った。
「観光にしては、やけに長いようだが……。」
「いやー、私たち、飛行船で来たんですけど。」
私は言った。すると、ラビターさんは聞いた。
「もしかして、昨日、王都に来たという世界最大級の飛行船か?」
「あ、はい。私と彼女が、『浮遊術』で浮かせて……。」
「そういうことか。で、話を遮って済まない。どうだったのかな。」
「着陸に失敗して、修理することになって。」
ラビターさんは渋い顔をした。私と富美は愛想笑いをした。
「1ヵ月……もしくは、それ以上いることになるかもなんです。」
富美は言った。ラビターさんは、少し考えた。
「そうだ、今日、君たちにまだ時間があるなら、私の研究所を見に来ないかい?」
「いいんですか!?」
皆は言った。
「ああ、もちろん。色々と聞きたいこともある。」
私と富美、アンさんは目を輝かせた。
「そういえば、『浮遊術師』のお2人さんには、名前を聞いていなかった。お名前は?」
「西島明です。」
「井田富美と申します。」
「そうか……変わった名前だな。異国の言葉か……?」
私と富美はラビターさんに何か感づかれたような気もしたが、今は深く考えないことにした。
一同は、食事を済ませ、研究所に向け歩き出した。時々、店の方をちらりと見るが、やはりどこも混みあっている。この様子を見て、ラビターさんは言った。
「今度、時間があったら、穴場の場所を教えてあげよう。」
「いいんですか!?」
一同は言った。
「ああ、私は最近は王都住まいだからね。それに、研究に没頭するために、静かにできる場所を探すのは好きなんだ。」
しばらく歩くと、大きな門の前に着いた。
「こ、これは、王城じゃないですか!?」
アンさんは言った。
「そうだ。私の通う王立研究所は、王城の一区画の中にある。」
ラビターさんは言った。そして、近くにいる門番の前まで歩いていった。
「ここは王城である。要件を述べよ。」
やはり、王城を守る門番だけあって、格が違う。ラビターさんは、自身の身分証のようなものを見せて言った。
「我は、王立研究所主任研究員『ラビター・ホワイト』である。研究業務のため入城を申請する。なお、今回は、客人を3名連れている。3名とも、研究員候補である。」
今、研究員候補と言わなかっただろうか。
「客人3名よ、『腕章』を提示せよ。」
門番にそう言われたので、私と富美、アンさんは急いで門番の前に行き、『腕章』を見せた。
「許可する。入れ。」
王城の門がゆっくりと開いた。
「いちいち、大きな門を開けるから、時間がかかるんだよな……。」
ラビターさんは、小さくつぶやいた。
一同は、ラビターさんについていった。最初は神殿のような渡り廊下を歩いていたが、やがて、小さな地下へと続く階段にたどり着いた。そこを、下っていくと、ところどころにある蝋燭の灯りしかない、石造りのトンネルのような道があり、そこを歩いていった。やがて、木でできた扉の前へとたどり着き、扉を開けた。
中は、扉の外と違い、明るかった。壁や天井はレンガ造りであるが、棚には、理科室のように、学術書やビーカーなどの実験器具が並んでいる。
「ようこそ、我が王立研究所の研究室へ。」
ラビターさんは言った。
「ラビター先生、遅いですよ……。あ、珍しいですね。先生が客人なんて。」
白衣を着た若い男の人が現れた。
「彼は助手のジョンだ。」
「助手って……僕ほぼ雑用係じゃないですか。それに、ここがいかにも王立研究所の本部研究室みたいに言ってますけど、ここは王立研究所の特殊研究室ですよ。」
ジョンさんは私たちの方を見て、もう一度挨拶をした。
「どうも、こんにちは、僕は、ここの王立研究所特殊研究室でざ……」
ラビターさんの目が光った。
「ざ……研究助手をしているジョン・アレーと申します。ジョンとお呼びください。」
「西島明です。」
「井田富美です。」
「アン・ローゼントと申します。」
「ローゼント!?」
ジョンさんもやはりラビターさんと同じ反応をした。
「今は訳あって平民だそうだ。図書館で司書をしているらしい。当人はあまり敬われるのを好まないそうだ。」
ラビターさんは静かに言った。
「そうですか。わかりました。何とお呼びすればよいですか?」
「アンさんで大丈夫ですよ。」
「わかりました。」
ジョンさんは続いて、私と富美の方を見た。
「お2人は、随分と変わった名前のようですが……。」
「えーと、孤児院育ちでよくわからなくて……。」
私は言った。
「ああ、すみません。」
「お2人は『浮遊術師』の『称号』を持っているそうだ。」
ラビターさんは言うと、ジョンさんはまたしても、驚きの表情を見せた。
「まあ、はい。」
私と富美は恥ずかしがりながら言った。ジョンさんは、しばらくの間、私と富美をじっと見ていた。
「あまり、ジロジロ見られると……。」
私と富美は言った。
「おっと、すみません。」
ジョンさんは、すぐに離れた。その後、ふと何かを思い出したかのように言った。
「そうですよ、先生、やらなければいけないことがたくさんあるんですよ。研究補助金の申請とか……」
そして、これを無視するが如く、ラビターさんは言った。
「最初に君たちに色々と聞きたいところではあるが……まずは、私がどのような実験をしているのかを説明しなければならないね。」
ジョンさんはこけた。
「人の言うこと聞かないで……だから、『孤独の研究者』とか言われるんでしょ。」
ラビターさんはこれをさらに無視した。ラビターさんは、机の前に誘導してきたので、ついていった。
「私が研究しているのは、謎多き鉱石、『クリスタル』の研究だ。」
ラビターさんは、小さな鉱石を机の上に置いた。青く輝く半透明の鉱石だ。飛行石よりは、透明度が高い気がする。アンさんから話は聞いていたが、実物を見たのは初めてだ。
「少し見ていたまえ。」
ラビターさんは、クリスタルの端をライターのようなもので炙った。そして、そこに触れたかと思えば、勢い良く引っ張って、ちぎった。そう、鉱石がちぎれたのだ。粘土のように。
「クリスタルの融点は他の金属と比べても非常低い。そのため、加工がしやすく、数百年前には、建築用部品などにも使用されてきた。というのも、」
ラビターさんは、クリスタルの破片をうちわのようなもので仰ぎ、勢いよく、床に叩きつけた。すると、何故か弾力があるのか高く跳ね上がった。そして、しばらくはねた後、硬そうな音を立てて、床に落ちた。
「ある一定の温度下では、弾性を持ち、また、温度が低くなると、ダイアモンドのように固くなる。この丈夫さも、かつてから使われてきた所以だ。」
私と富美は、クリスタルの破片に視線を注いでいた。このような物質は、少なくとも元の世界では見たことがない。もしかしたら、私と富美が知らないだけで存在するのかもしれないが、あったとしても、身近で使われていないのは確かである。
「クリスタルは原子構造も特殊で、こちらも研究しがいがあるのだが……」
ラビターさんは、真空管のようなものを取り出した。
「私が主に研究しているのは、これだ。『クリスタル電力増幅器』だ。これは、微量の電気を流すと、強い電気が放出される。これさえあれば、片手で持てる程度の大きさでも世界中の電気を賄うことができるのではないかとも言われている。」
これも、アンさんから聞いたことがある。
「というのは、まだ序の口だ。」
皆は目を見開いた。
「この『クリスタル電力増幅器』は、魔力を電気に変換できるとも言われている。これによって、『魔女』の『称号』を持っていない、魔法が使えない人であっても、魔力の行使ができるようになる。これによって、世の中がより便利になる。そして、『魔王軍』との戦いがあったとしても……。」
ラビターさんは、声のトーンを少し下げて言った。
「おそらくその場しのぎにはなるだろう。だが、救われる人も多いはずだ。」
「先生……。」
ジョンさんは言った。
「さて、大まかな私の研究の話は以上だ。何か質問はあるか。」
ラビターさんは言った。アンさんは目を輝かせるように手を上げた。
「おっと、アンさん、あなたとはもっと詳しく意見を聞きたい。後ほどでいいかな?」
「はい!」
アンさんは、元気よく返事をした。
「お2人は?」
ラビターさんは言ったが、私と富美は、クリスタルの破片と、『クリスタル電力増幅器』にくぎ付けになっていた。
「そうか、気になるか。」
そう言うと、ラビターさんは机に手を叩きつけた。
「そこでだ、君たち、ここの臨時研究員になる気はないかね?」
「臨時研究員!?」
私と富美、アンさん、そして、ジョンさんは驚いた。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!臨時研究員って、申請とかどうするんですか!?」
ジョンさんは言った。
「それをするのが君の仕事だろう。」
ラビターさんは言うと、ジョンさんは嫌そうな顔をした。
「どうだい、君たち、1ヵ月ほど時間があるといったね。何も、毎日来る必要はない。週に1度だけでもいい。もし、仕事をしてくれるならば、それ相応の対価もお支払いしよう。」
ラビターさんは言った。先ほど、門番に「研究員候補」と話していたが、それは聞き間違えではなかった。
「ぜひ、やります!やらせてください!」
アンさんは目を輝かせて言った。ここまで喜んでいるアンさんを見たことがない。
「もし、やるとしても、何をすれば……。」
富美は言った。
「大丈夫だ。最初は色々教える。それに、君たちにも、『浮遊術師』について、いろいろ聞きたいことがある。」
ラビターさんは言った。私と富美は、ラビターさんの目が少し怖いと感じた。しかし、アンさんは既にやる気になってしまっている。
「……やります。」
「研究員にならせてもらいます。」
私と富美は、テンション低めに言った。
「そう来なくては!」
「なんで、明さんと富美さんは、落ち込んでいるのですか?大変名誉なことですよ!」
ラビターさんとアンさんは喜んでいる。
「ああ、申請面倒くさい。」
ジョンさんの魂は抜けている。
この場は、喜んでいる人と絶望している人で二極化しているということを感じた。そして、私と富美とアンさんは、今後1ヵ月限定で、『王立研究所特殊研究室臨時研究員』として、働くことになった。
【予告】
王立研究所の臨時研究員となった明と富美とアン、新しいことを覚えつつ、研究員として奮闘してゆく中、息抜きとして、先日、ラビターが話していた穴場の場所へと案内してくれることになった。その中で、大道芸人を見つけ、それを観覧するが、とある事故が起き――
次回 第11章 夢見る大道芸人 公開予定未定
------------------------------------------------------------
お久しぶりです(4コンボ)、明日 透です。
二人は常に宙を舞うの第10章を読んでいただき、ありがとうございます。今回、新キャラクターとして、ラビターとジョンが登場しました。そして、アンの衝撃的な過去が明らかになりました。まさかの元貴族とは……驚きでしたね。今後も王都編では個性豊かな仲間が多く登場します。次回は、どうやら大道芸人のようです。一体どのような人物なのでしょうか。そして、事故とは不穏ですが、3人に何かあったんですかね。
さて、国家試験の結果はまだですが、定期考査と、大学受験が一息ついたので、続きを書き始めました。これからは頻度を上げられるといいなと思います(あくまで、願望ですが)。そして、これまで溜めていたストレスからなのか、想像以上に長くなってしまいました。今回、13362文字ですが、第3章の11812文字を超えて、トップに躍り出ました。「まとめてじゃなくて、小分けにして出してほしい」と思うと思うのですが、更新頻度が少ない代わりの償いだということで、どうかお許しください。
そういえば、この調子で行くと、私の書いているもう一つの作品のエピソード数がこの作品のエピソード数を超えそうです。代表作よりも書けてるってどういうことなのでしょうか。
次回もお楽しみに。