【9話】無理な選択
気付けば、鵜飼は教室で着席していた。
他には誰も居ない。シンと静まり返ったこの教室は、約一ヶ月前から通い始めた高校の教室。着ている制服も、通う高校のものだ。
教室の黒板には、赤いチョークでこう書かれていた。
『吉沢ミナミと、星川友喜と、田中奈々子が誘拐された』
書かれた名はどれも聞いたことすらないものばかり。
どうやら例の夢に入ったようだ。
(……一応、教室を出てみようかな……)
特に考えもなく、鵜飼は教室を出た。
「こんばんわ、鵜飼さん」
廊下に出ると、すぐそこで神崎チカが出迎えていた。神崎は夢の中でもセーラー服を着ていて、短髪を所々跳ね上げたボーイッシュな髪型も健在。
「あ、こんばんわ、神崎……」
ぎこちなく挨拶した鵜飼に対し、神崎は程良い笑みを咲かせた。
「鵜飼さん、この夢の概要について覚えていますか?」
「あ、うん……。自殺者を救えるんだよね?」
「そうです。そして、あなたが自殺者を救えば救うほど、鵜飼穂苗の蘇りに近づきます」
穂苗の蘇りというキーワードを聞いて、鵜飼は自然と表情を引き締めていた。
「その顔を見る限り、説明を聞く準備は整ったと見受けますが……よろしいですか?」
鵜飼が強く頷くと、神崎も頷き返した。
廊下のど真ん中で、神崎の説明が始まる。
「ではまず、この夢の基本的なことを説明します。前に説明したことと被る点があるでしょうが、そこは目を瞑って下さいよ?」
神崎は咳払いを挟んだ。
「さて、夢で誘拐された三人は、現実世界で自殺する人の一部です。あなたは彼らを救うことができますが、その中の一人しか救うことができないのです。つまり、あなたは三人の内、一人の命を選ぶのです」
「一人の命を……選ぶ……」
命を選ぶ……。そう聞いて表情を凍らせる鵜飼を見てか、神崎は何かを諭すように頷いたのであった。
「確かに、今のあなたには難しいでしょう。命の選択は」
心の中を読んだかのような神崎の発言に、鵜飼は「え?」と声を漏らした。
「知っての通り、人間は結構残酷な生き物です。ニュース等で人が一人死んだという情報を得ても、あまり関心を持ちません。『多少の犠牲』を知っても瞬きすらせず、次の日から何事も無かったかのように暮らしていく。それが正常です」
神崎は所々跳ね上がった髪の毛をいじることで、独特の間を空けた。
「一方、あなたは理解しているでしょう。たった一つの大切な命を失ったことで、たった一つの命であっても……そう、世間にとっては『多少の犠牲』であっても、その命は犠牲者の家族にとってはかけがえのない『全て』であることを」
鵜飼は小さく頷いた。
「そう……今のあなたは『多少の犠牲』を聞いても、遺族のことを考えると胸が苦しくなるでしょう。そんなあなたに一人の命を選ぶなんてこと、酷かもしれません」
しかし、と神崎はとても真剣な表情で繋げる。
「あなたは今何を求めていますか? あなたの望みは何ですか?」
穂苗の蘇生……。言うまでもないことだ。
だがやはり、鵜飼には命の選択などできない。
苦しいほどに分かるから……。家族を失う悲しさを……。
でも、失った穂苗も取り戻したい。
そのジレンマに、鵜飼は何も答えることができなかった。
どうすれば……と、目を瞑り、胸に『心の手』を当てた瞬間、
『直道、さっさとジュース買ってきなさいってば♪』
『まーたそんなことでグズグズ悩んでるワケ?』
『バッカみたい♪』
無邪気にはしゃぐ穂苗の笑顔が、脳裏を過ぎった。
それが、鵜飼の『答え』だった。