【15話】 ムマ
鵜飼はそのまま真っ直ぐ進み、薄黒い光を突破した。同時に薄黒い光は透明度を失って真っ黒になり、外が見えなくなった。外からも中が見えない状態になったのだろうか……。本来の夢のバグのように、舞台がセピア色に染まることはなかった。
鵜飼が校門を突破して広いグラウンドへ入ると、グラウンドを徘徊していた大勢の誘拐犯が一斉に飛び掛かってきた。
(……大丈夫……)
飛び掛かる大勢の誘拐犯たちを、鵜飼は冷静に迎え撃つ。
「あんたたち、ちょっと待ちなさい」
前方から聞き慣れた女子の鼻声が聞こえてきた。それに反応したのだろうか。誘拐犯たちは鵜飼に向かうのを止めて反転し、シュババッと忍者のように飛翔して、女子の鼻声がした方へ向かった。
そして誘拐犯たちは何列にも、何重にも綺麗に整列してこちらを向いた。綺麗に整列する誘拐犯たちをかき分けて、何者かがこちらに歩いてくる。
現れたのは、他の誘拐犯と何ら違いの無い、普通の誘拐犯であった。先ほどの女子の声を出した主とは到底思えないが……。
「ああ、あんたか、鵜飼直道」
その誘拐犯は、聞き慣れた女子の鼻声で喋った。鵜飼の前方八メートルほど先まで来ると、喋った誘拐犯は立ち止まった。
「君、喋れるの?」
「まあ、私は特別だからね。こうすれば分かるんじゃない?」
すると、喋る誘拐犯はパチッと指を鳴らした。次の瞬間、誘拐犯の全身が、ザ……ザ……ザ……と砂嵐のようにブレ始めた。
原型が分からないほどまでブレた後、徐々にブレは治まった。ブレが晴れた先には、見郷紫乃の顔を持った誘拐犯が姿を現わした。
誘拐犯の顔と見郷の顔がすげ替わっただけで、上下には青のジャージを着ており、体格も中肉中背の男のまま。
「お喋りなあいつから聞いてるでしょ?」
鼻声で言うと、見郷の顔を持つ誘拐犯は、肩まで伸びた黒髪を後ろへサッと払った。
「もしかして君も……『誘拐犯の核』なの?」
「ええ。ちょっと前に、あんたの知る見郷紫乃に住み着いたの。そうね……私のことはムマとでも呼んで」
ムマと名乗った誘拐犯は、肩まで伸びた黒髪を鬱陶しそうに後ろへ払った。その仕草はまるで、見郷紫乃のようであった。鼻声も、見郷紫乃のものと完全に一致している。
「君は……僕に勝たない方がいいよ……。知ってるでしょ? 僕と、君が住み着いた見郷紫乃は友達だ……」
「そんなこと知ってるわよ。あんたが私に勝てば、見郷紫乃は自殺せず、私の方も消滅しない。あんたが負ければ、見郷紫乃は自殺して、私は消える」
「そこまで分かってるなら、降伏してくれないかな? 余計は手間は省きたいんだ」
「それはできない相談ね」
「……何で?」
すると、ムマは天空を指差した。
「『天の意志』が邪魔して、そうはさせてくれないの」
「……君は……何を言っているの?」
ムマはフッと笑い、天空に向けた指を引っ込めた。
「人や、動物や、昆虫が必死に生きている理由と同じよ。もう少し大人になったら、あんたにも解るかもね」
淡々と言うと、ムマは怠そうに腕を前で組んだ。仕草がいちいち見郷と重なる。
「……良く解らないけど……とにかく闘うしかないんだね……」
鵜飼は周りを見渡した。
「……僕が守る黒塗りの棺桶は? 見当たらないけど」
「それなら大丈夫よ。この夢のバグは特殊でね、黒塗りの棺桶が無いわ。あんたが誘拐犯を全滅させれば全員助かる。逆に一人でも倒し損ねたら、全員が自殺するようになってるわ」
なるほど、と鵜飼は深く頷いた。
「じゃあ手っ取り早く済ませるよ?」
鵜飼が身構えると、ムマはクスクスと笑った。
「あんた、もしかして勝つつもり? この状況が分からないの?」
ムマは両手を広げ、バックに大勢の誘拐犯が居ることを強調した。
「あんた、私たちに勝つつもりなの? 言っとくけど、誘拐犯は全校生徒と全教員を合わせた人数……つまり八百人ほど居るわよ?」
「悪いけど、今の僕なら君たちを倒すだけなら楽勝だよ。黒塗りの棺桶に気を遣う必要も無いしね」
ムマはクスクス笑いつつ、右手を鵜飼の方にかざした。瞬間、大勢の誘拐犯たちが鵜飼に飛び掛かってきた。その際にムマは、後方に飛翔して鵜飼から大きく距離を取った。
前方の空間を埋め尽くすほど大勢の誘拐犯が、鵜飼に飛び掛かってくる。
(もう……大丈夫……)
今までは違った。
今までは……誰かを救うつもりで誘拐犯と戦っていた。
でもそうじゃなかった。
本当は……穂苗を蘇らせるために誘拐犯と戦っていた。
しかし……今は……違う……。
助けたい人が居る。
見郷志乃という、かけがえのない人を助けたい。
純な気持ちしかなかった。
だから……もう……。
この先、どんな誘拐犯が来ても大丈夫。
今も……。
(うん……大丈夫……)
前方から飛びかかってくる大勢の誘拐犯たち。
鵜飼は慌てず冷静に、誘拐犯たちに向かって右手をかざす。
「【ヒラケゴマ】」
鵜飼は静かに合図を唱えた。
瞬間、鵜飼の右手から、横幅三十メートルほどの超極太の火柱が放出された。
純な想いが乗った火柱が……放たれた。
超極太の火柱は、ムマと名乗った誘拐犯の鼻先まで届き、向かってきていた大勢の誘拐犯たちは火柱に飲み込まれ、たちまちと白い煙となって消滅していった。
鵜飼に向かってきた誘拐犯たちは全滅。残った者は、ムマと残り少数の誘拐犯だけ。
「見たところ、あと五十人ぐらいだね?」
鵜飼は素早い歩調でムマに向かった。ムマはうっすら微笑んで、全く動揺した様子を見せない。ムマの背後に居る誘拐犯たちは指示を待っているのか、微動だにしていない。
「へえ、ハッタリじゃなかったんだ。私が知る【ヒラケゴマ】じゃないわね。その凄まじい威力を見る限り、並々ならぬ『想い』があるってことか」
ムマは腕を組み、余裕の表情で言った。
「このまま一気に決めるよ……」
ポツリと呟き、鵜飼はムマに歩み寄るスピードを更に速めた。ムマまであと二、三歩の所で、鵜飼はムマに右手を向けた。
「終わりだよ。【ヒラケ――」
「悪いけど、こっちのルールで勝たせてもらうわ」
鵜飼の合図に割り込むタイミングで、ムマは指をパチッと鳴らした。
すると次の瞬間、バシュッ! という轟音と共に、電源コードを無理やり引き抜いたテレビ画面のように鵜飼の視界が暗転した。
気付いた時には、鵜飼は誰も居ない教室で着席していた。静まり返った教室は、約一ヶ月前から通い始めた高校の教室。着ている制服も、通う高校のものだ。
教室の黒板には、赤いチョークでこう書かれていた。
『全員が誘拐された』
それを見て、鵜飼は頭を抱えた。
「……そういうことか……」