【2話】 真実を告げる誘拐犯
「そんなの……ないよ……」
読み間違えであってほしいと、鵜飼は神崎が書いたであろう文を何度も読み返す。
だが何度読み返しても同じ。
『鵜飼さん、おめでとうございます。この救出に失敗すれば、鵜飼穂苗は蘇ります。誤字ではありません。失敗すれば、鵜飼穂苗は蘇るのです。逆に救出すれば、もう二度と鵜飼穂苗が蘇るチャンスは来ません』
黒板には、白いチョークでそう書かれている。
「もう……二度と……チャンスは来ない……」
読み返す度に、鵜飼の頭に、深く刻まれた事項があった。
『――逆に救出すれば、もう二度と鵜飼穂苗が蘇るチャンスは来ません』
もう二度と……。
気付けば、鵜飼は誘拐犯の真正面に立っていた。
「もう二度と……」
鵜飼はゆっくりと、右手を誘拐犯に向けた。先ほどの赤い文によると【ヒラケゴマ】を戦闘開始前にゼロ距離射撃すれば、鵜飼は強制的に負けとなる。
つまり、救出の失敗を意味する。
「撃てば……負け……撃てば……穂苗は……」
蘇る。
「蘇るんだ……」
歓喜の果実にかぶりつくよう、鵜飼は笑みを溢していた。
「『右手をかざす動作を攻撃と見なす』……この注意書きを読まなかったのか?」
その聞き慣れた男子の声は、誘拐犯から聞こえた。鵜飼は思わず右手を引っ込め、後退りをする。
「さて……どこからどう説明しようか?」
と誘拐犯は喋ると、パチッと指を鳴らした。次の瞬間、誘拐犯の全身が、ザ……ザ……ザ……と砂嵐のようにブレ始めた。原型が分からないほどまでブレた後、徐々にブレは治まった。
ブレが晴れた先には、鵜飼の知る藤井一輝の顔を持った誘拐犯が姿を現した。誘拐犯の顔と藤井の顔がすげ替わっただけで、上下には青のジャージを着ており、体格も中肉中背のまま。
「やあ。おまえと直接会うのはこれが初めてかな? 鵜飼」
藤井の顔を持った誘拐犯は、鵜飼の知る藤井と同じ声だ。
「き、君は……何なの? 藤井?」
「そうだな……。藤井であって、藤井ではない……と言っておこう。俺は藤井一輝に住み着いた『誘拐犯の核』だ」
「『誘拐犯の核』? 君が?」
「ああ。そのままだと呼びにくいだろうから、カタカナでフジイとでも名乗っておこう」
フジイと名乗った『誘拐犯の核』はクールに微笑んだ。微笑み方も、鵜飼の知る藤井と重なる。
「鵜飼……。早速、希望を閉ざすようで申し訳ないが……」
フジイは一旦間を空けた。間の空け方も藤井と重なる。
「鵜飼穂苗は蘇らないよ」
フジイは真剣な顔つきで言った。
「……君は……何を言ってるの?」
「事実を言ったまでさ。この救出に失敗しても、おまえが知る藤井一輝が無駄死にするだけで、鵜飼穂苗は蘇らない」
「何を言って……」
鵜飼は首を何度も横に振り、動揺を振り払った。
「そんなの嘘に決まってる……。大体、誘拐犯である君の言うことなんか、信じられるわけないよ……」
「もっともな意見だ、鵜飼。だが、おまえが信じる方法で鵜飼穂苗を蘇らせようとしたら、藤井一輝は死ぬぞ?」
「違う……今回の『藤井一輝』は、僕の知る藤井じゃない……そう決めたんだ……」
ふむ、とフジイは唸った。
「ならば今すぐ夢から覚めて、強制的に負ければどうだ? 高校生にもなれば明晰夢(夢であることを自覚しながら見ている夢)から無理やり目覚めることなど、できないこともないだろう?」
「……それは……」
鵜飼はギュッと右拳を握った。
「鵜飼、おまえはまだ迷っているのだ。ならば決断するまでの間、俺の話に耳を傾けてはどうだ?」
「……君の言うことなんか……聞かない……」
「ならば、おまえが決断するまでの間、勝手に喋っていよう。おまえはそれを真実だと思うのも、戯れ言だと思うのも勝手だ」
「……勝手にしてよ……」
鵜飼は近くにある木製の席に着席し、フジイとは反対の方向を向いた。
「神崎チカ……。彼女は恐ろしい人間だよ……」
フジイは静かに口を開いた。
「さて鵜飼……。神崎チカの『真の目的』は知っているか?」
「『誘拐犯の核』を絶滅させること……でしょ?」
「答えてくれてありがとう、鵜飼」
「い、今のはつい……」鵜飼はカッと顔を熱くして、フジイの方を向いた。「君が質問するから……。だって、ホントに声や顔が藤井とそのままっていうか……その……」
鵜飼の熱がこもった顔を見てか、フジイはクスッと笑った。
「恥じらうことはない。仲良くいこうじゃないか」
な? とフジイは後押ししてきた。あまりにも藤井に似ているため、鵜飼は首を縦に振らざるを得なかった。
「話を戻そう。神崎チカは俺のような『誘拐犯の核』を絶滅させることだけを目的としている……とおまえには話している」
ところが、とフジイは繋げる。
「おまえは神崎チカに嘘を教えられているんだ。まず、俺たちのような『誘拐犯の核』を消す方法について、な」
「……どういうこと?」
フジイは何かを考えるように、拳を口に当てた。
「そうだな」フジイは拳を口から離して、「俺たちのような『誘拐犯の核』を消す方法を、鵜飼はどのように教えられている?」
「『誘拐犯の核』が住み着いている自殺者を夢の中で救出したら消えるんだよね?」
「そう……。少なくとも、おまえは神崎チカにそう教えられている。それなのにどうして今回は『救出に失敗しろ』と指示する? おかしいとは思わないか?」
「それは……今回の自殺者の中に『誘拐犯の核』が居るって知らないからじゃないの?」
「いいや違う」
「じゃあ……どうして……」
思考を始める鵜飼を邪魔するようにして、フジイが口を動かす。
「簡単な話だ。神崎チカは嘘をついているからだよ。俺たちのような『誘拐犯の核』を消す方法についてな」
「……いや、僕は騙されない……。だって君が『誘拐犯の核』である証拠なんて無いし、何か理由があって神崎は失敗するように指示したんだよ、きっと……」
そうか……と、フジイは極めて小さな声で言った。まるで本物の藤井が喋っているかのようだ。