【1話】 最後になるはずだった夢
気付けば、鵜飼は誰も居ない教室で着席していた。静まり返った教室は、約一ヶ月前から通い始めた高校の教室。
着ている制服も、通う高校のものだ。
教室の黒板には、赤いチョークでこう書かれていた。
『田中洋平と、佐野勇と――』
ここまでは鵜飼の知らぬ名だ。
『藤井一輝が誘拐された』
目を疑った。まさか、と鵜飼は思わず立ち上がる。
夢なのに、口の渇きを覚えた。
(……とにかく……協力者を待つんだ……)
鵜飼は廊下で協力者を待った。間もなくセーラー服を着たお下げ髪の女子が、無表情でこちらに走ってきた。お下げ髪の女子は無表情のまま、鵜飼の真正面に立つ。
「……藤井一輝を」
「いちきゅっぱの大根役者!」
意味不明な発言の後、お下げ髪の女子は右手で握手を促す。鵜飼はマニュアル通りにその手と握手。
(僕の知る藤井……じゃないでしょ? だって藤井が自殺なんて考えてるはずがない……。大丈夫……だよね?)
不安を募らせながら、鵜飼は救出の意志を強く念じた。
行き着いた場所は、見知らぬ学校のグラウンドで、夜だった。グラウンドからは、木造の校舎の全体像を見渡すことができる。
「行き着く場所は、自殺者の思い入れのある場所だって二階堂さんは言ってたし……。僕が知る藤井じゃない……よね?」
木造の校舎が、藤井の思い入れのある場所とは考えられないが……。
「大丈夫……違う……。木造の校舎とか、藤井が思い入れあるとは思えないし……」
大丈夫、と鵜飼は己に強く言い聞かせた。
木造の校舎は二階の右端にある教室だけ灯りが灯っている。
「あそこに誘拐犯が居るはず……。どのみち、あいつを倒せば問題無い……。あいつを倒せば穂苗が蘇るんだ……」
鵜飼は右手をギュッと握りしめてから、木造の校舎に侵入した。
床、壁、教室の机や椅子、下駄箱、教室の扉、窓ガラスの枠、等々……一昔も二昔も前の構造となっている。
歩く度にミシミシいう床を慎重に進んで、二階の端にある教室に向かった。教室の前に着いた時、ふと鵜飼は思いついた。誘拐犯の〝縛り〟に関連することである。
神崎の説明によると『救出者が攻撃を仕掛けてくるまで、誘拐犯は動けない』とのことだ。
つまり『鵜飼が攻撃を仕掛けない限り、誘拐犯は動かない』。
そして今のところ誘拐犯は【ヒラケゴマ】のゼロ距離射撃をかわせてないし、耐えられていない。
ということは、だ。開始早々、誘拐犯に【ヒラケゴマ】をゼロ距離から放ってしまえば楽に勝利できてしまうのだ。
(なんだ……。今までも、このパターンで楽勝だったじゃん……)
鵜飼は教室に入った。教室の窓際には、こちら側を向いて静止する誘拐犯と、その足下に黒塗りの棺桶。
「よし、これで穂苗は蘇る」
誘拐犯のもとへ歩み寄る途中、鵜飼は何気なく教室の黒板を見た。瞬間、鵜飼の勢いはが止まった。何故なら黒板には赤いチョークでこう書かれていたからだ。
『鵜飼直道が放つ【ヒラケゴマ】によるゼロ距離射撃の攻略法は存在しない。戦闘開始前にその手を使われれば、我々、誘拐犯側は打つ手無しである。
そこで、誘拐犯側に救済を設けることにする。救出者、鵜飼直道が右手をかざす動作――それを攻撃と見なす。よって誘拐犯は、戦闘開始前であっても、鵜飼直道が右手をかざした瞬時に動いて良いものとする。
もう一つ。鵜飼直道は【ヒラケゴマ】以外の技であっても、戦闘開始前、誘拐犯に対してゼロ距離射撃を行うことを禁じる。もし破った場合、強制的に負けとする。【ヒラケゴマ】も他ではない。
ただし拳術や剣術等の武道のジャンルに入るものは、戦闘開始前であってもゼロ距離で放って良し。このルールは今後も反映させてもらう。以上』
極めつきは、その次に、白いチョークで書かれた文。
『鵜飼さん、おめでとうございます。この救出に失敗すれば、鵜飼穂苗は蘇ります。誤字ではありません。失敗すれば、鵜飼穂苗は蘇るのです。逆に救出すれば、もう二度と鵜飼穂苗が蘇るチャンスは来ません』
赤い文の横には、白いチョークでそう書かれていた。神崎が書いたものであると、文から読み取れる。
「ちょっと待ってよ……。話が違うじゃないか……」
あの時は『誰かを救出すれば蘇る』と確かに言っていた。
「話が……違う……」
救出すれば穂苗は蘇る。
その場合だと今回の『藤井一輝』が鵜飼の知る『藤井一輝』であっても、そうでなくても、どのみち救出すればいいだけのこと。
しかし、救出に失敗すれば蘇る、となれば話はガラッと変わる。鵜飼の知らぬ、同姓同名の藤井一輝ならばいいが、もし鵜飼の知る藤井一輝であった場合を考えると……。