【16話】 覚醒する本能
鵜飼は振り向き様にバックステップで誘拐犯から距離を取りつつ、合図を唱える。
「【トムとナンシー】」
鵜飼の前方に、外国人の若い男女二人組が召喚された。
二人とも金髪で、綺麗に整った色白の顔に、瞳は緑色。英語の教科書の、会話文でよく出てくる男女二人がモチーフとなっている。彼らが上下緑のジャージ姿なのはご愛敬。
鵜飼は二人に棺桶を挟むようにして立たせ、武器は装備させずに棺桶の防衛に徹するように命令しておいた。
「【トムとナンシー】……これが鵜飼クンの召喚ですか」
二階堂はいつの間にか客席に座っており、観戦モードに入っていた。
「ちょ、ちょっと二階堂さん?」
「大丈夫です! いざとなったら助けるんで、頑張って下さい!」
二階堂はグッと親指を立てた。
大丈夫かなぁ、と鵜飼は呟き、誘拐犯の方に身構える。
(ここからどうするか、だけど……)
鵜飼がプランを立てようとしたその時、誘拐犯は客席の方に飛び移った。何をするのかと思いきや、誘拐犯は客席で陸上選手のようにスターティングポーズをとった。
「……何して――」
刹那、ギュオン! という低くて不快な音と共に、前方から強い風が瞬間的に吹いてきた。
一体何が? と強い風によろめいている時、鵜飼はまず、誘拐犯の姿が消えていること。
次に、前方のロープの真ん中が焼きちぎられていることを目にしていた。
「……え?」
焼きちぎられたロープの、向かい側のロープも同じように焼きちぎられている。
誘拐犯はというと、先ほどスターティングポーズを取っていた客席の、向かい側の客席に立っている。そして黒塗りの棺桶の近くでは、トムとナンシーが無残に倒れ込んでいる。
それらの状況から、誘拐犯が客席から向かい側の客席へと凄まじいスピードで移動しつつ、その勢いが乗った攻撃をトムとナンシーに放ったことが鵜飼にでも分かった。
「大丈夫? トム、ナンシー!」
鵜飼が歩み寄ろうとした時、トムとナンシーは白煙となって消滅してしまった。
「……くっ……」
これでもう、トムとナンシーを召喚することはできない。何故なら『人体の再生』となってしまうから。
鵜飼が棺桶の前まで守りに行くと、誘拐犯は客席で再び陸上選手のようにスターティングポーズを取った。
確実に、鵜飼をめがけている。
(集中……集中……僕には見えるはずだよ……)
誘拐犯は攻撃を仕掛けんと、グイグイと力を溜めている。
(よく見るんだ。夢だから見える、何でも見えるはずだよ……)
誘拐犯は更にグイグイ力を溜めた。
と、ほぼ同時、ギュオン! という低くて不快な音がした。
その音を機に集中力が極限まで高まり、鵜飼は万物の動きがスローに見える世界に入った。
いわば『ゾーン』状態。
極度の集中状態に入ることで、物体の動きや人の動きがスローに見えたり、時には止まって見えたりするという、一流のアスリートがよく経験する世界だ。
無論、現実での鵜飼ならその世界に入ることは出来ないだろうが、ここは手から炎を出すことが出来るような夢の中だ。
一流のアスリートとは言え『普通の人間』がこなす芸当を出来ないはずがない。
スローに見える世界の中で、誘拐犯が頭から突進してくる姿を鵜飼は見ていた。トムとナンシーはこれにやられたのかと、鵜飼はコンマ一秒以下の世界の中で思っていた。
本当は『かわすだけ』と心に決めていたが、鵜飼の本能が心に反して『ここで誘拐犯を仕留める』という行動へと繋がるように体を反応させていた。
その結果、頭から突進してくる誘拐犯に対し、鵜飼はすれ違い様に右手での掌底を放っていた。
向こうの突進の威力に打ち勝てず、鵜飼の右腕が肩ごともがれた。
「勝負あり、ですね?」
そう呟いたのは二階堂。
彼女がいち早く、そう、誘拐犯より早く《《鵜飼の勝利》》を確信したらしい。
【ヒラケゴマ】の威力と、発動条件を知っている者が今の誘拐犯を見れば、鵜飼の勝利は一目瞭然だろう。
客席に立つ誘拐犯の頭の先には今、鵜飼の右腕が、手のひらを接着面とした状態でくっ付いているのだ。
あの時、鵜飼は掌底で攻撃を仕掛けにいったのではなく、右腕を誘拐犯の頭にくっ付けにいったのである。
「僕の勝ちだよ。【ヒラケゴマ】」
誘拐犯の頭の先に付いた鵜飼の右手から、ゴウッと、頭の先からつま先へと流れるように炎が放たれた。
誘拐犯は炎と共に白い煙となって消滅。周りの客席はメラメラと燃え盛り、近くに落ちた鵜飼の右腕は焼き尽くされた。
「す、凄いです! やるじゃないですか、鵜飼クン!」
二階堂は、素早い拍手をしながらリングに上がった。
「正直危なかったよ……。二階堂さんのサポートが無かったら負けてたでしょ?」
精神的な疲れが一気にきて、鵜飼は脱力した。
「今日のは私が闘ってきた誘拐犯の中でも、三番目に強いほどだったかもです!」
「そんなに? どうりで強かったわけだよ……」
鵜飼はその場に座り込んた。
「只者じゃないですね、鵜飼クンは」
二階堂は鵜飼に合わせてしゃがみ、左手を挙げてハイタッチを促してきた。
「妹さんの蘇りに、一歩前進です」
「……あ、うん……」
ハイタッチをした瞬間、鵜飼の視界がプツンと暗転した。