【12話】 藤井と鵜飼と二階堂
「疲れたよ……」
「お疲れ様。良かったじゃないか、これで『根源』は消えたんじゃないか?」
「そうだといいんだけどね……。神崎に訊いてみようかな、あの夢のこと……」
「見郷吉宗を救った、例のバグみたいな夢のことをか?」
「うん。もしかすると、あの夢のことは神崎でも知らないかも」
セピア色に染まった世界。
接触をしていないのに動いていた誘拐犯。
自殺者そのものに付いていた黒塗りの小さい棺桶。
どれも神崎から聞いたことすらないものばかりであった。
「なあ鵜飼、ちょっと訊きたいことがあるんだが……」
藤井は声のトーンを少し下げて言った。
「急に何? 改まって」鵜飼も合わせてトーンを下げる。
「あそこに居る女性は、おまえの知り合いか?」
藤井はやや斜め前方に視線を動かした。つられて見た先には、病院の受付(ここからは五、六メートルほど先となる)があった。その近くではスーツ姿の女性が本を読んでいる。
「あの人は……」
スーツを着た女性の年齢は、ぱっと見で二十代、若しくは十代後半。身長は平均的で、スラッとした体型。銀縁の眼鏡を掛けていて、ポニーテールの先端が腰まで届いている。
「やはり知り合いか?」
「あ、うん。この前話した、厚生労働省の二階堂優奈っていう人」
「あぁ、彼女が例の、二階堂優奈か……」
二階堂は本を読みながら、チラチラとこちらを見ている。
「彼女、さっきからずっとあの調子で鵜飼を見てるんだが」
「……そうだったんだ……。気付かなかったよ……」
チラッチラッと、二階堂は本と鵜飼を交互に見ている。
「ねえ、あれってもしかして、隠れてるつもりなのかな?」
「俺に訊かれても困る」藤井は肩をすくめた。「直接訊きに行かないか?」
「だね。ついでに夢のことも訊けるし」
鵜飼と藤井が立ち上がると、二階堂は慌ただしく本を顔に押しつけて隠れた。やはり隠れていたつもりだったらしい。
「あの、二階堂さん?」
「す、す、すみません! 悪気は無かったんです!」
二階堂は本を顔に押しつけながら、頭を深く下げた。叫んだ彼女に、広間に居る人たちが一斉に注目する。
「べべべ別にストーカーとかしてたわけじゃなかったんです!」
叫ぶように言うと、二階堂は、ふところに本をしまった。
「ちょ、ちょっと二階堂さん。ここ病院だから、もう少し声のトーン落としてよ」
「そうでした!」二階堂は顔を青ざめ、両手で頭を抱えた。「すみませんでした!」
二階堂は周りにペコペコと頭を下げた。
「謝らなくていいから、静かにしてって」
「う、す、む、うう……」
二階堂は両手を使って己の口を閉じた。藤井はというと、クックックッと笑って何だか楽しそう。
「……笑ってないで藤井も何とかしてくれないかな……」
鵜飼はムスッと口を尖らせて言った。
「ああ、悪い悪い」藤井はクックと笑いながら、鵜飼の肩に手をかけた。「ところで少しは落ち着いたかな? 二階堂優奈さん?」
「は、はい……」
静かに答えると、二階堂は眼鏡のズレを直した。
「ていうか二階堂さんは何でここに居るの?」
問いながら、鵜飼は肩を回して藤井の手を振りほどいた。
「怪我をしたからです……。治療を受けて帰ろうとしたら、たまたま鵜飼クンが居たのを見つけて、その……」
鵜飼は、二階堂のつま先から頭の先の順に全身を見たが、怪我をしている様子は確認できなかった。
「あの、あんまりジロジロ見ないで下さい……」
「ご、ごめん、つい……」
鵜飼はすぐさま視線を逸らした。そんな鵜飼を茶化すように、藤井はクックと笑う。
「……えっと、それで二階堂さん。僕が居たからって言ったけど、何か用があったの?」
「はい。実は神崎さんに『鵜飼さんと、友達と認識できる程度まで親交を深めて下さい』って言われて……」
「僕と友達に? 神崎に言われて?」
「はい。鵜飼クンとはこの先、長い付き合いになるから、友達になっておいた方が良いらしいです……」
「うーん、確かに、付き合いが長くなるのなら僕もそうした方が良いとは思うけど……」
すると、二階堂はパアッと表情を明るくした。
「じゃあ、今からドライブに行きません? 私の車で」
「あ、うん。訊きたいこともあるし、僕は別にいいけど……」
鵜飼は藤井の顔をうかがった。藤井はフッと微笑んだ後、鵜飼の肩に手を回した。
「俺もご一緒してもいいかな? 鵜飼の友人として」
言うと、藤井は二階堂に微笑みかけた。
藤井の背後に、赤いバラが咲き乱れる。