【2話】束の間の休息
カフェオレとはどんな味だろう。
昼休み中、ふと鵜飼は思い、
「嫌だよ、面倒くさい」
藤井を誘ったのだがアッサリ断られた。なんでも推理小説が良いところ、なのだとか。
そんなわけで、鵜飼は独り寂しく校庭の自販機に来ていた。昼休みも残り僅かのためか、自販機の近辺は無人であった。
(さっさとカフェオレの味を確認して戻ろう)
鵜飼は手早く自販機に金を食わせ、カフェオレを吐かせた。
缶を取って振り向くと、すぐそこにマスクをした女子が立っていた。その女子が見郷紫乃であることを、鵜飼はワンテンポ遅れて認知していた。
「うわ! み、み、見郷?」
不意をつかれ、鵜飼は叫んでしまった。
「……あんた驚きすぎ……」
鼻声で冷ややかに言い、見郷はシッシッと虫を払うように手を振って、鵜飼を自販機の前から退かせた。
「ふーん……あんたカフェオレ飲むんだ?」見郷は鵜飼が手に持つ缶をチラ見して、「じゃあ違うのにしよっかな」
見郷は自販機の前で腕を組み、物色し始めた。結局、見郷は自販機にカフェオレを吐かせ、缶を手に鵜飼に歩み寄った。
「な、何?」
のそっと迫り来るマスクに……見郷に、鵜飼は思わず後退りした。
「それはこっちのセリフ。あんたさっきから静かじゃない。いつもみたいにギャーギャー騒いでみたら?」
「ギャーギャーって……。僕、そんなにうるさいかな……」
鵜飼が脱力すると、見郷はマスクの奥でフッと笑った。
「ともあれ急いだ方がいいわよ。もうすぐ五時間目始まるから」
「あ、うん……そうだね……」
鵜飼は急いで缶を開け、カフェオレを飲んだ。
初めてのカフェオレは、苦くもなく、甘くもなく、美味くもなく、不味くもない、何とも表現し難い味であった。
期待外れだなと缶の印字に目を通していると『よくふってからお飲みください』の注意書きを見つけた。
「……あーあ……先に言ってよね……。あ、でも、今からでも遅くないかも?」
残り僅かとなったカフェオレを、鵜飼は溢さないようにゆっくりと円を描くように振ってから飲んでみた。ところが、
「ぐあ! 何これ!」
甘い味に偏って、振る前より味が悪化していた。
「はぁ、最悪だ……。もうちょっと大きな字で表記してよね……」
缶を捨てた後も、鵜飼は缶に文句を言い続けていた。
そんな感じで独りではしゃいでいる最中、見郷が不思議な生き物を見るような目でこちらを見ていることに気付き、鵜飼はハッと我に返った。
「あ、えっと……」鵜飼は咳払いして顔を引き締めた。「振ってから飲んでね」
見郷は盛大に吹き出した。それをごまかすように見郷は咳払いをした後、鵜飼に未開封のカフェオレを差しだしてきた。
「ほら、あげる」
「べ、別にいいって……」
拒否を強く伝えるため、鵜飼は見郷から大っぴらに視線を逸らした。
「いいから受け取りなさい」
見郷が胸元まで缶を突き出してきたので、鵜飼はそれを受け取らないわけにはいかなかった。
「……ありがとう」
今度はよく振ってから飲んでみた。苦みと甘みが絶妙に合わさったとても繊細な味に、鵜飼は思わず「うん」と唸っていた。
「美味しいね。見郷も好きだったりする?」
「別に。あんたが飲もうとしてたから選んだだけ」
「へえ……。それは何で?」
「さあ? 自分で考えたら?」
考えても分からないから聞いたんだけどなあと思いながらも、鵜飼はカフェオレを飲み干した。
「ごちそうさま。今度何か奢るよ」
言いつつ、鵜飼は缶をゴミ箱に捨て、ついでに近くに落ちていた缶もゴミ箱へ捨てておいた。
「じゃあ、そろそろ教室に――」
戻ろうよ、と続けようとした時、見郷がまたも不思議な生き物を見るような目でこちらを見ていることに気付き、鵜飼は先の言葉を飲んだ。
「……あの、どうかした?」
「あんたって、子どもっぽいなーって思ってさ」
返す言葉が見つからず、鵜飼は見郷の次の言葉を待つことしかできなかった。
「素直で純粋な子どもって感じ……。子どもってさ、いっつも素直で、いっつも楽しいことや『希望』に向かってキラキラしてるじゃん? あんたはそんな子どもって感じ……」
またもどう返せば良いのか分からず、鵜飼は「はあ」と生返事をしていた。
「ていうか、あんたの第一印象は最悪だったわね。絶対に人の陰口とか言ってケタケタ笑ってるサイテーな奴だと思ってた」
「……ええ? 僕ってそんなイメージあるの?」
「中学の時、陰口ばっかり言うサイテーな男子が居てね。そいつと顔が似てるから」
「何だよそれ……。ちょっと酷くない?」
鵜飼がふて腐れると、見郷はフッと吹き出した。
「でも昨日、保健室で実際に話した時、印象と全然違ってビックリしたわ。高校生なのにバカに素直で子どもっぽくて……新種の不思議な生き物かと思ったわよ」
「あー……。それであの……」
まさか本当に『不思議な生き物を見る目』で見られていたとは。
「ていうか、こっちも印象と違ったかも」
「は? 何がよ?」
「君って結構喋るし笑うんだね。てっきりマスクが本体かと思ってた」
「……ホンットにバカよね、あんたって」
「『鵜飼』でいいって」
は? と見郷は聞き返した。
「だから、僕のことは『鵜飼』でいいって。あんた、とかだとよそよそしいでしょ? 僕も君のことを『見郷』って呼ぶから」
たじろいだのか、それとも対応に困ったのか、見郷は何も言い返さなかった。
「見郷、どうしたの? もしかして名前で呼ぶのが恥ずかしかったりする?」
「まさか……。じゃあ『鵜飼』。ヨロシク」
「うん。よろしく、見郷」
微笑む鵜飼に対し、見郷は冷ややかな目つきで対応した。
「お取り込み中でしょうか?」
背後から聞こえてきたその声が、神崎チカのものであることを、鵜飼はすぐに気付いていた。
振り向いた先に居た神崎は、今日もセーラー服で、短髪を所々跳ね上げたボーイッシュな髪型も健在。
「いつも後ろから急に現れるよね、神崎って」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
神崎は微笑みながら一礼した。
「別に褒めたわけじゃないんだけどね……」
鵜飼は神崎に聞こえない程度の声量で呟いた。
「ねえ、知り合い?」
見郷は鵜飼に身を寄せて、ヒソヒソ訊いてきた。
「あ、うん」鵜飼も声をヒソヒソさせる。「僕の相談相手みたいな人」
ふーん、と見郷は腕を組みながら鵜飼から距離を取った。
「えっと、それで神崎。あの話……だよね?」
「ええ。今日は特に重要なことをお話しさせていただきます」
穂苗の蘇りに大きく関連する話であることを、鵜飼はいち早く感じとっていた。
「じゃあ場所を移した方が良いよね? ここだと話しにくいし」
「ええ。校門の前に車を用意してありますので、その中で話しましょう」
鵜飼は頷き、神崎と共に歩き出した。
「ちょっと待ちなさいよ」
見郷が呼び止めてきたので、鵜飼と神崎は足を止めた。
丁度その時、キーンコーン……と学校のチャイムが鳴り響いた。
次の、五時間目の予鈴だ。
「授業サボって恋人とお話し? 良いご身分ね」
「そ、そんなんじゃないって!」
慌てふためく鵜飼に対し、見郷はマスクの奥でフッと吹き出す。
「別に隠すことじゃないでしょ? こんなに可愛らしい彼女、鵜飼には勿体ないぐらいよ?」
見郷は神崎に目をやりながら、目元で笑った。
「だから違うって……。ねえ、神崎も何とか言ってよ」
助けを求めようとした鵜飼だったが、神崎はきょとんと首を傾げるだけであった。
「『何とか』と言われましても、どう言えばいいのでしょうか?」
「え? あ、えっと、うーん、そうだな……」
鵜飼が困っていると、見郷は背を向けて校舎の方へ歩いていった。
「ま、ほどほどにしなさいよ」
見郷は背を向けたまま手を振り、校舎の中へ去っていった。
「……誤解されちゃったかな……」
「そうですね。まあ、特に害は無いのでいいでしょう」
神崎は信じられないほど淡々と言った。
「……そういう問題かな……」