story-01
可もなく不可もなく、田舎と都会の中間に位置するアルダーソンの町の酒場で薄汚れた外套のフードを目深に被ったまま、カウンターの隅も隅の席で粛々と食事を取る女がいた。
背丈は低過ぎず、体型は外套に隠されているため、パッと見だけなら少年と言っても通じただろう。
顔を確認しようとフードの下を覗き込んでも安物の仮面が口元以外をしっかりと覆っており、細く美しい指は手袋の中へ、愛らしく響く声も変声の魔道具によって変えられ、彼女が女であることを示す特徴は隠され切っている。
それでも、彼女を男と間違う者はいなかった。
「なぁ聞いたか? ハーヴィルベイトの王子が銀の魔女の被害に合ったって」
「聞いた聞いた。ドレスやら宝石やらの貢ぎ物から始まって、婚約者との縁まで切ったってぇのに当の魔女様は行方をくらまして最後に残ったのは借金の形だけって話だろう?」
「酷ぇ話だよなあ。しかし、そこまで狂える女には1度でいいから会ってみてぇもんだ」
下世話な話題に移った男たちの声が店内に響く。
それを聞いた女がフォークを置いて縮こまったことに気付いた者はいなかったが——。
もし気付いていたら、フードの端から溢れる白銀の髪を指して「もしや」と疑問符を投げ掛けることくらいはできただろう。
——銀の魔女。
その異名の由来は女の髪色にあった。
(ああぁ。違う、違うのです)
そして、彼女はまさしく銀の魔女——希代の悪女として知られるフレデリカ・グリーンハウ本人だった。
両手で頬を押さえながら内心で言い訳を並べる。
(ドレスや宝石の類いを贈られたことがあるのは事実ですが受け取ってはおりませんし、エリック様の元から離れた理由は他にあったのですが……借金に、婚約者の方との縁切り……! これでは戻るに戻れません!)
王侯貴族を相手に、うっかり気を許してしまったばかりに国を傾けること7回。
借金を作らせた相手は4桁に上り、帰らぬ人となった相手は数え切れず。
フレデリカを起因とする戦争、暴動の被害者を除いても2桁は固い。
彼女のためならと、危険を冒し、戦を起こし、貢ぎ物をしようと借金まで抱える人間は何故だか跡を絶たないのだ。
ハーヴィルベイト王国の第2王子エリック・ド・ザルバレイドが真実、借金を背負ったかどうかは分からない。
だが、噂が広まってしまっている現状、彼の元に戻ることが得策とは言えないだろう。
悲しきかな。
それらしい気配が全くなかったとも言えない。
(過去、私に対する好意が原因ならばと更生の支えとならんべく励んだこともありましたが……)
ダメだった。
更生させるどころか悪化するのが常だった。
フレデリカ本人の善良さに反し——否。
本人が善良であるからこそ、周囲は喜んで道を踏み外すのだ。
お願い待って。違う、そうじゃない。
そのようなことを望んではいないのです。
(何もいらない、お側に置いていただけるだけで良いのだと繰り返しお伝えしても聞き届けてくださった方はいまだおらず……)
苦肉の策で山に籠ってみても、通りすがりのドラゴンに見初められて諸国を滅ぼし掛ける始末。
もはや自死を選ぶ他ないのでは?
と、思いはしても実行に至ってはいない。
正確に言えば、実行に移してはいるのだが。
死に至っていない。
——それは『無害化の加護』。
運命という名の神から授かった呪いにも等しい祝福が有りと有らゆる害からフレデリカの身を守ってしまうのだ。
物理がダメなら魔法もダメ。
どれだけ高い崖から飛び降りようと無傷。
滝壺に沈んでみても水中で呼吸する術が身に付くだけ。
致死性の高い毒キノコも、年季の入った呪いの指輪も、フレデリカにかかれば食用キノコと美しいだけのアクセサリーに変わる。
ならばと、肉体が老いるのを待ってみても全盛期を保ったまま早数百年……。
(万策尽きて久しく、被害者を増やしてしまった不甲斐ない身ではありますがいつか必ず死んでみせますのでどうかご容赦をば)
フォークを手に取り直して食事を再開する。
食べずとも死なないフレデリカにとっては単なる娯楽にも等しいが、料理を無駄にしてはならないという当たり前の教えを忘れてはいなかった。
美味しい料理で心とお腹を満たしたら、向かわねばならない場所もある。
(タゼルバイエン公国の南方で瘴気が発生したとの話。急がなければ)
どこからともなく発生する瘴気は土地を蝕んで不毛の大地に変えてしまう。
人体にも有害な毒素を含んでいる闇色の霧だ。
これを浄化できるのはフレデリカだけ——。
少なくとも彼女の知る限りでは。
他の誰かが瘴気を浄化してみせたという話は耳にしたことがなかった。