永遠
全部で4篇です
4篇目は三代儀菜々花。
人間関係ほど煩わしくてバカバカしいものはないって気づかされたのはいつのときだったかな?多分、小学六年生のときだったと思う。卒業する間際にお父さんとお母さんからこう言われた。
「菜々花。実はおまえは勇作のはとこなんだ」
その言葉の意味を最初理解できなかった。はとこってなんだろうって。でも、人よりもずっと頭がよかった私はそんなに時間が経たないうちに気づいた。お父さん、お母さん、お兄ちゃんと血がつながってないんだって。自分に音楽の才能がない理由が分かった気がした。でも同時に家族関係のことで頭を悩まされるようにもなった。
物心がついた頃から一緒に居るんだから血のつながりがないことくらい大したことはないのかもしれない。でも、思春期を迎え始めた私にとっては非常に重大な問題だった。特にお兄ちゃんとの関係。いとこ同士なら結婚できるって話は知ってる。はとこならばなおのこと結婚できる。結婚できる兄妹ってどういうこと?他の家の兄妹と違って私たちってどういう関係?それが分からなくなって、混乱した。学年が上がるにつれて保健の授業で色々と教わるからこそ、尚のこと、お兄ちゃんからどう見られているのか強く意識するようになってしまった。異性として見ていたのかな?分からない。好きだったのかな?分からない。ただ心のうちに湧いて出ていたのは、血のつながらない兄って何者なんだろう?血のつながらない妹って何者なんだろう?という疑問だった。血のつながりのない兄妹ものの話は本屋に行けば小説でも漫画でも沢山見かけるかもしれないけれど、当事者である私からしてみればあまりにも非現実的で、特に兄目線の作品があまりにも目立ちすぎるせいで余計共感することができず、だからお兄ちゃんとの関係を考えるにあたってまったく参考にならなかった。
「私たちは兄妹。血のつながりはない、けれども夫婦にならなくても永遠に認められ続ける家族。私と兄さんとの関係は私の意識次第。だから私が兄さんのことを好きであろうと、兄さんが私のことを好きになろうと、今ある家族の関係だけは壊さないようにしないと……」
高校に上がる直前、そう決意して、節度ある距離で、思春期の妹特有の距離で兄さんと接するようになった。
けれどもちょうどその頃、家の外の人間関係が妙に崩れていることに気づいた。幼馴染の恵さんと佳奈さん姉妹。以前はあんなに仲良くしゃべっていたのに、最近はめっきりだった。最初、意味が分からなかった。でも関係が希薄になり始めたのが、兄さんがコンクールに入賞してからだと分かってから色々と察した。
「二人とも兄さんのこと好きだったもんね」
大方兄さんにふさわしい女になるべく、色々精進を重ねてるんだと思う。世界に立つはずの兄さんと肩を並べられるように。そんな二人を見て私は呆れた。
兄さんに近づかないなら近づかないでそれでいいや。私は兄さんとの家族の時間を一分一秒大切にしよう。そのうち兄さんは私から離れてしまう。きっと世界を転々するから、妹としての私はそれきり兄さんと顔をあわせられなくなってしまうかもしれない。それこそ妹としての私を捨てて結婚でもしない限り。
高校に入学して早速一学期が終わってしまった。もう兄さんは日本を離れてしまう。次に会うのはいつだろう?テレビ通話ができたとしても、直接顔を合わせることはできなくなる。無邪気に兄さんの手を握ることはもうできなくなる。でも、世界に飛び立つ兄さんの妹だからこそ、私は自立した一人の人間としてその背中を送り出さないといけない。
「いってらっしゃい」と。
夏休みのうちに、兄さんがコンクールで優勝したとの報せが届いた。さすが兄さん。音楽については私の届かない場所に行ってしまった。テレビでは記者会見に応える兄さんの姿があった。普段と違ってどこか落ち着かず、しどろもどろになっているものだから思わず笑ってしまった。
面倒なことも起きた。兄さんが有名人となってしまったから、連日実家にはマスコミが押し掛けるようになった。私は叔父の家に住まわせてもらっているので、父さんと母さんが帰ってくるまでの間、実家はもぬけの殻だけど、どこで聞きつけたのだろう?妹が叔父宅にいるとの情報が出回ると今度は叔父宅の周りにマスコミが集まってきた。私に負担をかけないようにと基本叔母が対応してくれた。登下校中は、ストーカーのように追いかけてくる人たちを無視して振り切るのがやっとで、色々と落ち着かない日々を過ごしていた。叔父宅に避難していてよかった。今は実家で一人だなんて知られていたら、マスコミだけじゃなくて良からぬことを考える人たちに押し入られるかもしれないから。有名人の親族って言うのも楽じゃないなって痛感した。
マスコミの人たちがあまり張り付いてこなくなった頃合いにやっとお父さん達が帰ってきた。今までは兄さんがいたけれど、そうでなくなったから、これからは二人が出張するとき、私一人で留守番をしないといけない。相談の結果、夜まで働くハウスキーパーを雇うことになった。セキュリティーも強化して、一階だけでなく二階の窓にもシャッターをつけることになった。九月中には工事が終わるだろう。
そんなある日、教室にいる私を呼ぶ人が居た。佳奈さんだった。一体何だと思い、教室の外に出る。なんとなく察しはついていたけれども、佳奈さんの言葉を待った。
「ねえ。菜々花ちゃんは勇作くんが今どうしているのか知ってる?」
やっぱりと思った。きっと自分のことで精一杯だったのだろう。噂話すら耳に入っていないようだった。私は呆れて小さく溜息をついた。
「兄さんは転校しましたよ。ウィーンの音楽学校に」
そう言うと佳奈さんは固まり、微動だにしなくなってしまった。ショックを受けていることは明らかだった。そんな佳奈さんを無視して私は席に戻った。
人間関係なんて煩わしいしバカバカしい。厳密にいえば、理想の人間関係なんて……。幼馴染なら幼馴染らしく幼馴染をしていればよかったのだ。兄さんの肩書になんてこだわらなければよかったのだ。純粋な幼馴染のままでいれば、それだけで兄さんの横に並べたのに。世界の勇作。将来そう呼ばれるだろう兄さんの横に立つためだけに、それっぽい看板を背負おうとすることに一体どんな意味があるんだろう?そのせいで、兄さんとの会話の時間を失ってしまうなんて勿体ないを通り越してバカバカしい。
私は世界の勇作の妹になる女だ。それ相応の態度が求められる。でも、それは態度であって肩書じゃない。私も世界に飛び立つような人間である必要はない。兄さんを後ろから応援する妹であればいい。本当にそれだけでいい。それだけで私は兄さんの妹であり続けることができる。
兄さんの妹である。それだけで贅沢なのだ。
兄さんの幼馴染。
自分たちがどれほど贅沢な立場に居るのか自覚せず、その立場を手放してしまったあの二人はきっと兄さんのもとに辿り着くことはできない。
予備校の授業を受ける前に眠気覚ましもかねて近くの喫茶店で一息つく。兄さんとの関係を思い返した。兄妹特有の「お兄ちゃんのお嫁さんになる」という言葉。今の自分はそれを抱いているのかな?血のつながった妹であれば、そんなもの消え失せると思う。じゃあ、血のつながっていない私だったら?
「ありかな?」
そんな言葉が漏れた。兄さんの恋人になる。兄さんのお嫁さんになる。兄さんとの子供を持つ。別に嫌悪感はなかった。一つの道としてあるかもしれないと感じた。でも、同時に不安も感じてる。もし破局したらどうしようと。普通の人たちであれば、赤の他人に戻ることができるかもしれない。でも、私たちは兄妹。赤の他人になることはできない。破局した兄妹の末路ってどうなるんだろう?分からなかった。分からないからこそ恐怖した。それなら、私はいつまでも兄さんの妹のままでいいと思った。今だって十分幸せだから。結婚したところで今よりも幸せが増えるとは限らない。きっとそれほど大きくは増えないと思う。それこそ子供を持たない限りは。
だから、もし兄さんと寄り添うとするなら、いくつかの条件をクリアしてからと決めた。恵さんも佳奈さんも兄さんを諦めたら。兄さんが恵さんのことも佳奈さんのことも見向きもしなくなったら。兄さんが私のことを見てくれるようになったら。父さんも母さんも兄さんとの関係を認めてくれるようになったら。そして、兄さんが傍に居ないというだけで、涙が止まらず、息が止まるほど心が苦しくなって、立ち上がることもできず、一度兄さんの袖を掴んだら絶対に手を放したくないと思うほどに兄さんのことを愛おしくなったら……。
そう考えたとき、自然と笑みがこぼれた。
「全然まだまだだね」
やっぱり私は兄さんの妹のままでいいや。途切れることのない妹のままで……。
数日後、夏休みに受けた東大模試の結果が返ってきた。違う予備校が主催するものを二つ受けたけど、どちらの模試の結果も一桁のところに私の名前が書かれていた。