天井
全部で4篇です。
2編目は漆原恵。
中学校に上がったころ、隣の家に暮らす男の子の演奏を聴く機会があった。それは同い年くらいの子供たちが参加するバイオリンコンクールで誰もが入賞を目指すべく、必死に演奏をしていた。そんな中で、幼馴染の男の子は必死ではあるけれども、同時に堂々とした風格で演奏をしていた。観覧席に座る誰もが息をのむほどの優雅な演奏だった。子供でこんな音を奏でることができるのかと。音楽の才能がない私でも彼の凄さはひしひしと伝わった。彼のことが好きだった私は、なんの才能も持たない私は、彼の横に立つことに自信を無くしてしまった。それが私、漆原恵が彼を避けるようになってしまった理由だ……。
私はコンプレックスの塊だった。両親はスポーツ選手で世界大会の入賞経験を持っている。妹の佳奈も競泳選手としての才覚を発揮していて、きっと将来メダルを取るんだと思う。対して私はスポーツの才能はなかった。人並みには運動できるけれども、精々平均程度で、それ以上を目指すことはできなかった。佳奈とは違ってピアノを習わせてもらってたけど、所詮子供の習い事程度。お隣の音楽家家族に適うわけもなく、趣味の域を出ることができず、中学からは弾いてない。残るは勉強だけ。だから私はがむしゃらになって勉強した。勉強で結果を残そうと思った。勉強で一番をとれば、ユウくん……、勇作君の隣に立てるかもしれないと信じて。でも、高校に上がってから、その希望は打ち砕かれた。中学で一番だからといって高校で一番になれるとは限らない。私の成績は学年五本指には入るけれども、この一年半近くの間、一度も学年一位をとったことはなかった。何とか頑張って二番がやっと。気を抜けば四位まで転落してしまう。
「せめていいところの大学に入らないと……」
悲痛な声をあげながら受ける模擬試験。他の人が私と同じ結果を残せれば大喜びしているだろう成績。これまで受けてきた模試の成績上位者欄には私の名前が載っていた。けれども、私の名前が書かれている場所は少しでもミスを犯せばすぐにでも消えてしまうようなところ。他の人ならば喜ぶ場所で私は喜ぶことができなかった。なぜかって?一番をとった勇作くんの隣に立つには、一番をとらないと意味がないから。でも考えてみれば、小さな高校で一番すら取れない私が、全国区の模擬試験で一番なんてとれるわけがない。その事実に私は心を打ちのめされ続けていた。
勇作君はもっと上へと行く。絶対に世界の舞台に立つ。私は彼の傍に居たい。彼の隣に立ちたい。けれども、その希望がどんどんと夢物語となるにつれて、私は自信をどんどんと無くしていった。笑顔が減った。勇作くんとの会話も減った。菜々花ちゃんとの会話も減った。友達との会話も減った。みんなは成績優秀な子、素直な子っていうけれども、ただ私は目の前のことに必死なだけだった。逸脱するだけの心の余裕を持っていないだけだった。
勇作君は必ず世界の名だたる演奏家になれる。対する私は日本国内の一地域の大学に受かるかどうかのレースに乗るのがやっと。それを意識してやっと気づいた。そもそも世界の舞台に立つ以前の問題じゃないかと。私はどんなに頑張っても勇作君の隣には立てないことに気づいてしまった。
夏休み前、五月に受けた高二模試の結果が返ってきた。成績優秀者欄に私の名前があった。少しでも気を抜けば消えてしまいそうな場所に。私は小さく嗚咽を漏らした。