アルテミドラ編5
夜空には月が美しく輝いていた。
ある一室に、黒いドレスを着た黒い魔女がいた。
「今宵の月は美しい。満月か。月が最も美しい姿を見せる時だ」
黒い魔女のその姿はさながら夜の女王を思わせた。
[それにしてもテンペルか―― 大いなる闇が訪れようとしている。闇がこの都市ツヴェーデンを支配するのだ。テンペルはこの動きに反対するであろう。我々の悲願たる暗黒の到来は近い」
黒い魔女は誰となく話を進める。黒い魔女は鏡を見た。
「私が闇の支配をこの都市にもたらすのだ。そして闇こそが真理としてこの世に君臨するであろう」
ツヴェーデン共和国の議会にて。
シュミット大統領が演説を終えた。そこに黒い魔女がいた。彼女は演説を終えたシュミット大統領の次に演説する予定だった。黒い魔女がマイクの前に立った。
「私は今ここで宣言しよう。ただ今より、闇がツヴェーデンを支配する。大いなる闇が訪れた。これは闇の祝福だ。これからは私の言葉を法と考えよ。私がツヴェーデンの主となる。恐れよ、それが正しき態度だ。
闇を恐れよ。ツヴェーデンは暗黒の理によって支配されるのだ」
彼女は大きく手を広げて議員たちの前で言い切った。
すかさず大統領が反対した。
「闇の支配だと? 何を言っている! ツヴェーデンは民主的な共和国だ! 国家の指導者は選挙によって選ばれる! 神よ、我らを守りたまえ!」
黒い魔女はいてつく視線をシュミット大統領に向けた。
「ならば民主主義の殉教者となるがいい!」
黒い魔女は手を大統領の前にかざした。
「なっ!?」
「凍れ」
シュミット大統領は氷のかんおけの中に閉ざされ、絶命した。凍った大統領は演説台から転げ落ちた。
議員たちは目の前で展開された事象についていけなかった。
沈黙・混乱・とまどい・困惑・恐怖などが議場を支配した。
恐怖と沈黙がぬきんでる中で、議事堂の外で大きな音がした。
音は議会に近づいてくる。
「なんだ、この音は!?」
「外ではいったい何が起きている!?」
議員たちは困惑し、狼狽した。何が起こっているか分からなかったからだ。
ただ一人、黒い魔女だけが怪しくほくそ笑んだ。彼女は事が自分の思うままに進行していることを知っていた。足音が廊下で鳴り響く。音は軍靴のものだった。議会の扉が開かれると、ツヴェーデン軍の兵士たちが現れた。
「おまえたちにも闇の祝福を与えよう」
兵士たちはサーベルを抜いた。そして議員たちを殺害し始めた。議員たちは恐怖にとらわれ逃げまどった。
議会は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。兵士たちはサーベルで議員たちを殺していく。議員たちは逃げまどったが無駄な悪あがきにすぎなかった。
「我が僕どもよ、殺せ、一人残らず!」
議会は血で染まった。軍の兵士たちは魔法によって魔女の操り人形と化していた。
殺戮はすべての議員が死ぬまで行われた。
「私はアルテミドラ Artemidora。 暗黒の大魔女アルテミドラだ」
軍はアルテミドラに完全に従属していた。この日からツヴェーデンは軍の支配下に置かれた。
軍事政権が権力を握った。
魔女によって誕生した軍事政権はあらゆる分野で統制をしいた。
たった一日でツヴェーデンは魔女が支配する国へと変わった。軍事政権は完全に魔女の傀儡であり、僕であり、下僕であり、犬だった。
ツヴェーデン市民は統制に従うよう要求された。
テンペルにも軍から通達がなされた。短く、明瞭に。
「アルテミドラ様に従属せよ」
テンペルは拒否した。
またいまだ起きていないとはいえ、ツヴェーデン市民も魔女の支配を認めていなかった。
聖堂の執務室にて。
「魔女に従属しろ、か。するわけがないだろうに」
アンシャルが言った。
[うむ。今は情報が不足している。いったい何が起きたのか、今の情勢はどうなのか、分からないことばかりだ。アンシャル、騎士団には臨戦態勢を取らせておけ。戦いに備えてな」
スルトが答えた。
「分かった。ところで、あの通達は私たちが拒絶するのを見越しているようにみえる。最初から戦いを仕掛けてくるつもりではないか?」
「私も同じことを考えていた。そう遠くないころに軍を動員してくるだろう。我々が従わないことを見越してな」
一方、アルテミドラの本拠地ネーフェル宮では。
黒い魔女アルテミドラは玉座に座っていた。まるで暗黒の女王である。
アルテミドラは軍の女主人であった。
アルテミドラの前に男の軍人がいた。長い髪は黒で黒い額縁メガネを掛けている。
「我々の軍事作戦は滞りなく進んでおります。わずか一週間たらずでツヴェーデン全土を我らのものとできましょう、アルテミドラ様」
「それは良き知らせだ」
「しかし、未だにアルテミドラ様の支配に屈していない組織があります」
「……テンペルであろう?」
「はっ、通達ははっきりと拒否されました。アルテミドラ様に従うつもりはないかと」
「別に驚くことではない。初めから分かり切ったことだ。力でつぶせ」
「ではツヴェーデン軍を動員なさるのですね?」
「そうだ。おまえたちの活躍も期待しているぞ」
「はっ!」
男は深くアルテミドラにひざまずいた。
「私と血の契約を交わせし者たちよ。おまえたちには闇の力を与えた。その力を存分に振るうがいい」