事件の再捜査
ふだんは使われない取調室。
「お願いします」
鳥羽は目の前の男に深々と頭を下げた。
デスクをはさんで、イスにふんぞり返っている男がいる。鳥羽の直属の上司、服部警部である。
「しかたねえなあ。だがな、三日間だけだぞ」
「ありがとうございます」
「言っておくが、上にはコレだからな」
服部が口の前に指を立ててみせる。
先ほどまで……。
服部は鳥羽をどなりつけていた。いきなり事件の再捜査を申し出られたからだ。
事件は自殺として決着し、すでに捜査本部も解散している。だいいち、現場のチーフとして捜査の指揮をとったのも服部自身。それを今になってむし返されることが不愉快だったのだ。
ところが鳥羽が一歩も引かず、ナイフの指紋のナゾを解き明かすのを聞くうち……。
――まあ、結果がひっくり返ることもなかろう。勉強させると思って、少しばかり自由にさせてやるか。
服部の考えも変わったのである。
鳥羽は署を飛び出すと、さっそく大平のいる大学へと向かった。恵太郎に頼まれていたことを、まず一番に調べてみようと思ったのだ。
ヒントの宿題もある。
調べるうちにひとつぐらいは解けるのでは。そんな淡い期待もしていた。
教授棟にある大平の部屋の壁には、物理学の専門書がずらりと並んでおり、いかにも研究者の仕事部屋といった雰囲気だった。
「これは刑事さん、先日はお世話になりました。ちょっと窮屈ですが」
笑顔の大平に、ソファーに座るようすすめられる。
「なんの研究をなさってるんですか?」
事件とは関係のないところから、鳥羽はさり気なく話を切り出した。
「応用力学の分野なんですよ。まあ、地味な研究でしてね。よろしければコーヒーを、といってもインスタントしかありませんが」
大平が苦笑いをする。
それからポットを手に、さっそくコーヒーの準備を始めた。
「それで柴崎教授も同じ研究を?」
「ええ、研究室では一緒に」
「助手をしていた、そうおうかがいしましたが」
「はい。ずっと以前から、教授とは共同で研究をしていたんです」
「何度も聞くようですが、あの日、柴崎教授に呼び出されたのでしたね」
徐々に本題へと入っていく。
「そうなんですよ。自殺の前、教授は体調をくずしていましてね、大学を三日ほど休んでいたんです。それで、講義のことで相談があるからと」
大平はカップを鳥羽の前に置き、それから向かい合うようにソファーに腰をおろした。
「講義のこととおっしゃいますと?」
「休講にすると、学生を遊ばせますからね。たぶん講義の代役を頼むつもりだったのでは」
「なるほど……。ところで話は変わりますが、大平さんは靴でガラスを割りましたよね。で、どうして靴なんかで」
鳥羽は話題を靴に移した。
「その件は、すでに警察でお話ししましたが」
「はい、近くに割るものがなかったというふうに」
「あのとき、ひどくあわてていましたので、とにかくおろおろするばかりでして。庭の中ですが、なにかないかと探しまわったんです。ですが、なかなか適当なものが見つからなくて」
「植木鉢さえなかったですからね」
「そうなんですよ。石ひとつ転がってなくて。そんなとき、とっさに靴を思いついて。早くに気づけばよかったんでしょうが」
「あわてていたんです、しかたありませんよ」
鳥羽はカップをゆっくり口に運んだ。
間合いをはかりながら、頭の中では次の質問を考えていた。
――車のことは、なんて聞けばいいんだろう?
考えをめぐらせていると……。
大平の方から先に質問される。
「なにか不審な点でも?」
「いえ、そうではありません。今、あらためて調書を整理してるんです。できましたら、より正確でありたいと思ったものですから」
とっさの思いつきで話をとりつくろう。
「そうでしたか、大変ですね」
「いえ、これも仕事ですので。今日はお忙しいところをおじゃまして、申しわけありませんでした」
ヘタなさぐりを入れ、警戒されてしまってはもともこもない。鳥羽は礼を述べ、早々と大平の部屋をしりぞいた。
――ヒントの答えさえわかってたら、もっとほかに聞きようもあったんだろうが。
じれったい思い、くやしい思いを胸にいだいたままキャンパスに向かった。
そのころ。
大平は自分の部屋の窓から、射るような視線でキャンパスを見下ろしていた。
そのキャンパスでは、さきほどの若い刑事が学生たちをつかまえ、なにやらかぎまわっている。
事件は自殺で決着し、捜査本部は解散したと聞いている。それが今になって、刑事がここに来ること自体おかしなことである。
――調書を整理していると言ってたが……。
キャンパスを立ち去る刑事の姿が見える。
大平は窓辺を離れると、ソファーに深く身を沈めたのだった。