アリバイと動機
恵太郎……中学生ながら天才的な推理力を持つ。
ヒトミ……大学生。恵太郎の姉。
鳥羽……新米刑事。ヒトミとは恋人同士。
服部……警部。鳥羽の直属の上司。
柴崎……老教授。密室でナゾの死をとげる。
大平……助教授。柴崎教授の助手。
食堂の店主……朝日食堂の主人。
「先に入ったのは店主の方なんだ」
鳥羽はここまで話すと、確認するように目の前の紙に目を落とした。
コタツの上には教授の死んだ別棟、それに敷地図を描いたものが広げられている。
「でも自殺する理由があったから、警察は自殺だって断定したんでしょ。それってなんだったの?」
ヒトミが自殺の動機を問う。
「ひとつは病気を苦にしてだろうな。で、もうひとつなんだけど、教授は一年ほど前、息子家族のためにこの母屋を建ててやってるんだ。念願だった同居をしようとね」
鳥羽は絵の中の母屋を指さし、もうひとつの動機の詳しい説明を続けた。
「心臓に持病をかかえていたし、独り暮らしが心細かったんだと思うよ。息子さんの話だとね、同居のことを何度も言われていたそうだ。でも嫁が、どうしてもイヤがったんで、ずっとほっておいたらしい」
「病気のうえ、さびしくて自殺したってことね」
「そうなんだ。とくに最近は、どうして同居できないんだって、しつこく迫られていたそうだ」
「なら、やっぱり自殺ね。捜査本部もそう断定したんだし、だったらそれでいいんじゃない?」
ヒトミは話を早いとこ切り上げて、鳥羽を買い物にでも連れていきたくなったようだ。
「でも、なにかがひっかかるんだよな」
「薬が服のポケットに入ってた。まさか、そんなことはないよね」
恵太郎がぼそりと口を開く。
「そうだよ!」
鳥羽がすっとんきょうな声をあげ、それからあらためて言い直す。
「そうなんだ、恵太郎君。あのとき教授の服のポケットに、その薬があったんだ」
「ねえ、薬ってなんのこと?」
ヒトミは薬と聞いても、それがなんのことかわからず、きょとんとした顔をしている。
「ほら、心臓発作のときに飲む薬だよ」
「それが事件と、どう関係して?」
「これから死のうとする者に、そんなの必要ないじゃないか。捜査のときに薬を見たことが、頭のどこかにひっかかってたんだな」
「でもね、ずっと前からポケットに入ってた、そういうことだってあるんじゃない?」
「それはないんだ。着ていた服は、クリーニングされたばかりだったからね。それにズボンもな」
「どうしてわかったの? クリーニングされたばかりだって」
「ごみ箱の中にクリーニング店の袋があってね。そこに確認してみたら、事件のあった前日の夕方に届けてるんだ。だからね、死んだ日の朝に着たとしか考えられないんだよ」
「どこかに出かけるつもりだったのかしら?」
「そうかもしれないな」
「もしかしたらそれって、きれいな姿で死にたかったんじゃない?」
ヒトミはたとえ死体になろうとも、やはり他人の目というものが気になる。死ぬのがわかっているのであれば、服装はもちろん、化粧も念入りにしたいと思うのだった。
「そんなの、おねえちゃんだけだよ。どこかに出かけるつもりだったんだよ」
「まあ!」
ヒトミがほっぺたをふくらませる。
「自殺の可能性は低くなったということだな。だけど恵太郎君、現場も見ていないのに、どうして薬のことに気がついたの?」
「ただ、なんとなくね」
実際のところ、恵太郎もどうしてひらめいたのかわからないのである。
「自殺じゃないって、二人とも思ってるみたいね。それじゃあ殺人ってことになって、教授を殺した者がいるのよ。密室で、どうやって殺せるのよ」
「それがわかれば苦労はしないんだけど」
鳥羽が小さく首をふる。
「そうだわ。合鍵があればやれるじゃない。息子夫婦は持ってたかも」
「息子さんは合鍵を持ってたよ。だけど彼には、完璧なアリバイがあるんだ。警察だって、そこらの捜査は一番にやるからね」
「嫁さんの方はどうなの? 教授とは仲が悪かったんでしょ。殺したいほど憎んでたのかもよ」
「たしかなアリバイはないんだけど、かといって殺すほどの動機も見当たらないんだ」
「憎むほどじゃなかったのね」
「ああ。教授が寝こんだときは同居して、嫁が介護をするはずだったって。ただ、それまでは別居を望んでいたらしい。もっとも嫁をシロとしたのは、別なところにあるんだよ」
「別なところって?」
「ナイフの刺し傷なんだ。解剖の結果、即死するほどの深い刺し傷だった。それで検死官は、女性じゃとても無理だとね。嫁はとくに小柄なんで、犯行は不可能と判断したんだよ」
「じゃあ、いったいだれが犯人なの? 強盗っていうのも、ずいぶんおかしいでしょ」
「もちろんだよ。床や壁、それに屋根裏まで調べたからね。なんのしかけもなかったし、こわれたところもなかった」
「殺人だなんて、鳥羽ちゃんの思い過ごしよ。仕事で疲れてんのよ」
「やっぱり自殺かなあ」
鳥羽は首をグリグリとまわした。
複雑な推理の迷路からやっと出られたのに、そこで自殺という立て看板を見た気分なのだ。
「恵太郎がつまんないこと言うから、鳥羽ちゃん、よけいに悩むのよ」
ヒトミが恵太郎をにらむ。
その恵太郎はまだ推理の中なのか、あいもかわらずコタツの台にあごをのせていた。
「おっ、もう昼だよ。どうりで腹がへったはずだ。ヒトミさん、レストランにでも行こうか」
「やったあー」
ヒトミが叫ぶと同時に、恵太郎が顔を上げてぽつりと言う。
「ねえ、ボクも連れてって」