事件のあった朝
恵太郎……中学生ながら天才的な推理力を持つ。
ヒトミ……大学生。恵太郎の姉。
鳥羽……新米刑事。ヒトミとは恋人同士。
服部……警部。鳥羽の直属の上司。
柴崎……老教授。密室でナゾの死をとげる。
大平……助教授。柴崎教授の助手。
食堂の店主……朝日食堂の主人。
雨音AKIRA 様 提供
事件のあった日。
教授から朝日食堂に出前の注文があったのが、朝の八時半前。出前の注文は週に三度ほどあるが、朝食の出前はめずらしかったので、店主はその時刻を覚えていたのだ。
店主は食堂を妻にまかせ、さっそく出前の配達に教授の家に向かった。自転車で三分ほどなので、それほど苦になる距離ではない。
着いたのが九時ごろ。
門扉を押し開けたとき、前方から一台の車が近づいてきて止まる。身なりの良い四十歳ぐらいの男がハンドルをにぎっていた。
――大学の同僚?
店主は車中の男に会釈をしてから、いつものように敷石を踏んで別棟へと向かった。
玄関の前に立つと、これまたいつものようにドアをノックする。しかるにこの日、いつもはすぐにある返事が返ってこない。
――トイレかな?
ちょっと間をあけ、二度、三度とノックを繰り返した。……が、教授からいっこうに応答がない。
――おかしいなあ?
ドアノブに手をかけてみるも、内側から鍵がかかっていて開かない。
――そうか、さっきの客人が来るんで母屋に……。
そういう思いに至った矢先、先ほどの男が母屋の方からやってくる。
「こっちにはいないみたいだよ。そちらの母屋の方じゃないかな」
店主は親切心で声をかけた。
「そうですか。呼び鈴を鳴らしたんですが出てこないもので、教授はこちらかと思いまして」
その男もこまったようすである。
「三十分ほど前に、出前の注文を受けたばかりなんだけどねえ」
「なら、じきにもどってきますよ。それともまだ寝ているのかな?」
男がテラスにまわる。
それからリビングをのぞきこむやいなや、大声をあげた。
「あっ、倒れてる。教授が!」
「なんだって!」
店主もすぐさまテラスにかけ寄り、窓ガラス越しに部屋の中をのぞき見た。
教授が床にうつぶせになって倒れている。
「心臓発作だ!」
店主はとっさに病名を口にしていた。
このときナイフは横たわる体の下になり、店主の位置からでは死角となっていたのだ。さらに心臓発作だと思ったのは、教授が心臓に持病があることを知っていたからである。
食料品は近くの店に配達してもらう。そして週に何度かは、朝日食堂の出前で食事をすませていた。
これもすべて心臓に負担をかけないためである。
「早く病院に!」
男はあわててガラス戸を引いた。
だが、びくともしない。
店主が窓ガラスに顔を押し当て、斜め上から戸の内側をのぞき見る。
「ダメだ、内鍵がかかってる」
「玄関は?」
「あっちも鍵がかかってた。とにかくガラスを割って入るしかないな」
「その前に救急車を! すみませんが、すぐに連絡をお願いします。私はそれまでに、ガラスを割っておきますので」
「わかった!」
店主は敷地を走り出ると、乗ってきた配達用の自転車に飛び乗ったのだった。
「教授、八時半には生きていたんだよ。そのとき食堂に電話をしてるからね。それから三十分後の九時に死体で発見されている。で、このときは密室だった。発見者が同時に二人いて、証言も同じなんだ。それで捜査本部も自殺だとね」
鳥羽はここまで話して一息ついた。
「それで、もう一人の男ってだれなの?」
恵太郎が目を輝かせて聞く。
「大平っていうんだけどね。教授と同じ大学で助教授をしてるんだ。それに研究室では、なにやら教授の助手をしていたらしい」
「食堂の主人がいない間に、その男が中に入ったってことはないの?」
「そう、そうよ。とどめを刺すために、倒れている教授の胸をナイフで刺した。そうしたことも考えられてよ」
「それはないんだよ。店主の証言からも、そこのところはまちがいないんだ」
「そうなの。鳥羽ちゃん、はい、どうぞ」
ヒトミが皮をむいたミカンを手渡す。
「ねえ、おねえちゃん。ミカン、ボクにもむいてちょうだい」
恵太郎がおねだりしたとたん、皮つきミカンがまるごと飛んできた。
「痛っ!」
皮つきミカンはみごと、恵太郎のおでこに命中したのである。
「はい、恵太郎君」
鳥羽は拾ったミカンをむいて、顔をしかめている恵太郎の前に置いてやった。
「さっきのことだけど、オレが事情聴取に立ち合ったから、そこらへんも話してあげるよ」
それからふたたび……。
鳥羽は二人の証言の続きを話し始めた。
店主は自転車をふっ飛ばして食堂に帰ると、すぐさま店の電話で救急車の手配をした。
近所の家で電話を借りたり、公衆電話を探すよりも早いと思ったのだ。自転車を飛ばせば、食堂まで一分ほど。この判断は当然のことといえた。
引き返すときも飛ばした。それで教授の家に着いたとき、あやうく門柱にぶつかりそうになり、あわてて急ブレーキをかけたほどだ。
店主は母屋の前を走り抜けると、テラスに立っていた大平に向かって叫んだ。
「救急車、すぐに来るそうで」
「こっちも、じきに入れるようになります」
大平が振り向く。
下半分の窓枠のガラスがひび割れ、その中央には穴ができていていた。だが、人がくぐって入れるまでの広さはない。
「割るものがなかなか見つからなくて。足でけって割ろうと思ったら、靴に気がついたんですよ」
大平はそう言ってから、残っているガラスを手にした革靴で打ち割り始めた。
ガラスの破片が飛び散る。
窓枠からガラスが完全にとれたところで、今度はテラスにひざまずき、散乱した大きめの破片を部屋の中からつまみ出していく。
「あっ」
大平が小さく声をあげ、あわててポケットからハンカチを取り出した。
小指に血が流れている。破片をつまんだときに、うっかり指を切ってしまったようだ。
「先に入ってるよ」
店主が身をかがめて、ガラスのなくなった窓枠からくぐり入る。
大平は小指にハンカチを巻きつけ、それから店主のあとを追うように部屋に入った。
イラストは雨音AKIRA様から提供されたものです。
感謝です。