事件解決
恵太郎……中学生ながら天才的な推理力を持つ。
ヒトミ……大学生。恵太郎の姉。
鳥羽……新米刑事。ヒトミとは恋人同士。
服部……警部。鳥羽の直属の上司。
柴崎……老教授。密室でナゾの死をとげる。
大平……助教授。柴崎教授の助手。
食堂の店主……朝日食堂の主人。
野仲……助教授。大平と同僚。
「お願いです」
鳥羽は直立不動の姿勢から、服部に向かって深々と頭を下げた。
「だがなあ」
だがと言ったが、服部はそれからの言葉が続かなかった。
鳥羽の報告が理にかない、まったくもって的を射ていたからだ。再捜査をする価値があるではなく、再捜査をしなければならない。
服部はそう考え始めていたのだ。
「よし、わかった」
「警部殿、ありがとうございます」
「だがやるにしても、今回の件は自殺で決着し、すでに捜査本部は解散しておるんだ。今さら、おおっぴらには動けんぞ」
「わかっています」
「それに大平がシロだったら、上層部の顔に泥をぬってしまうことになるんでな」
「すみません」
「ヘタをすりゃ反対に、こっちが名誉棄損で訴えられるかもしれん。そんなことになったら、オレもオマエもクビになっちまうぞ」
「それも覚悟のうえです」
鳥羽自身も、服部に迷惑をかけることはじゅうじゅうわかっている。自由に捜査できたのも服部の裁量であり、服部より上の上司はまったく知らないのだ。
「そうはいっても、殺人者は野放しにしておけんからな。それにオマエの計画では、捜査員の数はたいしていらんだろうし」
「はい、多くてはかえって目立ちますので」
「そこでどうだ。今夜の捜査は、オレとオマエの二人だけってことでは?」
「もちろんけっこうです。警部殿がいれば百人力以上ですから」
「おだてるなよ。上司に気をつかって、堂々と動けねえだけなんだからな」
そうは言ったが、服部の目はうれしそうである。
「で、その助教授の名前、なんていったかな?」
「野仲先生です」
鳥羽は名刺を取り出し、それを服部に見せた。
「野仲助教授か。それで、大平と同じ研究室で働いているんだな」
「はい。協力してもらえれば、かならず今夜、大平は動きます」
鳥羽には自信があった。
服部に今夜の計画をお願いしたのも、計画に大いに自信があったからだ。もちろんその計画は、恵太郎から教えてもらったものではあったが……。
「その助教授にはワシから頼もう。で、日記帳の方はオマエが準備してくれ。あとは待つだけだな」
服部はニヤリと笑った。
非常灯だけの薄明りの廊下。
大平は足音を忍ばせ、教授棟に残っている柴崎教授の部屋に向かっていた。
――まさか日記をつけていたとはな。
あやうく証拠が残るところだった。野仲が教えてくれたから助かったが……。
大平は野仲に感謝していた。
手の中には、柴崎教授の部屋の鍵がある。事務室に保管されている予備キィーを、事務員の目を盗んで持ち出したのだ。
ここで話は、今日の昼にさかのぼる。
大平が出張からもどり、自分の部屋に入ろうとしたときだった。
「大平先生、ちょっと!」
背後から野仲に声をかけられる。
「なんでしょう? まあ、中に入って」
大平は野仲を部屋に招き入れた。
「昨日ですが、柴崎教授の息子さんが研究室にみえられましてね。みなさん、教授の葬儀に参列したでしょう。そのお礼にですって。葬儀のあと忙しかったらしく、それでやっと昨日……」
野仲のいっこうに進まない話に、大平はイライラしながら耳を傾けていた。
「ところで大平先生。柴崎教授ですが、日記をつけていたそうなんです。息子さん、その日記帳を探してるって話してました」
「日記帳? それがどうかしたんですか?」
「自殺が自分のせいではないかと、息子さん、かなり気にしてるようでした。病気を苦にして自殺したならともかく、同居を拒んだばかりに自殺されたんじゃたまりませんからね。で、日記帳にそこらへんのことが書かれてないかと」
「日記帳にね」
このときとっさに、日記をつけている教授の姿が思い浮かんだ。
――では、あのことも?
大平はマズイなと思いながら、それを顔に出さないようにしてたずねた。
「日記帳、自宅にはなかったんでしょうね。わざわざここまで探しているぐらいだから」
「そうなんです。おそらく、ここの教授部屋にあるんじゃないんですか。それで、息子さんに探してみるように。でも、昨日は時間がなかったみたいで、そのまま帰られたんです」
「ということは、まだ柴崎教授の部屋は探してないんですね」
大平は胸をなでおろす思いだった。
「なにやら忙しそうで。近いうち教授の部屋を整理するんで、そのときに。そうそう、息子さんが今度のことで、大平さんには迷惑をかけましたって」
野仲は話すだけ話すと部屋を出ていった。
大平は舌打ちをした。
――まさか日記をつけていたとは……。
まったくの計算外だった。
日記帳という、このうえなく危険な爆弾が残っていたのだ。
だが、今なら……。
今なら、まだ手の届くところにある。火が燃え移る前に導火線を断ち切ることができる。
――早い方がいいな。
大平は決行を今夜と決めた。
大平は教授の部屋の前に立つと、人の気配がないか廊下を振り返った。
物音ひとつしない。
緑色の非常案内灯だけが、壁と床をぼんやり照らし出している。
――見つかればいいが。
予備キィーでドアを開け、ペンライトの明かりでもって真っ先に机を照らした。
机上に日記帳らしきものが浮かび上がる。
机に歩み寄ってペンライトを近づけると、それはひと目で日記帳だとわかった。
――世話をかけやがって。
日記帳を手に取り、それから用のなくなったペンライトを消した。
と、同時に。
部屋の中がまぶしさにつつまれる。天上にある電灯の明かりがついたのだ。
「大平さん、お待ちしていましたよ」
声がして、部屋の入り口に鳥羽が立っていた。
続いて、服部がソファーのかげから現れる。
「その日記帳、返していただけませんかな」
服部は大平に歩み寄ると、その手から日記帳をかすめ取った。それから大平の目の前で、パラパラとページをめくってみせる。
日記帳の中は真っ白だった。
当たり前である。今日、鳥羽が本屋で買ってきたのだから……。
「ワナにはめたな」
大平が二人をにらみつける。
「ワナですと? 日記帳を返してください、私はそう言っただけですよ。それとも、なにか都合の悪いことでも、この日記帳にはおありで?」
服部はうれしそうな顔をすると、大平の肩に軽く手を添えた。
「聞きたくなりましたな、ワナにはめたって話を。明日、署でお待ちしておりますよ」
「承知しました」
大平が頭を下げる。
「まちがいってのは、だれにでもあるもんですよ。世の中、イヤなことが多いですからな」
まったく……とつぶやき、服部は大きくうなずいてみせたのだった。




