密室トリック
恵太郎……中学生ながら天才的な推理力を持つ。
ヒトミ……大学生。恵太郎の姉。
鳥羽……新米刑事。ヒトミとは恋人同士。
服部……警部。鳥羽の直属の上司。
柴崎……老教授。密室でナゾの死をとげる。
大平……助教授。柴崎教授の助手。
食堂の店主……朝日食堂の主人。
ブレーキ音を耳にしたとき。
大平はまだ、殺人現場のリビングの中にいた。予定の時間前に、食堂の主人がもどってきたのだ。
急いでリビングを飛び出し、それからガラス戸をきっちりと閉める。あとは店主が来るのを待って、ガラスをけり割るのを見せればいい。
大平は靴をはこうとした。ところが、あわてているせいか足がうまく入らない。
なんとか片方の靴をはいたところで、母屋の方から店主の足音が近づいてくる。
もはや、もう一方をはくだけの猶予はない。
――クソー。
とっさに靴を手に取った大平は、窓ガラスの中央に向けて一撃を加えた。
中央から窓枠に向かって、ガラスにいく筋ものヒビ割れが入る。
それから三秒と間をおくことなく、息を切らした店主がテラスの前にかけ寄ってきた。
「救急車、すぐに来るそうで」
「割るものが、なかなか見つからなくて。足でけって割ろうと思ったら、靴に気がついたんですよ」
大平はその場をとりつくろい、もくもくとガラスを割り続けた。
鳥羽はここまで一気にしゃべった。
屋敷の塀の上に腰かけ、大平の行動の一部始終を目にしていたかのように……。
「どうだった?」
「すごいじゃない、鳥羽ちゃん」
「あのとき、大平は部屋を出た直後だったんだ。そのことを疑われないよう、靴を手に持って割ることになったんだと思う。しかたなくね」
「あとは密室にどうやって入って、教授をナイフで刺し殺したかだね。その調子なら、それもすぐに解けるかも。鳥羽ちゃん、がんばってね」
恵太郎は立ち上がりドアに向かった。
もちろんケーキはたいらげている。
「あら、ケーキ食べたら行っちゃうの」
ヒトミが皮肉を背中に投げつける。
「宿題があるんだ」
部屋を出ていく恵太郎のうしろ姿を、二人はなんともうらめしそうに見送ったのだった。
鳥羽が話の続きを始める。
「問題は密室ってことなんだよな」
「そうよね。外から鍵を開閉できれば……。でも、そんなしかけはなかったんでしょ」
「ああ、どこにもね」
「警察が着くまでの間に、大平がこっそり証拠を消したってことは?」
「それはないと思う。殺人現場なんで、とにかく荒らないようにしたって。しかもね、そのことは大平が言い出したそうなんだ」
「そうなの……」
「でも、密室トリックは必ずあるはずなんだ。恵太郎君がヒントを出したんだからね」
「ヒント、四つあったわね。ハンカチに靴とブレーキ音……。あとひとつ、なんだったかしら?」
「自動車。あの日、大平は車で来てたんだ」
「事件とどう関係してるのかしら?」
「それがぜんぜんわかんなくて」
鳥羽はこれが一番むずかしいと思っていた。
だから大平に会ったときも、車のことはなにを聞いていいのか見当さえつかなかった。
「その自動車、家の前に駐車してあったのよね。直接は事件に関係ないみたいだけど」
「だからオレも、自動車のことはさっぱりわからなくてね」
「普通なら死体を運ぶとか、凶器にするとか考えられるんだけど」
「そうなんだよな」
「四つのヒントが解けないと、密室トリックは解けないのかしら?」
「だろうね」
鳥羽はコタツ台にあごの先を乗せていた。
恵太郎のおなじみのポーズだ。
その効果かどうかはわからないが、ふと思い出したように口を開く。
「今日ね、食堂の主人が妙な話をしたんだ。恵太郎君にも、まだ話してないことなんだけど」
「妙な話って?」
「もっと早く、教授を病院に運べたのにって。それもすごく後悔してるように話してた。考え過ぎだと思うけどね」
「詳しく聞かせてくれない?」
「救急車の到着に時間がかかってるんだ。どうもそのことが、食堂まで帰って電話をしたからだと。でもそれって、あの店主のせいじゃないだろ。ほかにいい方法があれば別だけど」
「たぶんあとで、その方法に気がついたのよ。だからだわ」
「しまったなあ。あのとき、しつこく聞いとけばよかったな」
「それで警察には、だれが通報してきたの?」
「大平で、リビングの電話からなんだ」
「わかったわ! 車よ、さっき話してた車。救急車を呼ぶより、車で病院に運んだ方が早いじゃない」
「そうかあ。でも部屋に入ったら、教授はほぼ即死状態だった。それであの店主、どうしたってまにあわなかったって」
車のヒントが解けると、店主の言わんとしたこともわかってくる。
「それにあのときたしか、店主が窓ガラスを割ろうとしたのを、大平は自分が割るからってやめさせたんじゃなかった?」
「そうなんだけど。でもそれって、救急車を呼ぶためだよ。電話のある場所は、店主の方が大平より知ってるだろうからね」
「ううん、店主を現場から遠ざけるためよ。だって電話、リビングにもあったんでしょ。そのこと、たぶん大平は知ってたはずだわ。だったらね、なにはさておきガラスを割るべきじゃないかしら」
「そう、そうなんだよな。ヒトミさんにはわかったのに、オレはぜんぜん……」
「たまたまよ」
「たまたまでもな」
鳥羽があわれなほどに落ちこむ。
「気にすることないって。ほかの三つは鳥羽ちゃんが解いたんだから。でもどれも、密室のトリックとは関係ないように思えるんだけど」
「だよな。恵太郎君に助けてもらわなきゃ、どうしようもないかも」
「恵太郎のヤツ、シャクにさわるわね。わたしのケーキ食べたんだから、ちゃんと最後まで教えてくれるべきよ。このままじゃ眠れないじゃない」
「恵太郎君はね、オレのことを気づかって最後まで話さないんだよ。刑事としてのプライドを傷つけないようにね。でもオレには、そのプライドってものがないみたいで」
鳥羽は捜査一課の刑事であるにもかかわらず、まったくもって情けない弱音を吐いた。
その夜。
安らかな眠りは当然のごとく、ヒトミのもとに訪れることはなかった。




