邪神の徒
初めに読者諸兄の先廻りをして言っておくと、エイグリズドという神それ自体に善悪は無い。
光に属する神が存在する以上、この世界にとって闇に属する神は絶対的に必要なモノであり、光の神が「善」や「正義」を司ると信じられ、そのように生まれてきた以上「悪」や「悪徳」を司るモノが必要なだけだ。
人が知覚できる範囲など、手探りの範疇でしかないようなより広い視野での調和の為に。
そう言った神々もまた、犠牲者と言えた。
この世界の中にいる者で、それに気づくものは皆無だろう。
***
「皆、聞いてくれ」
南街大通り沿いの酒場、その地下に作られた会合所。
そこが、エイグリズドの使徒達の集合場所だった。
「偉大なるエイグリズドの加護により、遂にゾラの完成が間近となって来た」
厳かに伝えられる結果に、その場の誰もがおぉ、と声を漏らす。
エイグリズドのもたらした魂の宝玉、ゾラはまさしくエイグリズドの使徒達の至宝だ。
人々の魂は、ゾラとなってエイグリズドの元へ送られ、そこで永遠の静けさと安らぎの腕に抱かれる。
ゾラを得たエイグリズドの使徒達は、ゾラを使い、更なる人々をエイグリズドの元へといざなう。
エイグリズドの救いをあまねく人々へと与える宝珠、それがゾラ。
「この南街にはまだ多くの魂が彷徨い、もがいている、光の邪神にその魂が捕えられる前に、わずかでも多くをエイグリズドの元へと届けねばならん」
実のところどちらの神も死者を救ったり、魂をいやしたりはしないのだが、神の教えに従う人々にとって、それは事実であり真実だ。
それを、神自身がどう思うかは兎も角として。
「この街の人々が肉の穢れから解き放たれ、自由なる魂となったのは間違いなくエイグリズドのもたらした救いだ、そして我らは、これらの魂を間違いなく、エイグリズドの元へ届けなければならない」
多くの信徒を前に熱弁を振るう男が、確たる意志を持って語り掛ける。
「諸君、死したる人々の魂を一度一つに還し、神の元へと送る事を拒絶する者も居るだろう……しかし、我らはそれらの人々に悪と断ぜられようとも、それを成さねばならぬ! 何故ならば、それこそが魂を静寂へ導く唯一の路だからだ!」
エイグリズドの信徒は、魂の静寂を求める。
何からも騒がれず、何を騒がせる事もせず、ただ静かに瞑想にふける。他者に関わらず、関わられず。
そう言った教えは、時と共に拡大解釈され、多くの人々の魂に静寂の救いを与える事こそが、エイグリズドの信徒の役割だ、と思われるようになった。
光の女神、闇の神、どちらも人の願いによって生まれ、人の業によって歪んできた。
始まりは、確かに願いだったのだろう。安らぎを、喜びを、静寂を願う、祈りにも似た純粋な願いだったのかもしれない。
しかしそれは、純粋であるが故に歪む……その事実から逃れる事はどんな存在にもできない。
***
エイグリズドの使徒達は、迫害され続けたその歴史から犯罪者集団としての側面を強く持つ。
そうなってしまう事はただの事実であり、なってしまう物は仕方がない、と言ってしまえる事でもある。
特に明確な理由もなく、忌み嫌われ、極端に攻撃され続けるのも、百年も続けば明確な敵意となるには十分すぎて釣りがくるほどの時間だ。
そもそもが、宗教として成り立ったころ、光の女神リアラと、闇の神エイグリズドは同じように、隣り合って祀られていたなど、女神教教徒、エイグリズドの使徒、どちらに言っても信じはしないだろうから。
リアラが国教としてあがめられるようになり、エイグリズドが邪教として隠れて信仰されるようになったのも、究極的には「光」と「闇」のイメージに過ぎない。
多くの時代に「光と闇の闘争」を続けてきた「戦士」達が聞いたらあまりのしょうも無さに自らの聖印をむしり取って地面に叩きつけそうなオチではあるが、実の所それが事実なのでそれ以外に表現のしようは無いし表記する術もない。
「諸君!この南街は完全な静寂の都となり、エイグリズドの使徒を受け入れる新たな聖都となった!」
この、多くの使徒を前に演説を行う男も、それを聞かされたところで事実とも真実とも思わないだろう。
だが、事実はそうなのだ。
彼が寄って立っているのは事実と真実の一面に過ぎない。
そしてそれをわざわざ口に出す物もない、それで全て上手く行っているのだから。
「諸君!これは神の与えてくださった祝福だ!そして神は、同時に試練も下される!……まもなく、光の邪神の先兵たる帝国の手の者がこの地を手に入れんとやってくるだろう」
ますます熱を持った弁が、男の口から飛び出していく。
「我々は、これに打ち勝たねばならない!神のお与えくださった祝福を、神敵におめおめと渡すような無様を、偉大なるエイグリズドの目に晒すような事があってはならない!」
「おぉ!」
多くの賛同の声が、溢れた。
誰もが、必ず訪れるであろう簒奪者から、神の手によって与えられた「約束の地」を守る為に、己の手を血に染める事を厭わなかった。
「我々、虐げられし者が唯一安らぎを得られるこの地を、侵略者の手におめおめと渡すような事があってはならない!諸君!武器を手に取れ!共に戦おう!神のもたらす静寂の為に!」
「神のもたらす静寂の為に!」
未だその気配すらない、しかし虐げられ、追われた者たちは、自分たちに害をなすものが必ず訪れると確信していた。
故に、彼らは守りを固めるために動き出す。
たとえその為に、どれだけの犠牲を払おうと、己が命を差し出す事になろうと、守るべき価値のある場所。
エイグリズドの使徒達にとって、今の南街はまさにそれだった。




