壊れた宝石
「……」
うっすらと、陣の腕の中でアクイラが目を開く。
おずおずと伸ばされた手が、陣の頬に触れた。
「……ジン……くん……」
果たしてその声に気付けたのは、ただ周りが静かだったからか、あるいは、アクイラが陣の耳の近くで声を出したからか。
いずれにせよ、小さく、弱弱しい呼び声に陣は気づいた。
「アクイラ……」
「あは……ジン、くん……きてぇ……くれたぁ……」
周りが見えていないかのように、甘えた声を発して、アクイラは陣を押し倒そうとするかのように体重をかける。
慌てて引きはがそうとしたレティシアが、マリグナに止められていた。
「今は待つサね……下手に力づくとなりゃ、坊やの心臓が抉られる」
「しんぞ……なんだっての? 何が起こってんのよ?」
マリグナの言葉に動きを止めるレティシアと、気を失って倒れ込むニールを支えるウルリック。
アクイラは、そのまま自分の意図する通り、陣を押し倒す。
「ごめんね……ジンくん……口も、胸も、手も、前も、お尻も……全部、あいつらに穢されちゃった……けど、がんばる、から……ジンくんが望む事、いつでも、なんでもして、ジンくんのアクイラでいるから……だから、お願い……」
嫌いに、ならないで。
涙声で言いながら、アクイラが陣のズボン紐を緩め、手を差し入れる。
「けがらわしいって、おもわないで……わたしを……きらいに、ならないで……!」
それは、懇願にも近い声。
いや、最早懇願その物。
もうそうする事でしか、陣を引き止められない、という妄執が、アクイラにその行動をとらせた。
「あ、アクイラ、待って……!」
「……手じゃ、嫌?いいよ、胸でも、お口でも、アソコでも、お尻でも、ジンくんの好きな所で、ジンくんが満足するまで、何度でも、してあげる……だから、私を、見て、離さないで……捨てないで……!」
裸身を隠そうともせず、それを持って、例え汚らわしいと思われようとも、陣とのつながりを、アクイラは求めていた。
あの諦めた瞬間で、彼女の心は壊れてしまっていた、ともいえる。
「ごめん、アクイラ……心司る友よ、今ひと時、安らぎの眠りを与え賜え。時が、心癒すその時まで」
精霊への呼びかけを終えたレティシアがアクイラの心を静め、眠らせる。
アクイラが眠りについている事を確かめ、ふぅ、と息を吐く。
『お嬢の心が乱れ切ってたから、相棒のエレメントスペルが通ったんだ、流石にこりゃ……』
『知ってる、けど他にどうしようもないでしょ?同じ女として、見てられないもの』
リーンヴルムの言葉に、レティシアが胸の内を吐露する。
果たして、捕らえられ、凌辱され……さらにそれを想い人に見られる、その衝撃はいかほどの物か。
彼女の感じた悲しみと羞恥と、絶望がどれだけの物か。
レティシアの想像の範疇を超えている事だけは、理解していた。
***
眠りについたアクイラに服を着せて、一同は言葉少なに来た道を戻る。
アクイラを助けた、という意味では間違いなく救出は成功したと言えるだろう。
しかし、今の状況を成功だと考えている者は一人もいなかった。
「で、シエラヴルムとしては、どうなんだい?この状況」
マリグナが放った言葉に、ニールが一瞬「え?」と言いたげな表情を浮かべる。
「……どういう事、かしら?」
「情報命の生き方してる奴をお舐めじゃないよ?おかしいと思ったら、調べるサね」
ほんの少し、警戒のこもったニールの言葉に、マリグナは飄々と返す。
このフービットの真意を探る事は、たいていの事ではない。
ニールは早々に、裏を読むことを諦めた。
「……竜族としては、気にする事ではないと言えるでしょう。しかし、シエラヴルムという貴族としては……」
「致命傷も良い所、かい?」
「少なくとも」
貴族の娘がスキャンダルを持ってほしくないというのは、風聞や世間体の事が多くを占めるのは間違いない。
それとは別に、血が多く入り混じるのを防ぐという意味合いもある。
貴族としての血の純粋さを守るという意味で、それは必要な事だと言えるだろう。
だが、年頃の娘としては……。
「想い人が出来たとしても、家の都合一つで知りもしない男に嫁がされなきゃならない、かい?」
「貴族である以上よくある事、と言ってしまえばそう、です」
それが、若さと知識のなさからくる我儘だと言われてしまえばそれまでの事だろう。
しかし、僅かなりともこの若い竜は空を飛ぶ事を知ってしまった。
恋に落ちる事を知ってしまった。
男女の間にある、柔らかく、甘い想いを知ってしまった。
「実のところ、ジンと行為に及んだこと自体や、それにより子供ができたかもしれないという事は、それほどの問題ではないのです」
一瞬何か言いたげになった陣に先手を打って、ニールが続ける。
その口調は、アクイラと話す時の従者の口調へと変わっていた。
「それに、多数のごろつきに凌辱されたからと言って、そっちで妊娠だのなんだのと言った心配はありません、あくまでも、外聞と……心が、傷ついたことが問題なんです」
純潔云々を語るのは、陣と一夜を過ごした時点で意味がない。
様々な理由と機会で、主人と共に表舞台に立つ事の多い「貴族の夫人」が性的に凌辱され、精神的に壊されているのでは、問題しか残らない。
「まして、アクイラ……お嬢様は、明確なほどジンに依存しています……それを悪いとは言いませんが……」
「貴族としては、壊れた宝石に用はない、サね」
陣の視線は完全に無視したマリグナが、なんという事は無い、と言いたげに余計な一言を口にする。
何か言おうと口を開いた陣を受け流すかのように、そのまま彼女は手をひらひらと振りながら立ち去って行った。




