旭日の決着
それはまさに夢から覚める様に、世界が変わる瞬間だった。
放り込まれたナイトメアを追う様に、扉に飛び込んだシエラヴルムと陣は、すぐさまその意識が本来の自分に引き寄せられる。
一瞬、竜の姿がアクイラと被ったように、陣は感じた。
***
アクイラが夢を、まさに叩きつける様に扉に叩き込んでから数秒の間を開けて、そこから逃げ出す様に道化の格好をした、鉄爪の夢魔が姿を現した。
『ナイトメア!!』
『インキュバス!!お前が!お前が手引きを!!』
飛び出し、具現化した剣を薙ぐシャルルの一撃を、ナイトメアは大仰にかわす。
その動きはあまりにも精彩を欠き、自らの影……レティシアの夢の入り口になんとか引っ掛ける事が出来た命綱を断ち切られることになった。
『しまっ……!』
「マナよ、集え、盾となり、壁となり、守護となれ」
まだ消えていない扉めがけて、再度影を打ち込もうとするナイトメアだったが、打ち出した影の悉くがリアラの唱えた守護魔術に弾かれる。
『なっ……そんな若造に私の術が弾かれる筈が……!』
「ナイトメア、女神リアラの名の下に裁きを下します、消えなさい、この世界から!」
リアラに宿ったままの女神「リアラ」がその神力を持ってナイトメアに浄化の神意魔術……いや、この場合神意そのものを叩きつける。
原初の魔術に最も近い、ひどく乱暴で大雑把で、強力であるが故に、防御など考えられないような力の奔流。
ナイトメアはそれに呑まれた、吞み込まれてしまった。
四方から身を裂かれ、八方に引きちぎられるような痛みに、それでもナイトメアは耐えて見せた。
それが本当に良かったかは別問題であるという事に彼が気が付いたのは、反撃しようと目を上げた瞬間だったが。
女神の力によって退魔の光を宿した、ドゥビットの匠精によって鍛えられた巨大な槍斧。
それをエルンの少女が、まるで弓に矢をつがえるかのように番え、狙いを定めている。
放たれたそれは、風の加護を与えられて尋常ではない速さを与えられ……。
ナイトメアはそれから逃れる事はできない。
『なぜ!?何故だ!私は……っ!!私は生きているだけだ!生きる為に食っているだけだ!』
半身を裂かれ、回復もできず。
致命傷を負いながらそれでも活路を求めて諦めない。
諦めるなんて事は一瞬あればできる。
諦めなければ、死の一歩手前だとしても何かが起こって助かるかもしれない、反撃の糸口が手に入るかもしれない。
『そんな事は、判ってる』
『だからこっちも、死なないように、殺されないように戦ったまでの事だぜ』
杖を手にしたアクイラが、リーンヴルムを従えて答える。
反撃もできないからと、殊勝に殺される獲物ばかりではない。ナイトメアは狩猟者として、あまりにも有利過ぎた、優秀過ぎた。
命の危機に瀕した獲物が、死に物狂いで抵抗するなど考えた事もなかったのだ。
誰もが触れ得ない場所から、常に優位に狩りを行っていた者が、狩猟場に叩き落された時。
今彼は初めて、狩る者と狩られる者が、ただ背中合わせの位置関係の違いに過ぎないという事を体感した。
『認め……られるかっ!そんな!そんな事を!!』
夢から切り離されたナイトメアは、最早その力のほぼ全てを振るう事ができない。
唯一残された武器……右腕一本とその先に備えられた爪は、無様に振り回す程度の事しかできず。
「お前に認められようなんて、誰も思ってないよ」
ナイトメアに突き刺さったままの槍斧を、陣が掴む。
退魔の力に白く輝く刃が勢いよく引かれ。中途半端にぶら下がっていたナイトメアの左半身を完全に切り落とした。
響く絶叫を、最早誰も聞いておらず。
陣の薙ぎ払ったブレードが、ナイトメアの残りの胴体を、上下真っ二つに引き裂いた。
『』
断末魔の声はもはや声にならず。
ナイトメアは、旭日の中に塵となって消え去った。
勝利。
力尽きた様に、槍斧を床に置き、壁にもたれて座り込む。
「はは……こりゃ夢か?アルフ……誰も犠牲を払わず、ナイトメアを倒しちまったぞ?」
「夢じゃないさ、もう朝陽は登っているぞ、ギムリット」
何が起こったか判らないが、奇跡の様な事が起こった、という事だけは理解する騎士二人。
「や、やったな!双牙!レティシアさん、助かったんだな!?」
「あぁ、悪夢は、消え去ったよ」
同郷の徒が起こした奇跡の様な勝利に、喜ぶ勇者と、それに苦笑しながら答える青年。
視線の先では、ただ一矢にすべての力を使い果たしたレティシアが、ニールとアクイラに支えられてベッドに戻されている。
立てるかどうかも怪しい状況で、サポートもあったとはいえ陣のハルバードを矢の代わりに番えて打ち出し、しかも命中させるとは……。
「まだまだ、敵わない人はいるなぁ」
ともあれ疲れた、と陣は目を閉じる。
誰かが、傍に居るようだ。
柔らかな、暖かい雰囲気。それが伝わる。
『お疲れ様、ジン』
労う様に頭を撫でる手の感触を最後に、陣の意識は眠りへと落ちていった。
***
それは、夢。
はっきりと、自分で夢だと判る、そんな夢。
夢の中で、彼は冒険者だった。
共に旅をするのは、大きな三角帽子を被り、同じ色のローブを身に纏った、半人半竜の魔導魔術師と
身長を超える杖を持ち、白銀の豊かな髪を揺らす半人半精の精霊魔術師
彼らは、旅の中で様々な困難を乗り越え、絆を深め……。
「まぁ、選べないなら……今は、二人ともでも」
「……いい、よ?うん……がんばる」
待って!ちょっと待ってくれないか!!
そう叫んだ自分の声で、陣は目覚めた。
体が重い、思うように動けない。
すぐ近くで聞こえる、自分とは違う呼吸音。
視線を動かすと、見えるのは亜麻色の髪と、そこから覗く小さな角。
押し付けられるような、大きくて柔らかい感触。
「ニール……リーンヴルム、ウルリックさん……誰でもいいから助けて」
『わり、お嬢怖いから無理。朝まで煩悩と戦っててくれ、お嬢は問題ないかもしれないけど、理性が勝つ事、期待してるぜ。そこまで期待してねーけど』
リーンヴルムの投げやりな応援が、「囁き」として聞こえてきた。