シエラヴルム
体を両断されたナイトメアがどさりと音を立てて倒れる。
そして、陣の見ている前で、斬られた事が嘘であるかのように再生した。
「無駄ですよ、斬ろうが突こうが、消えることは無い。それが悪夢」
「なら、消え去るまで斬るだけだ!」
感情に任せて振り回された刃は、ナイトメアを捉える事は無い。
すんなりと逃げられ、距離を取られる。
「……あぁ、なるほど、こういう事ですか」
ぽつりとつぶやくと、ナイトメアがさらに黒いリーンヴルムを召喚する。
上空からその様は見る事ができているリーンヴルムが歯噛みする。彼とレティシアは、対になる自分たちの相手をするので精一杯だ。
案の定、ナイトメアは黒いリーンヴルムに乗り、ブレスを使って陣を追い込み始める。
エレメントスペルも余程強く願わねば発動すらせず、ナイトメアの支配がさらに強まってきているのがその場の全員に判った。
これでは、ナイトメアを夢から叩き出すどころか……。
「この場を凌ぐのも、難しい……!」
足を止めればブレスで滅多打ちにされる、そうでなくとも、暴風と爆発で足場は相当に悪い。
爆発でできた遮蔽を利用しながら、なにか反撃の方法はないかと考える。
何物にも妨害されない魔導魔術、光の槍が頭をよぎったが、この状況であんなものを使ったらそれこそどうなるか判らない、と却下する。
防壁代わりにしていてた岩塊が吹き飛ばされる。荒く砕かれた岩塊の弾丸をもろに喰らって、陣は数メートル吹っ飛ばされ、更にゴロゴロと崖の方に転がされる。
「いけない……リーンヴルム!」
『無理だ相棒!こっちも手ぇ抜ける相手じゃねぇ!』
リーヴルムとレティシアも余裕はない、自分たちと同じ力を持ち、明確に殺しに来る相手を、無力化しなければならない。
それが不可能ごとに近いのは、容易に想像がつくと思う、仮に相手を殺す方に切り替えたとしても、五分五分だ。
そしてこの戦場において相手を殺す事は決して自身を有利にすることではない。
「あぁ……もうっ!!」
文字通り矢継早に矢を放つレティシアだが、その矢は全てブレスによって打ち払われる。
その戦いを将司が見ていたとしたら「戦闘機の格闘戦」と評しただろう。
互いに相手より早く飛び、相手よりも小さく回り、相手よりも多く射かけ、優位を取って必殺の魔術を叩き込もうとする。
それはまさに、制空戦闘機が戦っている光景に近かった。
空から放たれるブレスを、とにかく走り続ける事で避ける。
以前ならとっくに息が切れている所だが、南街からこっち、徹底的に鍛えているスタミナはまだ持ちそうだ。
ナイトメアの方は焦れてきているのだろうか、狙いが荒くなり、一撃の威力は上がってきている。
「ちょろちょろと……だが、これはどうです!」
竜が吠え、一度高度を取ってから急降下で陣に襲い掛かった。
咄嗟に切り返し、直撃は回避したものの、足の爪に引っ掛けられた。それだけで陣の体はやすやすと吹っ飛ばされる。
その足元には、轟轟と落ちていく水。
「しまっ……!」
思う暇も在らばこそ、陣は最奥へと落ちていく。
『アス・エレメンティア・ウィラ・イムファリア』
不意に辺りに響く「囁き」、それと一緒に、陣の落下速度ががくんと遅くなり……
青緑の翼が、彼を連れ去った。
陣の落下を確認するため、その場にとどまっていたナイトメアは、直ぐに異常に気付く。
夢が支配するこの世界で、風の精霊が動いている。
それも、膨大な、本物の。
次の瞬間、ナイトメアと彼の駆る竜は、強烈な風に吹き飛ばされ、制御を完全に失ってしまう。
そうであっても空から落ちる事無く、体制を立て直したのは流石と言うべきだろう。
それ故に、ナイトメアは悪夢としか思えない光景を目にすることになる。
***
それは、サファイアにも近い蒼にエメラルドの緑を混ぜ込んだような、美しい色の鱗に覆われた、すらりとしたドラゴン。
強い意志を持つ両の瞳がナイトメアを捉え、翼が一度羽ばたくだけで、精霊種の竜とは比べ物にならない風圧が辺りを薙ぎ払う。
羽ばたき一つ、足踏み一つが既に最強の域。
その首の付け根に跨る様に、陣は乗せられていた。
助けられた、それだけは判った。
巨大な頭が陣に向き直り、不思議なほど澄んだ瞳が彼を見る。
傷つき、ズタボロになりながらも、それでも時間を稼ぎ切った、戦士。
「判っている」と言わんばかりに竜は頷き……。
咆哮を上げた。
『ありがとう、あなたがここに居ると教えてくれたから、門を開くことができた』
陣の頭の中に聞こえる「囁き」、リーンヴルムのものとは違う、優しい雰囲気のそれは、目の前の竜が語り掛けているものだと、陣はなんとなく察した。
『私は……シエラヴルム』
「力を、貸してくれるかい?……アイツを、ここから追い出したい」
『おやすい、ごよう』
シエラヴルムが羽ばたく。それだけで巻き起こされた暴風は、リーンヴルムとレティシアを傷つける事無く、ナイトメアとその騎竜のみをより上へと押しやる。
そう、「上」へ
つまり、より夢の浅い層へ。
逃れようと足掻くナイトメアを、シエラヴルムの爪が捉える。
ナイトメアがどれほど足掻こうと、逃れる術がない。
圧倒的にして単純な「質量と面積」の差。
どんな小細工すら意味をなさない「力」の差。
使役者から離れ、力を失った竜が砕け散り、消える。
シエラヴルムはより力強く羽ばたき、夢と現実の境界へたどり着く。
そこに開かれているのは、巨大な魔力の渦。これまでに何度も見てきた扉。
そこから、膨大な光が流れ込んでいるのが見える。
光に当てられ苦しむナイトメアを、シエラヴルムがその光の原典、扉の中へと放り投げた。