対になるもの
『皆さん、聞こえますか?ジンさんがナイトメアと接触しました』
不意に響いた「囁き」に、その場の全員がはっとした表情になる。
『シャルル、さっきからジンくんの生命力が減ってきてるのはそのせい?』
『っ……時間がかかりすぎたか……はい、ジンさんの生命の精霊の一部が、レティシアさんのそれに置き換えられようとしています』
アクイラとニールが顔を見合わせる。
それが本当なら、時間の余裕などないのではないか?そんな疑念がよぎった。
『私は夢から落ちたジンさんを追って、今、本来は心の最奥にある「原風景」の端に居ます、ここは分厚い壁の様に守られていて……突破するか抜け道を見つけないと……』
『おい夢公、今坊主はレティシアと心の……それも奥底に居るって事か?』
割り込んできたリーンヴルムの「囁き」に、アクイラが顔をしかめる。
『正確には表層ぎりぎりまで浮かんできた奴の中に、です』
『それはいいさ、何が見える』
『森、それと巨大な白樺、誰も居ない集落です』
一瞬の瞑目、直ぐにリーンヴルムがにやりと笑う。
『なら、行けるな……夢公、原風景は心の表層……夢の深層まで浮かんできてるんだな?』
『そうです、しかしいつまでここにあるか……』
『十分さ、ヒュムネが目覚めるまでは、まだまだ時間がかかる時間だ』
一瞬の間を置いて、リーンヴルムは次のように言った。
『夢公、そこにレティシアの中の俺がいるだろう、そこに俺を送れ』
***
ナイトメアの召喚したレティシアに異変が現れた。
白い肌は徐々に黒く染まり、美しく輝く銀の瞳もまた、漆黒へと変わっていく。
「これは……!?」
『同じ姿では、区別も付きづらいでしょう?』
ナイトメアがさも可笑しくて堪らないと言わんばかりの声で言う。
その間にも、その姿は変わっていた。
傭兵や旅人に多く見られる運動の邪魔にならない服装は、エルンの民族衣装の様なふわりとしたワンピースに変わり、手にした弓は大きく成長し、彼女の身長を優に超える、いくつもの蔦が絡まり合って出来上がったような大弓へと変化する。
『』
弓を引き、何かを口にする。
あれは、「囁き」?と陣が当たりを付けるよりも早く、大弓から矢が放たれる。
飛翔の途中、それは炎に包まれ、炎の矢となって陣とレティシアに襲い掛かった。
迎撃しようと薙ぎ払いの構えを取る陣の視界に被さる、「薙ぎ払われた後、炎の波となって襲い掛かってくる矢」のイメージ。
咄嗟に直撃を避ける動きに切り替え、レティシアは呼び出した水の壁で炎の矢を相殺する。
「……エレメントスペル」
「ほう、一矢で気づかれましたか?一度くらいは直撃を受けてくれる、と思ったのですけどね」
『そりゃそうだ、そいつぁそれをしてくれるモンを持ってるからな』
不意に響く「囁き」と同時に、リーンヴルムの存在が入れ替わった。
見た目には何も変わらず、陣にも「そう」としか言い表せない変化。
『よぅ、相棒、なんかちょっと見ねー間に魔術師然となってんな』
「苦手でもこっちでやるしかなかったのよ、リーンヴルム」
レティシアの姿が変わる。魔術師然としたローブ姿から、動きやすい格好に弓を携えたいつもの姿へ。
腰までの銀髪が大きく波打ち、澄んだ銀の瞳がナイトメアを見据える。
「リーンヴルム!」
『応!』
ふわりと跳ねて、レティシアがリーンヴルムに跨る。間髪入れずに飛び上がるリーンヴルムが、後方上空へ下がりながら、風の弾丸とも言えるような「息」を叩きつける。
それらは、レティシアの放つ矢の軌道を妨害する事無く、自身に向けて放たれる矢を悉く撃ち落としていく。
文字通り驟雨のごとく降り注ぐ竜の息と矢嵐、黒レティシアに迎撃をさせると、ナイトメアは陣に狙いを定める。
竜に乗った竜使いとまともに戦う気はないという、正しい判断と言えた。
事実、リーンヴルムとレティシアの連携は、まさに竜騎一体と呼ぶにふさわしい物であり、姑息な手を使えば強いが、直接的な戦闘では弱いナイトメアに相手ができる存在ではない。
が、相手が陣であれば話は別だ。
今のナイトメアでも十分に勝機が見いだせる相手であり、倒せば、レティシアの動揺を狙える相手でもあった。
音もなく陣に急接近し、爪を突き出す。
陣がそれをダッキングすると、振り回した腕の勢いに逆らわずに回し蹴り。
これも回避され、反撃とばかりに振り回されたハルバードの穂先を大きく後ろに撥ねる事で避ける。
連続で突き出される穂先を、爪で弾いて回避し、互いの足が止まった事で状況は振出しに戻った。
リーンヴルムとレティシアの攻撃の圧に押され、黒レティシアが大きく後方へと下がる。
『お嬢!夢公!扉開けろ!!』
隙を見逃さず、リーンヴルムが「囁き」を飛ばす
次の瞬間、空に大きな穴が開き、そこから莫大な光が降り注いだ。
***
『お嬢!夢公!扉開けろ!!』
「囁き」で怒鳴るという良く判らない事をやってのけたリーンヴルムの声が響く。
「シャルル、お願い」
『判りました、夢の制御は、託します』
シャルルが壁に手を付き、原風景を覆う壁をこじ開ける。
強固に守られているはずのそれが、夢まで浮かんできたからこそできる力技だが、それでもそれを行う為にはシャルルが他の全てを顧みずに集中する必要があった。
開いた扉に流れ込む膨大な夢という魔力。
それを制御するアクイラにも、余裕はない。
だったら、とアクイラは咄嗟に制御の方法を変える。
***
「っ……侮りましたか」
思わぬ苦戦に、ナイトメアがつぶやく。
すぐさま夢を操り、深層からそれを呼び出す。
不意に湧き出した気配に、陣達は動きを止めた。
視線の先に現れるのは、漆黒の羽を持つリーンヴルム
『影竜か……気を付けろ、坊主、ありゃ見た目以外は俺そのものだ』
漆黒のリーンヴルムに、黒レティシアが乗る。
戦力はこれで五分と五分。リーンヴルムが影竜と闘う為に高く昇り、陣がナイトメアを睨みつけて低く構えを取る。
『無駄ですよ、あなた如きに私は倒せない。傷つける事も不可能でしょう』
「……」
陣は答えない、構えを解かず、じっとナイトメアの出方を見る。
『ここで延々とにらみ合いを続ければ、有利は私の方にある。どうです?諦めて逃げ帰られては?』
陣が跳ねる、ナイトメアの内懐に飛び込み、剣の様に長い穂先を袈裟懸けに振り下ろす。
それは確実に、ナイトメアの体を両断した。