そのころ
夢の中で、陣が歩を進めている頃……。
眠ったままの陣の体を見守り、アクイラが座っていた。
一見するとうたた寝をしているように見えるが、実のところ、現在の彼女は瞑目し、魔力の流れを感じ取るのに集中している。
時折リズムを取るかのように軽く杖が動き、そういう時に彼女の竜である証……腕や太腿の鱗がぼんやりと光っていたりする。
「どう?」
「……まだ、無事、だよ」
様子を見に来たニールの問いかけに、言葉少なに答える。
「でさ、何か感じる?」
「大きな動きは、ない、よ」
「いやそっちも重要だけどそっちじゃなくて」
言いながら、ニールには珍しく少しだけ言い辛そうな表情を浮かべる。
「その……調和の魔女が出会う時は……」
「世界が変わる時、けれど、今がそうとは言い切れない、よ?」
調和を保つ魔女、彼女らが出会う時……それは、世界に巨大な変革が訪れる時。
ヒュムネの間では失われ、亜人達の間に生き残っている、伝承の一遍。
それが指し示すのが、世界の破滅か、それとも再建か……それは誰にもわからないまま、ただ伝えられ続けてきた。
これまでにも、調和の魔女が同じ旅をするという事はあったはずだ。
そしてその度に、何かが変わっていたのだろう。
あるいは、世界が変わった結果、調和の魔女も変わる必要があったのだろうか。
胸の内のわずかな疑問を、アクイラが口に出すことは無かった。
***
「なぁ、ギムリット」
「どうした、アルフ」
帝国の騎士二人が、建物前に歩哨の様に立って話す。直立不動で、真っ直ぐ前を向いたまま。
「あの女神様、本物だと思うか?」
「信徒としては、そうだろうとしか言えないぞ」
アルフの言葉に、呆れを隠そうともしないギムリット。
判り切った疑問で話しかけてくるときは、この友人が頭の中を整理しながら話している時だと知っているので、彼もどちらかというと相槌であるように意識する。
「あの神官が、自分を女神かその化身だと思い込んでいる可能性は……」
「神官リアラは敬虔過ぎる信徒ではあるが、同時に女神様を絶対的に崇拝している……いや、正確には女神教の教義を、だな」
教義が変われば、一瞬前の白でも黒というタイプだ、と付け加える。
「だが……狂信者が状況に合わせて教義を鞍替えした所を、俺は見た事がない」
「おいアルフ、狂信者ってお前……」
友人の口から飛び出した言葉に、ギムリットは思わず友人の方を見る。
「なぁ、ギムリット」
それを知ってか知らずか、アルフは正面を向いたまま……
「俺は、あの女神が口にした、今の女神教の教義は本来の物から違っているという言葉は、真実だと思う」
「……」
ギムリットは、己の友人の言っていることが判らない。
それでも、奴がそんな事を公言するはずがない、とその言葉の先を聞くことにした。
「俺は子供の頃……一度だけだが、女神教の教義の原本と呼ばれるものを読んだことがある」
「なに!?」
ギムリットの口を声が突いた。
女神教の教義の原典、それは長い時代の中で遺失したはずのものだ。
「なぁ、そりゃ……どういう事だ、アルフ」
「そのままの意味さ、教会では遺失したとされている、女神教の教義の原典、それを見た事がある」
今度こそ、ギムリットは絶句した。
何か言おうとして二の句が続かない。
先を促されている、そう考えたのか、アルフは言葉をつづけた。
「今でもはっきりと覚えているよ……亜人や、エルムは異質な異端であり排除すべきである、などとはどこにも書いていなかった」
「ま、待ってくれ!それじゃあ女神教の教義は!」
「勿論、時代に合わせて変わってきた所もあるだろう……ただ……亜人やエルムの迫害、奴隷化を推奨するために書き換えた、と言われれば頷けるところもある」
ギムリットはそれほど敬虔な信徒ではないと言える。
しかし、アルフの言葉はそのギムリットを持ってしてやはり急には受け入れがたいものだ。
「……お前の事だから嘘は言っていないんだろうが、証拠がない、その原典を見て見ない事には……」
「今は、もうない」
「なに?」
ギムリットの返答に一つ頷いて、アルフが続ける。
「亜人の迫害が一層に強くなった頃……原典があった教会は、焼き捨てられた。表向き山賊に襲われて、となっているが……」
「……赤狗か」
「おそらくそうだろう、と俺は睨んでいる」
お手上げ、とばかりに両手を上げると、ギムリットは頭を振った。
「それで、どうしたいんだ?少なくとも、俺はどうにもできんぞ」
「何かしたい訳じゃない、ただ、言わなきゃならないと思ったんだ……少なくとも、原典には今の教会、あるいは帝国にとってなんらかの不利益になる教えが記されていた、そう考えれば……」
「そいつは……あくまで、予測に過ぎないだろう?」
一拍あけて、かすれるような声で答えたギムリットは、己の喉が異様に乾いている事に今更気づいた。
「……そうだな、あくまでも、予測と予想さ」
いつもの調子で肩をすくめる帝国の紅旗。
彼には、親友が何かを取り繕っているように映った。
***
宿の中庭。
そこでウルリックが一人座り込み、瞑目していた。
「あ、えぇと……ウルリック、さん?」
「ん?……あぁ、確かジンと同じ世界から来たっていう、勇者くんか」
「マサシです、マサシ・トウノ」
一礼する将司に、ウルリックが「そんな畏まらなくていいさ」と苦笑する。
「神官リアラは、落ち着いたのか?」
「はい、今はユーリル……レンジャーの女性と話をしてます」
「そうか、難しい年頃の女の子相手に、お前さんも大変だな」
はは……と苦笑する将司の様子に、ウルリックは目を細める。
「……その、リアラとはどんな?」
「ん?あぁ、あの子が教会に来たばかりの頃、色々と教えた事がある」
女の子だし、神官戦士でも無かったから教える事はそう多くなかったけどな、と加えた所で、もの言いたげな将司の表情に気づくと「どうした?」と水を向けた。
「いえ、お知り合いだったようなので、気になって」
「あぁ……ま、あの子からしたら、今の俺ぁ、堕落した様に見えるんだろうな」
当時、戦傷が元で戦闘を行うことができず、新米の教官として動いていた頃を思い出す。
確かにあの頃は、教義は絶対だとして、新米たちに教えていた。
しかしその時、既に自分の中でわずかな疑問があったのも確かだ。
ノア・エンペリオ教会の襲撃に駆り出され、守るべき教会に火を着ける事になった時、疑念は確信へと変わった。
逃げようとする修道女や牧師を守る為に、同じ赤狗達に立ち向かい……教会は焼け落ちたが、何人かの教会関係者は生きながらえらせる事ができた。
その後の尋問は、事の最初から結果が判っていただけに滑稽としか映らなかった。
不名誉印を与えられ、教会を放逐されてから、陣と出会うまで……その間の旅で知った事は……
「神官リアラが落ち着いていたら、伝えてくれ……教えは守るべきものだが、妄信するものではない、何が善かは、聖書だけで知る事は出来ない」
「……また、怒りそうですね」
将司の言葉に、確かにな、とウルリックが苦笑する。
ただ、ウルリックは、今それだけはどうしてもかつての教え子たちに伝えなければ、と思っていた。
リアラと同じくらい、教会の教えに盲目的な、堅物の後輩も、それに含まれている。