夢の中の少女
誰もが、夢の中まで己を隠そうとはしない。
夢に住まう者にとって、それは当然のことだ。
夢の中では、心の内側では、外向けの意識を維持し続けている者はそういない。
特に、誰かを、何かを想う心は強く強く、現れる。
「さて、どう動きますかね」
既に夢の領域把握は済んでいる。ナイトメアを捉える事は出来ない。
……今は、まだ。
***
これは夢。
そんな事は判っている。
だから、この流れ出る血も、燃え盛る炎も、全て夢。
判っている。
……本当に?
……。
***
燃える森の中を、陣が進む。
多くのエルンが焼かれ、捕らえられ、殺される。
これは夢、最早手出しのしようもない過去の出来事。
そう判っていても、陣の握る手には力がこもる。
エルン達は老いも若きも人買いの集団に挑み、戦い……そして誰もが勝てなかった。
皆誇り高く勇敢な守り手であるが故に、卑劣な罠に、人質を使った姦計に、抗いきる事ができなかったのだ。
陣が進む夢は少なくとも、レティシアがそう信じているからこそ、それが真実として記憶されていた。
事実は、老人たちの自業自得であり、他の者たちはそれに巻き込まれただけだったとしても、レティシアがそれを知る術は無い以上、伝え聞いた話のみが、彼女の中での真実となってしまっている。
無論、陣もそれは知らない。
「何があったとしても表面だけで捉えるな、か……」
呟く陣の言葉を聞くものは誰も居ない。
不意に、陣の背筋を「嫌な予感」が走った。
咄嗟に飛び退いた地面に突き刺さる、幾本もの矢。
こちらを狙い、弓を構えるエルン達と、こちらに向かって走りながら、剣を抜こうとするヒュムネ達。
どうあってもこれは夢の1シーンという訳ではないだろう。
となれば
『ジンさん、ナイトメアの末端です』
「どうすれば?」
混乱していられるような余裕のある状況ではない、とりあえず対応を訪ねながら、放たれた矢を避ける。
『あれらは言わば使い魔のような物、叩き潰せば問題ありません』
シャルルの言葉に頷くが、陣はまだ自分が丸腰だという事を思い出した。
さてどうしたものか、と考えるが、いい考えなどそう直ぐに浮かぶはずもない。
『落ち着いてください、ここはレティシアさんの夢でありますが、同時にあなたの夢でもあります』
続くシャルルの言葉に背を押されるように、陣は自分の手の中に武器があると信じる。
次の瞬間、目の前に迫ったごろつき風の男を、陣の手にするハルバードが一撃のもとに切り捨てた。
「なーるほど、こういう事か」
血は流れず、文字通り霧散するごろつきの姿に小さくつぶやく。
息つく暇もなく放たれる矢をかわすため、前へと飛び込むように前転、両足が地面についたとき、目の前にはまさに次の矢を構えようとするエルンの弓手。
「ふっ!!」
躊躇はしない、ただ正面の敵を貫く。
最短の距離を走る刃が、弓手の胸を貫く。霧散する弓手の表情はない。
薙ぎ払う刃に引き裂かれ、それらは一挙に姿を消した。
「……悪夢、とはよく言ったもの、かな」
姿を消した「敵」が再び何処からともなく現れる、倍以上の数を持って。
『気を付けてください、夢の中とて、傷を受け続ければ死ぬのは変わりません』
「……リアルな夢なんて嫌いだ」
シャルルの言葉に陣は少し辟易した表情を浮かべ……状況の不利をどうするか、と考える。
放たれる矢が文字通り矢の雨を作り出している現状、遮蔽物から顔一つ出す事はできない。
その辺りの木の棒に落ちていた兜を乗せて、軽く遮蔽から出してみるだけで、凄まじい速さと鋭さを持った矢が、それを吹き飛ばした。
「うへぇ……」
先ほどから矢ばかりで、魔術が飛んでこないのは何か理由があるのだろうか。
兜を失った枝を放り投げて、ふとそれを思い立つ。
エルンの森で、エレメントスペルの使い手が居ない訳がない。
温存しているのか、それとも……
考えあぐねていると、視界の端を小さな影が走った。
長い尾のようにたなびく銀、それが銀糸のように細い髪だと気づくのに、陣は数瞬の時間を要した。
精霊たちが彼女に集まる、それはどちらかというと寄り添い、共に一方向に力を向けているようにも見え……
「ウィンディア、お願い」
鈴が鳴るような声で呟く、恐らくそれが彼女の詠唱
放たれたのは、暴風の砲弾、と表現するのが一番近いだろうか。
「敵」のど真ん中に着弾すると、猛烈な暴風が竜巻のように吹き上がり、周囲一帯を飲み込んだ。
あとに残るのは、強烈な破壊の跡。その前に立つ、「幼い」と言える見た目の女の子。
「……大丈夫?」
振り向くと、レティシアの面影を持つ女の子が、囁くように尋ねた。
***
女の子の案内を受けて、陣は夢の扉へと歩を進める。
夢によって作られた人物が、ここが夢だと把握していることは少ない。にも拘わらず、女の子はここを夢だと知っていて、夢の扉の存在も理解していた。
「ねぇ、君は……」
黙々と歩を進める彼女に、陣は何気なく声をかける。
「私は……レティシア」
足を止め、くるり、と振り返って陣に向き直ると、彼女はそういった。
「レティシア・アーセニック……お姉ちゃんを、探してる」
「お姉さんを?」
うん、と一つ頷き続ける。
「双子の、お姉ちゃん……エルネット・アーセニック」
大きな、真っ直ぐな瞳が、陣を捉えた。
「それって……」
「……そこだよ、夢の扉」
すっと杖を向けると、その先にテレビが浮かび上がった。
「隠されてた、けど、隠し方が雑」
半分呆れたように、口の中で何事か続けていた。
陣はそれをうまく聞き取れなかったが「さすがわたし」と続けていたようだ。
「……故郷を離れてから……」
誰に言うでもなく、レティシアがつぶやく。
「私は、魔術は好きじゃなくなった……私にとって、魔術はお姉ちゃんのとても綺麗なエレメントスペルの事だから」
話しながら、慣れた手つきでテレビの電源を入れる。
「だから、弓を鍛えたの……魔術は、どうしても思い出してしまうから」
彼女が何なのか、陣はまだ判らずにいた。