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レティシアの見たもの


 それは不思議な光景だった。

 見た事も聞いたこともないものなのに、レティシアはそれが何かわかった。

 道を歩く、レティシアが見てきたどんな大きな町の自由市での人ごみよりも多くの人々。

 その人たちが着る見た事もないような服、手に持つ板のような物、道の幅広い部分を走る巨大な何か。

 見た事も聞いたこともなく、名前も判らないのに、レティシアはそれが何かを判っていた。


 キラキラと輝く巨大な四角いもの、それが建物だという事も考えるまでもなく判っていたし、雑踏に混じる様々な音も、概ねそれがなにかも判らなかったが判っていた。


 空高くそれが飛ぶ。鳥でも竜でもない、空を飛ぶもの。

 それを見た時、レティシアの意識はそこにとんだ。


***


 それを見た時、手の力が無くなったのは判った。


 持っていただけの鞄は、重力に従って素直に床に落ちた。


 淡々とテレビから流される情報と、理解を拒否する脳。


 そして変わらない現実。


 両親の乗っていた旅客機が、太平洋上で消息不明。


 到着予定時刻を過ぎても機体はホノルル国際空港に現れず、航路上の海域に残骸などは発見されず。


 乗員乗客全員の安否は一切不明。


 淡々と流れるニュース速報が、彼の耳朶を掠めて流れていった。


 その後少しの間に起こった事は、よく覚えていない。


 どこからか乗客の家族であるという事を聞きつけてハイエナのように集まってきたマスコミの記者の犯罪に腰まで浸った「取材」を無視し。


 ニュースの流れた後、心配して部屋の扉を叩いていたのは、多分幼馴染だろう。


 部屋から出ないでいると、その内に気配はなくなった。


 学校での、こちらの目と耳をはばかるようなひそひそとした会話は気になる程では無かった。


 寧ろ気になる事があるならはっきり言え、と言ったら相手の方にとても微妙な顔をされた。


 そう、それを乗り越えられる事を彼は知っている。


 直ぐに乗り越える事は出来ないが、時間による意識の風化はそれを容易くしてくれると知っているから。


***


 怒り、悲しみ、諦観、苦痛、憎悪……レティシアは彼の目を通してみながら、彼が壊れていくのを感じ取る。

 そして同時に判っている。


 これは夢。


 これは過去。


 これはどれだけ足掻こうと変えようのないもの。


 レティシアの夢であって、レティシアのものではない。


 今も、彼女の為に危険を冒す、彼の心の片鱗、その欠片。


 その事故が起こってから、彼は他の人間との付き合い方を変えた。


 レティシアは、凍り付いていく心を見ている事しかできなかった。


 それに気づいた彼の幼馴染の少女が、身を委ねる覚悟を持ってでも、彼を留めようとしたが、結局の所それはただ空振りに終わった。


 生きたまま凍った心は、いずれ死ぬ。


 その体は、死んでいない、動けているだけのものに過ぎない。


 そしてレティシアは判っていた。


 「彼ら」に「この世界の人々」にそれを救い、癒す事はできない。


 それを知る術すらないのだから。


「そっか……」


 夢の中。


 暗闇の中、宙に漂うエルンの少女はうっすらと目を開く。


「君は死に場所を求めた……けど、最後に残った熱が、生きる事を望んだ」


 少女は彼女と対になるように浮かぶ彼の姿を幻視する。


 その胸の奥に燻る火は、残されていた。


 夢で見た、彼が己の首にナイフを突き立てる光景。


 その痛みを上回る「歓喜」を彼女は恐怖と共に感じ。


 病院で、自らが助かってしまった事に絶望する彼の心を、凍り付き、死んだ心に確かに触れた。


「……同じ、だね」


 それに何の意味もない事は判っている。


 彼女は意識の中でだけ、彼に手を伸ばし、その冷え切った魂を抱きしめた。


***


 皮肉にも、彼の冷え切り死んだ心を僅かなりとも緩めたのは、二人のエルムだった。


 一人は、レティシアが憎んでも憎み切れぬ姉。


 もう一人は、色街で男相手に春をひさぐ少女。


 寄り添う想いと、触れ合う情が、永久凍土上の氷河もかくや、とばかりの氷にヒビを入れた。


 恋、というには弱いだろう。


 愛、というには歪んでいるだろう。


 それでも、凍り付いてしまったがために、育つことなく死を待つのみだった若木は、ぬくもりと、日の光のような優しさを感じた。


 そして恋は、日の光の優しさは唐突に奪われた。


 それがどのような影響を与えていくのか、それはレティシアにも判らなかった。


 ただ、判るのは……


「こいつ……殴りたい……!」


 何気に裸まで見られていたというのに、自分の事を掠る程度にしか覚えていなかった事。


 まぁ状況が状況だったししかたないけど!と力技で自分を納得させる。


 それに裸だったのは御相子だ。見たし。


***


 わずかな。


 ほんの僅かな動きが、少女の表情にあった。

 夢魔はそれに気づきこそしたが、そう大したことではないと気に留めなかった。

 夢につられて体が動くというのはごく普通の事だ、一々気にしていては埒が明かない。


 それよりも入り込んできた異物だ、と夢魔はそちらに集中する。

 ただの人間が力技で魂を分けて夢に入り込み、無事で済むわけがない。

 手引きした者、夢に関わる何かが関わっている。


「……」


 少しの間、道化の仮面は考える。

 しかし、久方に手に入れた極上の獲物を手放す気は初めから無かった。


「さて、どうしますか」


 思考の海に沈んでいく道化は、やはり気づくことは無かった。

 少女が、眠りから覚める前触れのように、わずかに指先を動かしたことに。

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