現は夢に
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アーセニック家は、彼女の育った「森」の中で、ヒュムネの町との交渉役を務める家だった。
多くのエルンが、一生涯を己の生まれた森で過ごす中で、外との交渉を掌る家だ。
そんな家で、一人の娘が生まれた。
銀髪で耳の長い、エルン
夫婦は、待ち望んだ娘の誕生を、心から喜んだ。
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レティシアは夢を見ている。
それは、そうであって欲しかったという彼女の願い。
現実からの純粋な逃走。
「それで、良いのですよ……さぁ、より深くお眠りなさい……」
道化の仮面を被った魔が、笑みを浮かべた。
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「さて、とりあえず……レティシアの夢とジンくんの夢が重なってる所、調べないとね」
アクイラが陣の部屋……まぁ夢だからイメージなのだが。とにかく部屋の中をごそごそと探る。
年頃の女の子に部屋を探られるのは変な気分だが、陣とエルも夢の重なり部分を探して色々探っているので気分的にそれどころでは無かった。
「シャルルさん、何か指標とか、そういうモノは無いですか?」
『多くの場合、夢のつながりは手紙や魔術通信で使う水晶の形を取っていることが多いのですが……すみません、なにせ訳の分からないものが多く……』
「……いえ、方向性は掴めました」
とりあえず、カバンからスマホを取り出して待ち受けを開いてみる。しかして現れたのはただの待ち受け画面。
はずれか、とスマホをカバンに戻し、今度はテレビをつけてみる。
はたして、テレビに映像は映らず、代わりに魔力が集まったかのような渦が映し出される。
「やっぱり」
口の中で呟く。メールかテレビだと思ってたけど、こっちだったか、と。
エルとアクイラが、真剣に魔力の渦をのぞき込み、同時に陣を振り返る。
『見つかりましたね、それが扉です』
シャルルのささやきが聞こえる。
「ジンくん、私たちは、一緒に行けない。あくまでも、ジンくんの夢の従属物だから」
「ジン……危なくなる前に、帰ってきてね」
エルが右の頬に、アクイラが左の頬に軽く触れるようなキスをする。
「これは、夢」
「だから、ちょっとだけ、大胆……頑張って」
照れたような二人に見送られ、陣は渦を巻くテレビ画面に飛び込んだ。
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森は、喜びにあふれていた。
今年生まれた子供たちが、エルダーバーチの祝福を受けるその日だからだ。
この日生まれた精霊たちと、子供たちは共に生きていく。
生まれたばかりの小さな手が、祝福するような光に伸ばされる。
小さな光と、小さな命の間に盟約が結ばれた。
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陣は森の、正確には森に混じるように作られた村の中を探る。
「それでシャルル、扉の位置は?」
『少し待ってください、今、ジンさんでも判るように夢の一部に干渉しました』
辺りを見回す。
はたして、集落の中心らしい柱の上に、陣の見知ったテレビが置いてあった。
「判りやすいけど、シュールだなぁ」
『先ほどジンさんが扉を発見した時に、扉はあの形、と記憶していましたから』
言いながら、トーテムに手をかける。
上るのには、さして苦労しなさそうだ。
彼女は、それを見ていた。
陣は、それに気づかない。
「よし……」
トーテムの上にたどり着いた陣がテレビの電源を入れると、魔力渦が現れた。
躊躇いなく、それをくぐる。
『ここから、レティシアさんの夢です、気を付けて』
シャルルの言葉に、ひとつ頷いた。
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その赤子の前に、すっと音もなく竜が降り立った。
純白の羽毛に覆われ、一見するとウィレオの様に見える、美しくも巨大な竜。
竜鳥……鳥のような羽毛を持つ、竜。
それは惑う事無くレティシアの元へ向かうと、小さな光を、一つ彼女に落とした。
その光から、小さな体と、純白の翼を持つ竜の子供が飛び出した。
小さな竜を見た赤子のレティシアは、とても可愛らしい笑みを浮かべていた。
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『レティシアさんの夢に入りました……ここからは、ナイトメアもこちらに手を出してくるでしょう、気を付けて』
「判りました、ところで、扉を閉じるにはどうすれば?」
『それを消す事ができれば、それで閉じます』
「了解」
テレビの電源を切ると、画面に映っていた魔力の渦が消えていった。
「これで、簡単に後戻りできなくなったわけだ」
誰ともなしに呟くと、自分の姿が、部屋着から戦闘用の装備に変わっている事に気づいた。
飲めや歌えと喜ぶエルン達から少し離れた物陰を進み、音を忍ばせて歩きながら、目的の扉を探す。
ふと、路地裏に籐を編んだ小さな揺り籠が落ちているのに気が付いた。
人目をはばかる様に、打ち捨てられた小さな揺り籠。
ふと、陣がそれをのぞき込む。
果たしてその中には、白銀の髪と、左右違いの目をした、中途半端に長い耳の赤子が。
喉を切られて、死んでいた。
『ジンさん、これは夢です。夢というのはその人の願望が強く出る傾向があります』
「これが……レティシアさんの願望……?」
『はい、ですが、これは一面でしかありません、赤ん坊にネズミが纏わりついているでしょう?』
確かに、エルと思われる死体には、何匹かのネズミが、傷口の上に纏わりついていた。
『それはケナシネズミと言いまして、ある程度年をとったらまた若返っていくという不思議なネズミなんです、おおよその夢では「再生」や「復活」の象徴とされてます』
「よくよく、そういった裏がある、って事ですか」
ついでに言うなら、現実的な物理法則なんかも無視されてくるかもしれない。空を飛ぶ夢とか、よくある事だから。
自分でそう思いながら、陣はことの大変さを今更ながら理解してきた気がした。
『……この辺りは、まだただの夢です、奥へ進みましょう』
「わかりました、」
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昏い夢の中で、道化が薄ら笑う。
歪に口元を歪め、瞳だけは全く笑わずに薄ら笑う。
「おやおや、夢を渡ってくるとは、こちらが思う以上に早く、恐ろしい」
楽し気に言いながら、さらに口元を歪めて呟く。
攻め込まれた以上は守らなければなりませんな、と口の中で呟いて。道化は手を振るった。
夢が性質を変える、道化の望むままに。
侵入者に気づかれないように、わずかに、確実に。
「そちらが襲ってこなければ、私もこうする必要はないのですよ?」
誰も居ない場所に、道化がぽつりと呟いた。
「私はただ、何事も荒立てず静かに生きて居たいだけだというのに……」
その口調には苦悩と気だるさ、その表情には悲しみと苛立ちが浮かんでいた。
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祭りにざわめく村の中の、一番大きな建物にある女の子の部屋らしき所に、果たしてそれはあった。
ファンタジックな小物や装飾に彩られた部屋にちょこんと置かれた、液晶テレビ。
違和感は半端なかったが判りやすいのはいい事だ、と思い直すと、陣はテレビのスイッチを入れた。
--ホノルル沖で旅客機の一部を発見
--事故調査委員会を設置
--乗員乗客327名絶望的か
そんな報道の音が陣の耳と頭を貫く。
「……無駄だよ、そこは、もう通り過ぎた所だ」
呟くと、音は消え……魔力の渦がテレビ画面に映っていた。




