夢魔?淫魔?
それはかつて、夢渡と呼ばれていた。
人の夢を渡り、その夢をその人の望むとおりに少しだけ変え、喜び、楽しむ気持ちから漏れた力を吸い上げていた、ただの夢の付属物。
その内に、それはいくつかの種族に分かれた。
男の精を好み、淫らな夢を見せる事でその精を奪う、サッキュバス
女の精を好み、女に夢魔の仔を産ませる、インキュバス
男女問わず、夢に巣食い、夢を媒体として心を喰らう ナイトメア
かつて夢渡と呼ばれたそれらは、それぞれの夢魔となり、その数を減らしていく事になる。
「つまり、なんだ?ナイトメアを倒すのに、同じナイトメアの力を借りようってのか?」
『サッキュバスはともかく、ナイトメアと同じに考えられるのは心外です』
ギムリットの言葉に答え、不意に聞こえた精霊のささやきにウルリック以外の全員が警戒する。
「あー、ちゃんと注意してから喋らせるから、待ってろって言ったろ」
『すみません、しかしあれと一緒にされるのは我々としては少々看過できぬのです』
空中に、浮かび上がる様に少年の姿が現れた。流れる様な金髪に、あどけなさを感じさせながらもどこか挑戦的なものを感じさせる大きな青い瞳。
身に纏う貴族服は上質な絹でできているような質感をしていた。
『初めまして、皆さま、私は夢渡、その末裔……シャルルと申します、お見知りおきを』
深く一礼し、笑顔を向ける。
それは、夢に入り込み、女を惑わす魔とは思えないほど、可愛らしいものだった。
***
「……まさか話に登った途端に本物が出てくるとは思ってなかったけど……ジン・ソウガです。よろしく」
『いえ、まさか普通に挨拶されるとは、ちょっと予想外でした。よろしく』
握手をしようと手を伸ばしてくるシャルルに、陣も素直に手を伸ばし……
すか、とその手が空を切った。
「……え?」
『ご理解いただけましたか?これが夢渡であり、夢魔です』
「……体が、マナだけで構成されてる……これなら、夢を渡るってのも、理解」
興味を持ったらしいアクイラがなんらかの魔術で、シャルルを調べていたようだ。
『そりゃあそうだ、そいつらも元は夢の精霊、だぜ?』
リーンヴルムが羽をばたつかせてテーブルに降りてくる。
『まず夢の精霊があり、その中の一部が夢から夢へ渡り歩くようになった、だから夢渡さ』
「そっか、精霊ならマナだけで作り出されていておかしくないし、夢を移動するならそっちの方が楽よね」
ユーリルが得心が行ったように頷き、アルフが天井を仰いで眉間を押さえている。
「……ここにいる何時間かで、世界に対する認識を壊されまくっている気がするよ、ギムリット」
「いうな、アルフ……俺もだ」
現実に置いてきぼりにされかけている騎士二人。
『皆さまの事情はウルリックさんから聞いております、普段なら人に直接のかかわりはしないのですが、ナイトメアが関わっているならば、話は別です』
「協力してくれるのは良いけど……ナイトメアとは、随分仲悪いのね?」
ニールの疑問に、シャルルは一つ大きく頷く。
『当然です、我々夢魔は人の夢とそこから漏れる精気なくして生きては行けない。人を殺すほどに奪うナイトメアとは基本敵対関係にあります』
「まぁ、教会がインキュバスサッキュバス纏めて嫌ってるのは、単に宗教上の問題だからな……実際、淫魔の夢で死んだ奴ぁいねぇし、インキュバスが女に夢魔の仔を孕ませるっつったって、大体は偽妊娠って奴だ」
ウルリックが自身の経験から、シャルルの言を補佐する。
「大体は、って事はホントに妊娠した例もあるの?」
「あぁ、9割方どっかのお偉いさんが夜這いに行った後でな」
へぇ……とニールが(主にアルフに)ジト目を向け、アルフが誤魔化す様に肩をすくめた。
「王侯貴族、高位の神官、其処らへんが夜這いに行ったら、割と行先のお嬢さんが「夢魔の仔」を妊娠するな……ま、9割以上はそういう言い訳、な訳だ……実際に子供がいる間は確実にな」
アルフとギムリットは何かを誤魔化す様にそっぽを向いて口笛を吹いていた。
吹けてない当たり動揺してるのか、単に下手なのか。陣には推し量る事は出来なかった。
「詳しいのね、随分」
「神殿に、淫魔に生気を吸われて死んだって娘さんが運び込まれて、毒殺の可能性を潰すために内臓を確認して、子供を孕んでた時最初に何を疑うと思う?」
「なるほどね……知りたくもない一面だわ」
ユーリルの感想に、ウルリックは肩をすくめる。
『其処らはこちらとしては文句の一つも言いたい所ですが……』
「ま、こーいう話で粛清や何かのネタにされていい気持ちはしねぇわな」
シャルルのボヤキに近い呟きに、誰もが苦笑する。
「まぁそれはそれとして、だ……シャルルにナイトメアを潰す協力をしてもらう訳だ」
「実際それには異論ありませんが……どうやって?」
シャルル一人でどうこう出来るとは思えないし、夢魔が居るからと言って、陣達が夢の中の存在に対処できない現実は変わらない。
『それに関しては……ウルリックさん、何か腹案があると?』
「あぁ、こいつも半分伝説だが……人の心の一部を分けて他人の夢を覗かせる、という事が昔実験されていたらしい」
「……それ考えた奴、悪趣味ね」
ニールの言葉に、アクイラ、ユーリルもうんうんと頷く。レネットだけが意味が分からずきょとんとしていた。
一人、シャルルだけが目を見張る
『そんな危険な実験が、されていたのですか』
「昔の話だ、それに、そんなに危険なのか?」
ウルリックの言葉に、シャルルは頷く。
『夢を覗き見る、程度の事は兎も角、干渉するために自分の心の一部を分離させて送り込む、というのが危険そのものです』
「具体的には?」
『夢とは、その人の心の一部です、そこに分離したものとは言え、自分の心の欠片を送り込むというのは、大皿一杯の赤い塗料の中に、一滴の青い塗料を混ぜるような物、と考えてください』
すぐに相手の心に取り込まれ、自分が誰かも判らなくなって相手の一部へと変わる。そしてそんな程度でも、相手に何かしらの影響を与えてしまう。
「じゃあ、夢魔はなんで平気で夢に干渉できるの?」
『我々が夢を触るときは、自分で直接触れるのではなく、その夢を見ている人の「こうありたい」という願望を利用して、その願望……欲と言い換えてもいいでしょう、それを流し込むのです』
だから時々「自分の最愛の恋人を自分の最も嫌うタイプの男に寝取らせたい」とか「数えるのも嫌になる程のゴブリンやオークに蹂躙されたい」なども混じって夢魔自身が困惑する事もある。
『そうやってその人自身の欲を夢に注ぎ込み、溢れた精力……気力や精神力と言ってもいいでしょう、それをいただくのが、淫魔のやる事の精々です』
自分の心から生み出されたものなら、自分の夢を介して心に影響が与えられる事などほぼ無い。
他から異物が入り込むのは、大きく違う結果だ。
『まして、夢を探るというならば、分けた心に意識の大半を持って行かれることになる……もし戻ってこれないまま心の欠片を取り込まれれば、意識も失われ、残った体は廃人となってしまう、危険です』
シャルルの言葉に、誰もが考えを巡らせた。
「何か、方法は無いのか?こう、その心を護る鎧みたいなものとか、一定の時間が経ったら強制的に心の欠片を元に戻す事ができる魔術とか」
『そういうものは流石に……家族……特に双子の兄妹みたいな人であれば、互いの影響は最小限になるでしょうが……それでも、心の欠片が取り込まれたら意識が消えうせるという問題は解決できません』
ふと、シャルルがつぶやいた双子という言葉に、陣は振り返る。
視線の先で、レネットがきょとんとした表情を浮かべていた。