女神と勇者
「はあああああああああああああっ!!」
勇者の振り上げた剣が、直立蜥蜴の構えた両手曲剣を跳ね上げる。相手が構えなおすよりも早くレザームの懐に潜り込み、逆手に持った短刀をがら空きの胸に叩き込んだ。
響く悲鳴に負けじと、大声で叫ぶ。
「放て!」
突き刺した短刀から、強烈な冷気が解き放たれた。レザームはその時点で体内が凍り付き、死亡する。
心臓付近を中心に、肺の中の二酸化炭素が凍り付くような冷気を叩き込まれて生きていられる生物など、そうそう存在するものではない。
レザームが完全に凍り付く前に、短刀を引き抜き、凍り付いた頭部を蹴り割る。
血は流れず、あたりに氷が散らばった。
「っ!!」
すぐに周囲を見回し、駆け出す。
進む先で、リアラが小盾と片手槌を振るって迫りくるレザームを牽制していた。
普通に走っていては間に合わない。勇者は剣を地面に突き刺すと背負っていた十字弓を構える。
「リアラ!避けろ!」
言うなり躊躇なく引き金を引く。
背後からの不意打ちに対応しきれず、レザームは矢の直撃を受け……
「穿て!」
次の瞬間、その矢から生えたいくつもの巨石の錐で、体を内側から刺し貫かれて死んだ。
勢い余って転んだリアラに、彼は手を差し伸べる。
「大丈夫?」
「はい、勇者様」
勇者……冬野将司は彼女に怪我一つない事を確認すると、ふぅ、と息を吐いて微笑んだ。
転んでいた彼女を立ち上がらせる、その一瞬の隙。
隠れていたレザームが飛び出した。
シュー、という呼気が噴き出る様な声をあげて、手にした槍で将司を突き殺そうとする。
避けられない。
防御も、回避も間に合わない必殺の距離。
突然、レザームが何かに引っ張られたかのようにつんのめる。
手の中には、突然動かなくなった槍。
何が起こったか判らない内に、レザームは切り殺された。
「ありがとう、レネット」
将司の視線の先には、身長を超える真っ白な杖を持ち、長い銀髪を揺らす……
奴隷服を着た、銀と紫の瞳を持つ少女。
「……うん、マサシ、さま」
「……また名前呼びだし、弁えなさいよ奴隷」
小さく頷いて返す少女に、リアラが冷たく言い放つ。
「リアラ……だから俺はレネットを奴隷扱いする気はないってば」
「この際トウノ様の意向は関係ありません、彼女はけがらわしいエルンで、あなたの奴隷なんです。奴隷に対するのにヒトと同じように接してしまっていては、周りに悪い影響が出るだけならともかく、秩序を乱す事に繋がります」
困ったような言葉に、ぴしゃりと返す。
「その程度で乱れたり壊れたりする秩序なら、無くなっていいよ」
「何を言うんですか!ヒトは正しい神の教えと秩序無くして生きていく事はできません!それを無くしてしまえばこの世は悪徳に支配され、邪なもの、悪しきものが闊歩する地獄となってしまいます!神の教えに従い、正しく生きる事こそが……」
「じゃあ聞くけど、そのカミサマってのは、本当にそんな事を言ったの?」
「当然です、聖書にも記されている、正しい事柄です」
へぇ、と興味なさそうに返す将司に、リアラが心から不満げな表情を浮かべる。
「何か言いたいことがあるなら仰ってください」
「なら、その聖書ってのは、本当にそのカミサマとやらが言ったことを一語一句、漏らさず、間違えず、曲解せずに書いてある?」
「……教会の教えと聖書の記載を、疑うんですか?」
「質問に答えてないよ、そしてその反応は、聖書の内容は間違ってると暗に認めてるようなもんだ」
「そんなこと!」
「リア」
神官に対してではなく、私人に対して将司は話しかける。
「信仰に口出しはしない、けど、その妄信が正しいかどうかは、考えて見て」
「妄信?妄信ですって!?あなたにそんな事言われる筋ないわ!」
怒り心頭、という感じで怒鳴り散らすリアラと、真っ向から迎え撃つ形の将司。
「まぁまぁ、まちなさい、あんたら……レネットも困ってるでしょ?」
そんな二人の間に割って入るのが、野伏の女性、ユーリルの役割だ。
リアラから更なる攻撃の対象にされないよう、レネットを少し離れた所で見ている騎士、ギムリットに押し付けて、仲裁に入る。
「マサシ、あなた前にもリアラと神様関連でやり合ってたわね?神官が嫌いとか、女神教がイヤとか、あるの?」
「好きとか嫌いとかじゃなく、宗教というなら、興味ないが正解です」
髪を逆立てて食って掛かろうとするリアラを、ユーリルが器用に片手で押さえる。
「なら、別にリアラが聖書や神様を根拠にものを言っててもいいじゃない」
「悪い、とは言ってませんよ。妄信が嫌なんです」
昔、テレビを騒がせたテロ教団の事が思い出された。
彼らも、信徒として見れば敬虔な、ただしい信徒だったのだろう。
その正しさが、無差別テロという結果を生み出した。
宗教の教えに、敬虔で真摯であったがゆえに、多くの人を殺した。
将司は、正直女神教と構成員に、そのテロ教団と同じような空気を感じている。
なるほど、光の女神は確かに死んだ自分を救い上げ、この世界に救世主としてもたらしたのだろう。
けれど、だからと言って彼女を祭り上げる連中まで無条件で認めるほど、将司は馬鹿では無かった。
……宗教の側としては、大変都合の悪い事に。
「……すみません、勇者マサシ、そして信徒ユーリル」
不意に、リアラの動きが止まり、リアラと同じ声で、違う雰囲気の声が響いた。
二人がそちらを向き、遠目に見ていたギムリットが雰囲気が変わったとレネットを連れて寄ってくる。
「リ、リアラ?どうしたの、急に……」
「あぁ、彼女は同じ名なのですね?依り代としてとても相性がいいので、ひと時お借りしています」
違う、と三人は感じる。
普段の、リアラという神官の少女ではない。彼女は……
「いや……あなた様は……!」
ギムリットが膝をつき、王に臣下の礼をとる様に頭を下げる。
ユーリルもひざまづき、彼女を直視せぬように視線を下げる。
訳も判らずきょとんとしているレネットと、将司だけが立っていた。
「お久しぶりですね、勇者マサシ」
女神は、リアラの顔で優しく微笑んだ。
***
皆で車座になり、女神手ずから淹れたお茶を飲むという、教会の神官が聞いたら畏れ多すぎてひっくりかえるような状況が、そこに作られていた。
「ほんと、久しぶりです、女神様」
「……いやホント、誰にでも変わりなく対応される方とは思っていたが……」
「いいんですよ、信徒ギムリット、私としても、そう対応してくれる方が助かります」
女神教の信徒として、ギムリットがなにか言いたそうにしたが、当の女神がそれでいいと言ってしまってはそれ以上何も言えなかった。
「それに、勇者マサシの言っていることも間違いではありません。帝国で国教とされた女神教の教えは、私の教えからは離れてきています……勇者マサシ、私はエルムは邪悪だとか、排除せよだとか、そんな事を教えとした事は一度もありません。亜人排斥を是とせよと教えた事も、ありません」
「女神様、そのような事を仰られては……」
「事実です、信徒ユーリル」
困惑する信徒二人の姿を一瞥して、女神は再度将司に視線を向ける。
「……勇者マサシ、確かにここは人が簡単に扱える恐ろしい力を持った技術があります。しかし、あなたも知っているように、ほとんどすべての人は平穏に明日が迎えられればいい、と思っているのです……狂信を理由に、多くの人を殺そうとする人など、数えるほどなんです」
「こうやって世界に干渉できる神様が、教えが政治利用されて差別の理由にまで使われてるのにそれ言いますか」
「ちょっ!マサシ言い方!?」
慌てる信徒二人、しかしそれを聞いた女神は満足そうに微笑む。
「えぇ、私も今の教えがどうなっているかは不安です。そこで、この神官の体を少し借りて、今の教えを見させてもらおうと思っています」
それを聞いて、信徒二人は腰を抜かさんばかりに驚愕した。
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