邪悪の溢れた日
成り行きでついてきた元異端審問官を引き連れて、陣達はジルコニアにたどり着く。
「ってお前さん方明日には発つのか」
「えぇ、別に急ぐことはないとはいえ、時間は有限だからね」
それなりにニールやアクィラとも話していたウルリックが残念そうに言う。
「割と、意外ですね……女神教の教徒はおおよそ異種族には狭量だと思っていました」
「それは、思った……かな」
陣とアクィラに言われて、ウルリックは苦笑する。
「元々、ヒュム至上主義って訳でもないんだがな、帝国で信者を集め始めてから、そっちに流されてこう変わっていったのは間違いねぇや」
バシネットに覆われた髭面が大笑いする。それを見る年若い旅人たちの表情はあきれ顔だ。
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陣たちから少し先行したニールが助走をつけて飛び上がる、彼女の大鷲の羽は空中でそれなり以上の機動力を持つが、翼に対して彼女自身の体が重く、大きすぎる。無意識のうちにいろいろと魔術を使って飛んでいるらしいが、どんな力をどんなふうに使っているのかはまだ誰も知らない。本人たちに聞いたところで、無意識のうちに何となく使っているものを理論立てて説明するのは難しいだろう。
ちなみにその場で飛び上がらなかったのは、以前それをやったらスカートの中がもろに見えたからだとか。その時もろに見た陣は「肌色……」とか呟きつつ鼻血を出してぶっ倒れたとかそうでもないとか。
風を受け、羽ばたきながら哨戒を始めるニールの後ろを、三人がついていく。何度か犬頭や小鬼の襲撃を受け、順調に撃退しながら進んでいると、不意にニールが高度を上げ、何事か確認するとすぐに戻ってくる。
「ジン!アクイラ!ジルコニアから煙!」
「……火事?」
「そんなレベルじゃないの!あの煙の上がり方じゃ上から下まで火だるまになってる!」
その言葉に一瞬全員で顔を見合わせ、すぐにジルコニアに向けて走り出す。地を走る三人と空を飛ぶニールでは必然的に距離が開き始め、ウルリックがうまい具合に捕まえた首長兎に陣とアクイラを乗せ、ウルリック本人は大角牛に即席の手綱をつけてまたがり、一気にジルコニアへの道を戻る。
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ジルコニアの混乱は時間を追うごとにその深刻さを増していた。町の各所で火の手が上がり、悲鳴と怒号が絶えることなく続いている。スカイゴールド城の正門に押し寄せる大小鬼を武装した兵士達が食い止め、頭越しに放たれた矢が大小鬼の壁の後ろにいる小鬼の群れを薙ぎ払う。
「怯むな!押し返せ!」
誰かの声を聞き流しながら、目の前の大小鬼の顔面に盾の先端を叩き込む。衝撃にぐらりと傾いた大小鬼の体重がかかった足を、思いっきり切りつける。悲鳴を上げて転がる大小鬼、横から別の誰かの槍が哀れな大小鬼の喉笛を貫いた。攻勢の囲みに隙間ができる。
「突撃!」
後方からの号令と鬨の声、前線を張っていた兵士たちが慣れたタイミングで大きく道を開ける。
騎乗竜に跨った騎兵たちが、邪悪な魔物共の群れを引き裂いていく。
戦いは、さらに激しさを増していた。
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「神の御手は汝を癒し、立ち上がる力を与える……回治」
長躯で疲労の色が見えていた大角牛に回復の魔術を使うと、ウルリックは進行方向を見ながらバシネットの面当を下す。破門されようが、神意魔術を動物や亜人のために使おうが、この神の奇跡は彼と共にあった。しかしそれに関する神の意図はどうでもいい、重要なのは、まだ自分の役割は果たせるということだ。
「神の剣は汝に宿る、神の光は刃となる……神意の剣」
「その御手、この祈りを持って勇ましく戦うものに守りの加護を……勇気の盾」
魔術によって編み出された力で自分の大角牛に加護を満たし、大角牛の横腹を蹴って加速させる。目の前には、まさに大岩を投げようとしている人食い鬼の姿があった。十分な加速が乗った状態で、すれ違いざまに得物を相手の膝に叩き込む。まさに手にした岩を投げようと不安定な状態にあった人食い鬼は見事にバランスを崩し、岩を投げる前に転倒する。
運の悪いことに自分の投げようとしていた岩が胸にたたきつけられ、衝撃と苦しみから人食い鬼は一瞬呼吸を止め、意識を飛ばしそうになり……次の瞬間、その人食い鬼は永遠に意識を失った。天から放たれた矢を喉に受けて。
倒れ伏した人食い鬼を通り過ぎて、陣とアクイラの駆る首長兎が駆ける。その強靭な後肢から発する力は、もはや跳ぶというより飛ぶに感覚的には近く……それ故に、乗り心地は最悪だった。
「集え、鋼となれ、敵を穿て……!」
詠唱を受けて、ニールの持つ矢が不思議な色の光を帯びる。続けざまに放たれた矢は、狙いを違うことなく城壁を突き破り、その影に隠れていた小鬼の頭を貫いた。
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スカイゴールド城の攻防はいよいよ激しさを増し、襲撃者と防衛者の戦闘は王城中央の大ホールを中心に続いていた。大きく作られた場内は短弓や機械弓の利用すら可能であるが、すでに双方とも統制は崩れ、乱戦の様相を見せていた。もはや目に付くものすべてが武器であり、まずは生き延びることを考えねば「組織的な行動」どころか指揮系統を立て直す事すら難しい。
謁見の間までたどり着いた襲撃者を迎えたのは、機械弓による一斉射撃だった。彼らの幸運はそこで尽き、即死しなかったものは体制を崩した間に追いかけてきた近衛隊により始末される。
「まったく……どーなってやがんだ?」
「邪教徒共がどれだけ調べを重ねたとしても、お前の行動の予測まではつかんだろ……となれば」
「内通者がいるって事かい?……ったく、アタシらも好かれたもんだね!」
謁見の間に立つ3人……カイとネイラ、カイラスの三人が警戒を解かぬまま話す。謁見の間の天井から、小さな声を上げて小さな影がカイの真上に落ちてくる。
「マナは悪辣なるものを弾く」
「火蜥蜴!火ィ貸せ!」
カイの暗殺を試みた小鬼の暗殺者は、カイラスの魔術に阻まれた所をカイの一撃によって葬られる。最も、火蜥蜴の炎に焼かれるなどというハデなものになるとは焼かれた本人も想定していなかっただろうが。
「魔術の行使に大した集中がいらねぇ……やっぱ精霊魔術便利だなおい」
「こーいう時はな」
今は、王と宮廷魔術師ではなく、共に戦う戦士と魔術師。カイはカイラスを見てにやりと笑う。
「グルスの奴が、はっちゃけたお前を見たら頭抱えるだろうな」
「いや、お前ほどじゃないから」
「あんたら!いつまでもダベってないで準備しな!くるよ!」
ネイラの声に男二人が気を引き締める。それを待っていたかのように謁見の間の扉が吹き飛ばされた。直接の原因となったのは吹っ飛ばされた近衛の兵士。そしてそれを行ったのは……
「……はっ!オーガに率いられたトロールの群れなんざ、洒落にもならねぇ」
赤黒い肌を持つ人間より二回り大きな人型の生物が、岩のような肌を持つ大猿のような生物を引き連れてなだれ込んでくる。それらを迎え撃つため、カイとカイラスはそれぞれ武器を構え、防御態勢をとる。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
次の瞬間、肌もあらわな鎧に身を包んだネイラが、愛用の大斧を掲げて化け物共の群れに飛び込む。一泊の間を置いて、暴風と圧が謁見の間を飲み込んだ。「トルネード」ネイラが風の精霊と縁を結んだときに与えられた、超小型の竜巻を引き起こす彼女のとっておき。いかに頑強なトロルたちと言えども、竜巻に巻き込まれ、全身を壁や天井にたたきつけられ続ければダメージは否めない。そして……
「うぅぅぅぅぅぅぅぅらぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
あろうことか、トロールやオーガが怯む竜巻の中を、ネイラは雄たけびを上げながら駆け巡り、吹き飛ばされるものすべてを足場として、手当たり次第にあたりを切り刻む。それら全てを平等に巻き込み続ける竜巻は、徐々に血色に染まっていった。
「……相変わらず、えげつなくつえーな、「血濡れの竜巻」」
「同感だ、お前よくあいつ嫁さんにしたな」
カイラスが張った魔術の障壁がびりびりと震え、カイの魔道具が張る障壁はそろそろ限界の様相を見せている。
異変はその時起こった。
パン、という乾いた小さな音が鳴る。その音は、竜巻が起こす轟音にかき消されて誰の耳にも入らず。
ただ結果として、カイは左胸から血を吹き出し。
穴の開いた己が胸を信じられないようなものを見るようにしながら。
どうと倒れた。
「カイ!」
カイラスの悲鳴に近い声が聞こえ、ネイラはその動きを止める、止めてしまう。何体ものトロルが、決死の覚悟でネイラに近づき、あまたの犠牲を出しながらそれでも制圧に成功する。
「ネイラ!!……くそっ!」
なんとかカイを引きずって、後方へ移動しようとしていたカイラスにトロルとオーガの目が向けられる。残された近衛達が健気にも防衛線を張ろうとして……ぱん、ぱんという破裂音と共に倒れていく。
トロルたちによってさえぎられていた視界が開け、カイラスの前に現れたのは、ぞろりとしたローブを身にまとった、おそらくは人間。その手には、取っ手のついた短い筒を握っており……
「あばよ、カスザコ」
そのセリフと、破裂音を最後に、カイラスは意識を失った。